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心理とcolumnに関するmk16のブックマーク (3)

  • ペットは家族じゃなかったの? - やねうらおブログ(移転しました)

    今回の震災の10キロ圏内に住む知人が、避難所に避難する際にペットの犬を避難所に連れていけず、やむなく置き去りにした。 その知人の娘は彼に泣きついてこう言った。 「ハナ(犬の名前)は私たちの家族じゃなかったの?家族を見殺しにするの?」 その知人はこう言った。 「ハナは確かに我々の家族だ。だけど犬なんだ。犬と人間とでは命の重さは同じではないんだ。たとえそれが家族であったとしても、だ。」 娘はそんな説明には納得できなかったからこう尋ねた。 「命に重いとか軽いとかあるの?」 その知人は毅然とこう言った。 「ある。命に重いとか軽いとかは、あるんだ。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって生きている。命を持っている。でも、その命は人間の命の重さとは等しくない。もし、ミミズの命と人間の命が交換可能で、そして人間の命がミミズほどに軽ければ、誰か人が死んでも誰も悲しまないだろう。ミミズと人間とは命の重さが

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    mk16
    mk16 2011/07/13
    この犬は、赤の他人の前でも大人しかったのかが記事に書かれてない。/日本社会は、いかに「人に迷惑をかけない」かで生存権を左右される。関連:累犯障害者 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85
  • あつじ屋日記 「被害者」になること≠「被害者」であり続けること

    昔から思うことで 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます) 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依

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