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生き方に関するnekosichiのブックマーク (3)

  • 誰にも愛されない人間にしかできない社会貢献

    福島の原発処理作業に当たりたいと思った。 30手前の独身女。恋人も家族もいない。 友人はいるけど責任の生じる関わり方をしてくれる人はひとりもいない。 誰にも愛されていない。 自分は何のために誰のためにいきているのかと苦しむ日々が続いて、 最近やっとふっきれて楽になってきたところだった。 今回の震災の件で、改めて人は他人のために生きているということを実感した。 他人のために仕事をするのはもちろんだし、 生命の危機に遭遇した時に誰もが案ずるのが愛する人のこと。 もしくは自分の心身を削ってまで救いたいと願うのが愛する人の生命。 「この人のために生きたい」と思える相手なんていないし、いても相手も同じように思っていなければ、 その人の存在を生きる理由にするのは自己満足というものだし。 私が死んだところで泣いてくれる人なんて誰もいない。 私は自分の命を惜しむ必要性が全くない。 ある意味これは他の人にな

    誰にも愛されない人間にしかできない社会貢献
    nekosichi
    nekosichi 2011/04/03
    とりあえず、猫を飼いなさい。猫を。きっと、愛するということと、愛されるということの関係のシンプルさがよく分かります。
  • 物語を守るという生き方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ルールを守ることがどこまで必要なのかを高校時代に友達とよく議論した。 覚えているのは「交通信号をどこまで守るべきか?」というテーマについての議論だ。高校生なので、とうぜんながら歩行者の立場からの議論だ。 赤信号のときにクルマがきていない。そのときに横断歩道をわたることは人間として、どこまで許されるかというお題についていくつかの面白い立場がでてきた。 (1)ルールはルール派。どんなときであっても信号は守るべき。 (2)at your own risk派。大丈夫だと思ったら、自分の判断で渡っていい。ただし、それで事故にあっても警察に捕まっても自分の責任だ。それを自覚して信号無視するのであれば、人間の生き方としては許される。 (3)信号?なにそれ派。もっとも交通事故率の高い大阪ならではの考え方。赤信号であってもクルマがいなければ渡る。青信号であってもクルマがきてれば渡らない。そもそもクルマも歩行

    物語を守るという生き方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • Twitter / daichi: 努力しようぜ!ってのは「ひたすらハシゴのぼろうぜ!」 ...

    努力しようぜ!ってのは「ひたすらハシゴのぼろうぜ!」っていってるのとかわんなくて、どこにハシゴをかけるかっつう問題とセットにしないと、がんばって上った先がどこなのかわからない。「努力してれば大丈夫、裏切らない」に潜むうさんくささってそこなんだよ。どこに連れてくつもりだよっていう。 12:36 AM Nov 30th webから 100+人がリツイート

    nekosichi
    nekosichi 2010/12/06
    より深刻なのは、登れば登るほど空気が薄くなって苦しくなり、周囲には誰もいなくなることだ。助けを呼んでも誰も来ない。文字通り一人途方にくれる。そこで初めて、登るよりも降りる方が難しいと気づくのだ。
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