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社会とMedicalと増田に関するmk16のブックマーク (6)

  • 子宮取ってポークビッツ生えてきた増田です(追記あり)

    ちんこ取った増田がいたのでついでに書いてみる 逆のFTMです 女性→男性になりました 追記(3月9日(木) 01:04)勢いで書いたので読みづらい文章で申し訳ない ちゃんと読んでくれた人ありがとう ブコメやトラバで頂いたコメントについて、いくつか回答します ホルモン注射でやる気が出るの件これは"女性ホルモンが多かった頃に比べたら"という相対的なものね 生理による情緒不安定や体のだるさがなくなったから、平均してやる気が高い状態になってるってこと ゴミみたいなコード直したりするようなめんどくさい仕事とかはやる気でないよ あと外見と自認する性別がかなり近い状態にあるから、余計なこと気にせず仕事に打ち込めてるのもある ジェンダー規範がどうのこうの性別関係なくどうのと言われても、自分は自分のことを男性だと思っていて、 男性として扱ってほしいし、手術して見た目が男性になるまでは「見た目と中身のズレ」が

    子宮取ってポークビッツ生えてきた増田です(追記あり)
  • 安楽死は絶対に認めてはならない。国民が馬鹿だから

    安楽死を認めた後、何が起きると思う? 重病の患者に安楽死を勧める死の商人が増える、だよ 安楽死してもいい、から、「安楽死するべきだ」までの距離はお前らが考えてるよりも短い 考えすぎ?透析が必要な患者に対して医療費の無駄だって言ってる奴らはどこのどいつらだ? 「自粛警察」とか言って法律違反でもないパチンコ屋営業に抗議してた「善意の市民」が、「安楽死警察」にならない保証がどこにある? 国民が成熟しきってない上に、国民感情で判決出す裁判所まであるこの国で、権利など認めてはならない。

    安楽死は絶対に認めてはならない。国民が馬鹿だから
  • 素人だけど倒れた人に心臓マッサージしたから知見を共有する(追記)

    医師でも看護師でもない素人だけど、駅で倒れた人が意識と呼吸がなく、顔も真っ白になってたから心臓マッサージ(胸骨圧迫)した。 直接的に効果があったのかはわからないけど、息を吹き返したので良かった。 救急隊が来るまでにある程度(寝ぼけてるみたいな状態だけど)意識も回復していたので、たぶん大丈夫だと思う。 感じたこと学んだこと。・すごい前だけど、救急救命講習受けててよかったー!!!!!十年くらい前に地元の消防署で上級救急救命講習(横浜市の例:http://www.ydp.or.jp/guidance/kousyu02.html)を受けたことがあるだけの素人でも、たぶん役に立てた。 ほんと良かった。活かす機会が実際にあるなんて思って受講してなかったけど、あるもんだ。 受けてなかったら手を出せてなかったし、あの周りの様子だとたぶん他の人がやっていたって可能性も低かったと思う。駅員さんもこちらが言うま

    素人だけど倒れた人に心臓マッサージしたから知見を共有する(追記)
  • 父が亡くなった 膵がんだった

    癌が発覚したのは約半年前だった。70歳の誕生日を迎えたばかりのことだった。 膵がんは自覚症状がなかなか出ないために早期発見が難しく 発覚した時点ですでにステージ3だった。 そして人の希望で間もなく手術をし、手術は無事成功した。 誰もが回復に期待した。 しかし、人がその後の抗癌剤治療をすべて拒否してしまった。意外だった。 家族がいくら説得しても「自分で治すからいい」の一点張り。 母はというと「癌は治せるってテレビでもでもいってるじゃない」の一点張り。 家族の意見に対して全く聞く耳持たず、口論となるだけだった。 その後家族仲はどんどん悪くなり、実家に立ち寄る回数も減っていった。 その後はあっという間だった。 ある日突然倒れ、その日のうちに病院で亡くなった。 術後半年でほぼ全身に転移していた。 びっくりするくらい体は痩せこけ、足だけがパンパンに浮腫んでいた。 それでも母は「良くなってると思

    父が亡くなった 膵がんだった
  • 漢方薬に保険が効くようになった経緯

    経緯 1967年10月、国は事務局長通知の形で、製薬会社が新薬を申請するときに、二重目隠し法による臨床試験のデータを提出するよう規定しかし、1967年10月以前に許可された医薬品は既得権として免除1970年にこの問題が国会で取り上げられ、1971年から旧薬の再評価の申請を受け付けた。提出すべき二重目隠し法による臨床試験のデータを持たない漢方製薬会社は最大の危機に見舞われた。その当時、中国では圧倒的に不足していた西洋医と西洋医薬品を補う苦肉の策で、西洋医学と中国医学を併列させる洋中合作の医療体系を確立していた。そのことが、日国内で「漢方・針・灸」に西洋医学と対等の評価が与えられたかのような幻想が広がり、マスコミもそれをあおり続けた。漢方の大手メーカーが市民運動を企画して、「東洋2000年の歴史が証明している漢方を健康保険に採用せよ」と多数の医師や市民の署名を厚生大臣に提出。当時の日医師会

    漢方薬に保険が効くようになった経緯
    mk16
    mk16 2009/11/30
    例え、効かない漢方が一部にあるとしても、フェードアウト的に撤退させるべき。
  • ともだちが病気になった。

    ひとりぐらしのともだちがこころの病気になった。 仕事を休むようになって数ヶ月たって「苦しすぎる。助けて」というメールが来るようになった。 他のひとたちと一緒に、そのひとのところに遊びに行ったり、電話をかけたりした。 仕事中に突然届くSOSメールにも、みんなで連携して同報メールで対応した。 「くるしい」「さみしい」「起き上がれない」「どこにいるの?」という問いかけに 「ここにいるよ」「ひとりじゃないよ」と必ず誰かが応えた。そんな毎日が三ヶ月以上つづいた。 医者にはちゃんと行って、薬も飲んでいるようだったけれど、 当に感じている心の苦しさを診察のときに話しているようには見えなかった。 医者なんて薬を処方するだけ、それよりも友達のほうがうんと助けになってくれる。 ともだちはそう言った。 ある日、ひさしぶりに会った家族から「病気になるなんて弱すぎるからだ」と 言われてしまったという話を聞いた。

    ともだちが病気になった。
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