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日本と北条時宗に関するmoritataのブックマーク (2)

  • モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ

    ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日中世政治史、古文書学。『大日史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日史』(朝日新書)、『乱と変の日史』(祥伝社新書)、『考える日史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日史』(ダイヤモンド社)など多数。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 鎌倉時代、2度にわたってモンゴルに攻め入られた日。そんな大国の侵攻から日を救った英雄とみられているのが、北条時宗だ。しかし、モンゴルが日に攻め入った経緯を

    モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ
  • 元寇「文永の役・弘安の役」は実際どんな戦いだった? 神風は?

    鎌倉時代で最も有名な出来事と言えば、やっぱり【元寇】でしょう。 「お前ら、属国になれ」というモンゴル帝国の要求を二度に渡って拒絶。 その結果、 で【神風】吹いてバンザ~イ!と皆さん歴史の授業で習ったと思います。 ところが、台風ってどうなのよ、というのが最近の見方。 文永11年(1274年)10月5日に元軍が対馬・壱岐へ襲来して始まった――元寇とは一体なんだったのか? 稿では「御家人たちが頑張りました」で終わりにせず、当時の背景や戦闘経過なども見ていきたいと思います。 鎌倉当時は「蒙古襲来」等と呼ばれていたまず「元寇」という名称。 後世になってから名付けられたもので、鎌倉当時は「蒙古襲来」や「蒙古合戦」などと呼ばれていました。 「元寇」という単語は江戸時代あたりに出てきたようです。 「寇」という字には「侵入してくる敵」という意味があるので、意味合いとしては「蒙古襲来」などとほとんど変わりま

    元寇「文永の役・弘安の役」は実際どんな戦いだった? 神風は?
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