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書くことに関するnisemono_sanのブックマーク (60)

  • 書いたものってなんだ - ReadMasterの軌跡 3RD stg

    うーん、熱い。 で、コメントしてたら、新たな記事が。何の話かって?そりゃ、まいる空間のお話でござい。 前回エントリ「ものすごく引っかかったこと。」を通しての雑感。 というわけで、話はまだ続くのでございますが。 にしても、同じこと考えてるなーと妙に思いましたね。 嬉しいのやらどこかで差別化せねば、いかんと。負けてしまうと(えぇ TB先は常にライバルであれと、僕はいいました(自分かい!っていつの間に! んでは、論に。 どうやら、言葉の定義、いやそもそも言葉の定義で片付く問題ではないんだと まず先に言っておきながら、言葉の定義の問題だったようです。 だったようです、というのは僕の中ではスッキリしてないからです。納得というか、スッキリです。スッキリしたらどうなるかというか、単に僕がスッキリしないだけで、書くわけです。うふふ。 「書きたいように書く」という言葉の意味が、 「

  • 感性工学的テキスト商品学~書き言葉のマーケティング

    杉山淳一 (すぎやま・じゅんいち) 1967年生まれ。信州大学経済学部卒業。株式会社アスキーにて7年間に渡りコンピュータ雑誌の広告営業を担当した後、'96年よりフリーライターとなる。PCゲーム、オンラインソフトの評価、大手PCメーカーのカタログ等で活躍中。 第1回:感性工学とテキスト 第2回:英語教育が壊した日語 第3回:聞くリズム、読むリズム 第4回:話し言葉を追放せよ 第5回:読点の戦略 第6回:漢字とカタカナの落とし穴 第7回: カッコわるい 第8回: 文末に変化を 第9回: "冗長表現"が文章を殺す 第10回:さらば、冗長表現 第11回:個性なんかイラナイ! 作文が好きな人が、それにもかかわらず読みやすい文章を書けない。原因はハッキリしています。"書きたいキモチのまま書いている"からです。"書きたいから書くのだ、なにが悪い"そう思う人は修行が足りません。プロのライターは違います。

  • ギャルゲー日記 -990930 - 竹田青嗣「世界という背理 小林秀雄と吉本隆明」より

  • つらつら考えるに、国語 - yeuxquiのブログ

    というのは筋が悪いような気がしてきた。一昨日の日記のことなのだが。むしろそれよりは(前にも書いたが)外国語のほうがいいのではないだろうか。ということは教養課程は般教なんかなしにしてしまって、文系は外国語ばっかりやってる状態したほうがいいという意見で、ということは旧制高校(文科)復活ということになって、天野貞祐と同じ意見になってしまった。あれえ。保守反動の教養主義の馬鹿だよ。文部大臣でもないのに。 * どうも副産物としてしか手に入らないようなものがあるという説がある。直接それを手に入れようとすると、必ず失敗するたぐいのものだ。青い鳥とか、自由とか。国語力とやらもそうかもしれないのは、ええとそういうことを書いたの文章がひどいとか、まあひどいようだとか、ひどいかもしれないらしいとか、また****かよとか、独りよがりだよだとか、おまえもそうだとか、そうかもしれないとか、そういえば君には論文の書き

    つらつら考えるに、国語 - yeuxquiのブログ
  • Something Orange 2006-02-14(火) フィクションとはなんだろう

    最近、フィクションとはなんだろう、ということをよく考える。 きっかけのひとつは、田透の「電波男」だった。あのでは、フィクション(2次元)を現実(3次元)の代用品と位置づけているように思えた。現実が理想通りにうまくいかないから、フィクションが必要とされる――その理屈に、なじめないものを感じた。 それをいうなら、現実が理想的でありさえすれば、フィクションは必要ないことになってしまう。それはフィクションに対する過小評価ではないだろうか。 ひとが架空の世界をもとめるのは、必ずしも実人生が満たされていないからではない。フィクションは現実の代用品にとどまるものではない。そう思った。 そもそも、ひとはなぜ虚構の物語に一喜一憂するのだろうか。フィクションのなかの人物が成功しようが失敗しようが、ぼくたちの人生にはなんのかかわりもない。さらにいえば、かれは実在するわけですらない。 それはたぶん、「寄生獣」

    Something Orange 2006-02-14(火) フィクションとはなんだろう
  • あんよ流・考察の書き方

    あんよ流・考察の書き方 はじめに この文章は、くるぶしあんよが考察を書くときの基的な態度や具体的な叙述方法などについて、一つの読み物としてまとめたものです。 ぼくはすでに、アニメ版『シスター・プリンセス』考察や『涼宮ハルヒの憂』考察、『魔法先生ネギま!』考察など、少なからぬ考察文を公開してきました。それらのテキストはウェブ上の各種ファンダムで一定度の評価を得ており、その書き方についての質問も以前いただいています。それゆえ、ぼくが考察対象作品をどのような観点からとらえ、どのような切り口で解釈しようとしがちなのかについて、一度おおまかなところを文章化しておくことは、関心をお持ちの方にとって何かのお役に立つかもしれないと考えました。なお、この文章の原型は、2005年2月25日以下の日記にあります。このテーマについて質問して下さったせいるさんによる「SSの書き方&考察の書き方」まとめも、ぜひご

  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/16
    そういえば、「回想シーン」は回想シーンの必然性というよりかは、過去にこのひとには何々がありましたという設定説明に使われること、そして使ってしまうことが多いなあ。気をつけよう。
  • アイフル 融資入りロ

    利息は不要と標榜しているものでも、無利息期間のみならず利息が要される期間があるため、あなたが利用するローンとして相応しいかどうか、抜かりなく見てから申し込まなければなりません。 申込手続きはウェブを利用して全て完結しますので、受付窓口に出向くこともないですし、現金を口座から引き出すまで、誰とも顔を合わせることなく終わらせる事が出来るのがいいですよね。 万一に備えて、ノーローンに登録しておいても悪くないと考えます。サラリーを貰う少し前とか、少し足しておきたいなと感じた時に無利息キャッシングは相当重宝します。 古くから利用されてきたカードローン、ないしはキャッシングの時は利息が必要になりますが、無利息キャッシングだと、規定上の期間内ならば、利息はとられません。 銀行が展開しているカードローン、または信販系のキャッシングサービスですと、即日融資を利用することは実際できません。ですが、殆どの消費者

    アイフル 融資入りロ
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/16
    そうだなあ。俺は書くことを「読んで読んで」ということから、最終的に読まれる人に読まれればそれでいいという立場に転換していきたいところ。
  • 酷評は何も生み出さない。 - ジュブナイルポルノ作家わかつきひかるのホームページ - 楽天ブログ(Blog)

    ホームページをぼんやり見ていて、すごいページを見付けました。 小説家になりたくて投稿している人たちのページですが、小説をアップして「酷評」しあおう、というものです。 で、ちょっと読んでみたんですが、なんかこう、胸が悪くなってしまいました。 切磋琢磨して上手になっていこうね、という趣旨はすごくよくわかるのですが、酷評からは何も生まれないですよ。少なくとも、私は酷評はされたくないですね。 私は、小説教室に通ったときがありましたが、その教室では生徒たちが批評しあうのを禁じていました。先生が批評をするのはいいんですが、生徒同士はダメなんです。理由は、ミスリードしやすいし、感情的になりやすいから。 酷評を受けて、悪いところを無くしていったら小説は良くなるのか? 私は違うと思う。 プロ作家の書いたものでさえ、つっこみどころはあります。 たとえばの話、アニメになってすごい売れ

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/16
    うーん、なんだろ、このもやもや感は。
  • 書ける気持ち、書きたい気持ち - 続思い出地獄

    今年の前半に小説の(脳内)締め切りが最低二つはある(ことになっている)のだが、いつものことながら書くことにいっこうに気になれないというかエンジンがかからないというか、気になったりエンジンをかけることをわざと避けてばかりいるかのようでさえある。気になってエンジンをかけてもこんなものしか書けないのか、という現実に直面することを恐れているのか、小説のエンジンがかかっている状態、という脳内が普段と違う非常事態に移行することを恐怖してその手前で躊躇しているのか。たぶんどちらでもあるだけでなく、ほかにもいくらでも理由を見つけることができるほど、ある程度の長さの小説(たとえ短編でも)を書き始めることには少なからぬ恐怖が伴っている。 その恐怖をなだめるためには小説を読んだり、小説について(小説のように)書かれた文章を読むのがいいのではないか。と考えたからではないけれど、図書館で借りた去年の「新潮」1

    書ける気持ち、書きたい気持ち - 続思い出地獄
  • 雑記と読書メモと妄想と.

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/13
    『そもそも現代詩は「現代詩を書いている人間」しか読まない』『 有象無象の中に「才能の原石」などほとんど存在しないのは,ちょっと数を読んだことのある者なら誰でも知っている.』
  • finalventの日記

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/13
    『私は私なりに同胞を信じたい、そのためには、私がまず声を上げようというか、そしてそれに答える声は、[略]そうたやすく可視にはならない。それでも、声を上げようと。』自分にはどれだけ出来ているか問うこと
  • 『なぜ人は書くのか』茂呂雄二(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 新しいテクノロジーが登場し、そのテクノロジーが身体化される。その過程でぼくたちは、それまで知らなかったある感覚を経験していくようになる。 キーボード・タイピングはその典型例だ。ある程度習熟してそれなりの速度で打鍵できるようになると、頭のなかとディスプレイが直結され、思考がそのまま文字化されるかのように感じられはじめる。ワープロあるいはパソコンが普及していく1980年代末から90年代前葉にかけて、少なくない数のひとびとがそうした経験をみずからのうちに発見した。それは、なるほど、たしかに日語執筆の歴史のなかでは初めてのことだった。ひとびとは、ワープロやパソコンによって思考が活性化され、それまでとは異なるステージに飛翔しえたかのように感じた。書くという行為が機械化されることによって、なにか頭がすごくよくなり、それまで隠されていた力が急に引き出されるような気がしたものだった

    『なぜ人は書くのか』茂呂雄二(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • たけくまメモ: 【猿漫】「サルまん」の作り方: 萌えをテーマに

    『サルまん』プロジェクトを再開するにあたり、重要なことを確認しておきます。これから我々は「萌え」をテーマに『サルまん』を一仕上げてみようというわけです。しかも可能な限りその一部始終をネットで公開しようというのですから、このブログをご覧のみなさんも心得ておいて損はないでしょう。すなわち「サルまんの作り方」と申しますか、あの作品を作るための秘訣をこれから書きたいと思うわけです。 もちろん『サルまん』を『サルまん』たらしめる要素はいくつかあるわけですが、かつて我々が連載していたときには、1仕上げるうえで必ず踏襲するプロセスがありました。それを出来る限り順番を追って、忠実に整理してみたいと思います。 (1)テーマを決める これはどんな作品でもそうでしょうが、まず最初に「何をモチーフやテーマにするか」から始まります。『サルまん』の場合、「マンガの描き方のパロディ」というコンセプトが大前提にありま

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/13
    ブログでもこれと同じような過程をへて記事を書こうと思うんだけれども、どうしても自分に甘えが出てしまうな…難しいところ
  • 匿名性 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 今井さんの来のblog*2の方はアクセス可能なようだ。さて、曰く; しかし、批判をされる方はそちらもリスクを背負っていただきたいです。私は批判的なメールを送られた方にはすべての方に携帯電話の番号は打ち明けています。また、批判している方でも非通知ではない方とは話しています。そして、多くは理解を得ることができました。中には一時間近く話した方もいましたが、最後にはお互いに納得しわかりあうことができたと思います。 (「今後は更新しません」http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/archives/50457743.html)〈イラク人質事件〉にとどまらず、何かことが起こると、匿名の手紙・電話の殺到というのは定番ではあるが、その動機というのは何なのだろうか。臆病者? 確かに。臆病だったら、黙っているか、せいぜい身内で盛り上がっていればいい。ある場合には羨

    匿名性 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 伝わり難い考えをどう伝えていこうか [ひとりごと] - 明日は明日の風が吹く

  • 雑多な断章

    1. 2009:09/23 xatm092dora 2. 2009:08/08 xatm092dora 3. 2009:08/07 clock9 4. 2009:08/07 clock9 5. 2008:12/25 xatm092dora 6. 2008:12/25 edge 7. 2008:12/25 xatm092dora 8. 2008:12/25 clock9

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/12
    局地的にいうと「ネタにマジレス問題」。誠実な対応とはなにか。
  • 2006-02-11

    愛というのは文章に対する愛ではなく、どうしようもない駄文を書いてしまった自分を擁護したい、自己愛で、駄文というのは、昨日の日記のような、どうしようもない文章だ。もう、ほんとうに、どうしようもなくて、情けない。感傷というものには、気をつけなければならない。感傷は危険だ。英語でいうとdangerousでriskyだ。感傷をいかにtrickyにするか、そこにしか感傷の価値はない。そうぼくは思っている。感傷は浸るものではなく、葛藤するものだ。そういうことを、折り目正しい日語でいうと、素直になれない、とも言うが、まあ、そんなことはどうでもいい。感傷は嫌いだ。そして感傷的な文章はもっと嫌いだ。さもしくて、厭らしくて、不潔で、スケベだ。 駄目なところを上げてみよう。まだ冒頭は許せる。屋までも許せる。曖昧な返事も許せる。そこからが、てんでなってない。それでもまあJAZZまでは、許す。空間的な移動は、一

    2006-02-11
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/11
    駄文を救うことができない、許すことは出来ない、だけども愛するというところがポイントかも。
  • もう、「マイノリティのもの」ではなくなったインターネットへ - 琥珀色の戯言

    http://artifact-jp.com/mt/archives/200602/netglobalism.html 思いついたことをだらだらと。そういえば、マイコンというのが出始めた時期というのは、当に「マイナーな趣味」であって、それこそ、「えーっ、家でそんなことやってるなんてくら〜い!」と後ろ指をさされるような趣味だったのだ。まあ、当時のマイコンなんて当にユーザーに対して素っ気ないもので、今よりはるかに低機能にもかかわらず操作は難しく、それこそ「使う側も勉強しないと何もできない」ようなシロモノだった。僕はシャープのX1というのを使っていたのだが、あれは「クリーンコンピューター」という思想に基づいてつくられていたため、マシン語のゲームを直接起動するとき以外は最初にBASICのテープを入れなければ当に何もできず、最初に家にX1がやってきた日には、それこそ徹夜でなんとか「キーボードを

    もう、「マイノリティのもの」ではなくなったインターネットへ - 琥珀色の戯言
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/11
    「マイノリティ」/「マジョリティ」の対立として考えると不味いのかも。
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    木場公園の隣に咲く河津桜|春の訪れを感じる 春の陽気を感じながら、カメラを片手にゆったり散歩。 木場公園の隣に咲く“河津桜”は、見頃を過ぎても美しかった。 木場公園の隣に咲く河津桜 多くの観光客が訪れているのは、海外でも桜の開花情報がシェアされているからだろう。 後ろのマンションが日らしさを引き…

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