津波との関連性が知りたい人も多い模様。これだけの被害をもたらした地震なので、せめて学術資料や観光資源として現地のためになってほしいという声が挙がっていました。
みなとみらいや、赤レンガ倉庫、そして、行き交う船などを一望でき、観光の中心地となっている横浜の山下公園。 実は、もともとこの場所は「海」でした。 100年前のある出来事をきっかけに埋め立てをして作られたこの公園。 当時の写真から詳しい経緯が分かってきました。 公園から海をよく見てみると・・・ 横浜市中区にある山下公園。 観光客に加え、ジョギングやデートなどを楽しむ多くの人で賑わっています。 横浜都市発展記念館 吉田律人 主任調査研究員 横浜都市発展記念館の主任調査研究員、吉田律人さんです。 長年、写真資料などから神奈川県内の災害の歴史などを研究しています。 6月のある日、山下公園を案内してもらいました。 吉田 研究員
インフルエンザにもいくつか種類があって、その中でもスペインインフルエンザが2000-3000万人の被害者がでて、日本人でも40万人の被害者がでた。重症化して表面化ケースだけの計算だ、もちろん。 これは大正7-8年に起きたパンデミックで、大正時代と言えば訪日外国人観光客は二万人前後。現在の千五百分の一。 現在の千五百分の一の観光客により、日本にも四十万人の犠牲者がでた。 スペインインフルエンザは収束せず、結局猛威を振るい続け、世界中で耐性ができるまで暴れまくった。 大正時代の日本人の人口は5600万ほど。0.7%か?大体な。 非常に単純に計算すれば、0.7%の1500倍が罹患、という訳にもいかないが、日本人ほぼ全てが罹患してもおかしくないということだ。 ただスペインインフルエンザと違うのは、潜伏期間中でも感染する。 スペインインフルエンザは感染経路が非常に明確だった。当然で、感染者は体調を崩
熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わる橋を架ける国の工事で、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界ジオパークに選ばれた阿蘇の見どころの一つ、立野峡谷(熊本県南阿蘇村)の柱状節理(ちゅうじょうせつり)が壊されていたことがわかった。ジオパーク内での開発などは禁止されていないが、国や県は現場がジオパーク内と認識していなかったという。 阿蘇は2014年、国際的な価値のある地質や地形を認定する世界ジオパークに選ばれた。立野峡谷は約9万年前の巨大噴火で形成されたカルデラの壁が唯一切れた場所で、地形や地質を観察できる見どころの一つ。柱状節理は約5万年前に阿蘇の噴火で流れ出た溶岩流でできた。溶岩が冷え固まる時にできた割れ目のある岩肌が特徴で、「岩のカーテン」と呼ばれる。 国土交通省熊本復興事務所などによると、新しい橋は立野峡谷をまたぐ形で建設中で、柱状節理は橋脚の建設予定地近くにあった。昨年11月ごろ、工事用
今年のゴールデンウィークは休みが短く、近場の観光地が注目を集めた。開業2周年を間近に控える東京スカイツリーもそのひとつだ。ところが、2013年度の来場者数は想定を下回る数字に終わっていたことが明らかになった。 今なおチケット売り場に長蛇の列ができる人気ぶりからすれば、ちょっと意外な結果だ。いったいなぜだろうか。 強風でエレベーターが停止、悪天候だと展望台が「雲の中」 連休前の2014年4月19日、記者は家族3人でスカイツリーを訪れた。入場券を求めて15時過ぎに並び始めたが、土曜日とあってか売り場には先頭が見えないほどの人々が並んでおり、当日券を入手するまで1時間以上はかかった。ようやく登った展望台もかなりの人出で、人垣をかき分けながらでないとなかなか景色を眺められないほどだった。 観光スポットとしての人気の高さを実感したが、一方で「スカイツリー」をキーワードにツイッターを検索すると、こんな
1 名前:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/03/20(日) 02:50:42.17 ID:ouy2bJwB0 ?PLT(12666) ポイント特典 観光客キャンセル続出、関西にも打撃 旅行業界 募る焦燥 米国は地震発生直後の11日に自国民に渡航自粛を要請、原発事故が判明した 13日にも再度、自粛を求め、16日には渡航延期勧告した。フランスは13日に渡航延期勧告。 韓国は13日に福島第1原発周辺30キロを渡航制限地域に指定、中国は渡航自粛を求めた。 これは外国人向けの観光旅行需要を直撃し、地震の影響がない京都、奈良などのツアー でも中止が相次いでいる。 外国人向けの日本観光旅行を扱う「東日旅行」(東京都)の国際旅行事業部によると、 3、4月はサクラのシーズンで外国人観光客には人気。同社が扱う今年3、4月のツアーの キャンセルは中国などアジアを中心に、すでに数千人規模にのぼる 。同
三陸の旅を終えて以来、虚脱状態が続いている。 山形が停電から復旧し、テレビやネットで情報を追い続けていたが、この世のものとは思えない津波の映像に震え、ぶらぶら歩いていた釜石の商店街が波に呑みこまれ、あとはもうひたすら恐ろしかった。 地震当日の午前中は、宮城県松島のカフェで原稿を書いていた。午後に山形で用があり、久々に帰郷したところで地震に遭った。その用事がなければ、「いいところだな」と、太平洋岸の町をうろついていたと思う。 最近は、ずっと旅をしていた。 三陸をうろつく前の週は、福島の郡山やいわき市に。海を見ていると、原稿執筆のモチベーションが維持できるという理由で、今年の冬は沖縄や福島、仙台、三陸をぶらつきながら、わりとストイックに原稿に向かっていた。旅をしながら、同時にカンヅメでもあったのだ。 プライベートな空間では原稿がまったく書けないので(個室に入るとロクなことをしない)、家には帰ら
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