浅草と向島を両岸にひかえる隅田川河畔ホームレスの聖地「隅田公園」、その途中に言問橋という橋が架かっている。関東大震災後の復興事業として昭和初期に建てられ、今でもモダンな外観を保っている。 この言問橋は1945年3月10日に起きた「東京大空襲」の悲惨な出来事を生々しく残す生き証人である。木造家屋が密集する本所地域を中心に焼夷弾による絨毯爆撃が行われ一夜にして8万5千人(10万人とも言われる)が命を落としたという激しい空襲だ。 空襲の際、逃げ惑う人々が浅草と向島両岸から「川の向こう岸に逃げれば助かる」と言問橋の上に殺到し、そこに猛火の熱風が襲い、人々は次から次へと隅田川に飛び込み死んでいったと言われる。言問橋の欄干の親柱にはその時の犠牲者の身体の脂が黒ずんたものがそのまま残っていると聞いた。 橋の欄干から水面まで続く親柱を覗き込んでみると、確かに不自然に黒ずんだ部分がずっと続いているのが確認出