タグ

来国俊に関するmashoriのブックマーク (1)

  • xxxxxx

    「蛍丸」は鎌倉時代の1297年(永仁5年)、名工とうたわれた山城国の来国俊(らいくにとし)の作とされる刃渡り101.35センチの大太刀です。 1336年(建武3年)、南朝方の菊池氏・阿蘇氏らと足利尊氏が戦った多々良浜(福岡市東区)の戦いで、阿蘇惟澄(これずみ)はこの刀で奮戦しました。南朝方はこの戦いに敗れ、惟澄の刀もガタガタに刃こぼれしてしまいましたが、惟澄が無数の蛍が集まって刀身に止まる夢を見た翌朝、刃が元通りになっていたという言い伝えがあり、この伝説から刀は蛍丸と呼ばれるようになりました。 阿蘇神社大宮司家が600年引き継ぐ 蛍丸はその後、阿蘇神社大宮司の阿蘇家に代々引き継がれました。合戦などにも使われたらしく、江戸時代はじめの記録ではかなりの刃こぼれがあったようです。 元禄年間(1688~1704)には肥後熊藩3代藩主の細川綱利が召し上げようとしましたが、大宮司家は頑として拒否した

    mashori
    mashori 2016/02/29
    興梠って字は「こうろぎ」じゃなくて「こうろき」なんだ。自分の周りには「こうろぎ」しかいなかったな…
  • 1