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lifeとfamilyに関するnobodyplaceのブックマーク (19)

  • 親戚の話

    親戚の話、とくに父方の姉妹たちの話については、書きたいことや言いたいことがたくさんあるのだけど、明るくスカッと笑って終われるような話はあまりなく総じて胸くそ悪い話であって、つまりその辺にたくさん落ちている「トンデモな言動が目立つ、DQNな親戚に関する愚痴」以上の何ものでもないので、なかなか書く気になれない。個人的にはネタであっても、読んで面白い話でもあれば親戚の許可なんか取らなくても普通に書いちゃうんだけど、なかなかね。 将来、なにがしかの創作をすることがあるとしたら、そこに出てくる人物に親戚たちの印象を投影することはあるのかも知れない。逆に、ちびまる子ちゃんの友蔵じいさんのように、敢えて自分の理想の親戚像を投影して親戚たちを皮肉るってことはあるかもしれない。でもまあ、今のところその予定はない。 なんで唐突に親戚のことを思い出したかって言うと……これもまあ別に面白い話でもなんでもないんだけ

    親戚の話
  • 久々に両親に会うなど

    妹の引っ越しを手伝いに両親が実家から関西にやってきたので、ついでにご飯でもべましょうということになって、「西陣 江戸川」へ。せっかく京都に来てるんだし京都っぽいものが良いんじゃないの?湯豆腐とか?とも思ったのだけど、よくよく考えれば、引っ越しの手伝いで疲れ切っているところへ観光客でひしめく観光地に行くのもきついだろうし、だったらまあ4人とも好きな鰻で良いかと言うことで。「西陣 江戸川」さんの鰻は相変わらず美味しくて、静岡でだいぶ美味しい鰻をべてる両親にも満足してもらえたようで何より。ご馳走様でした。 気付けば2年くらい 実家に帰っていなくて、両親に顔を合わせるのも久しぶりだったのだけど、まあなんというか、父親は年相応に歳を取ってきており、最初に見たときの素直な感想は「年取ったなあ」。2年くらい前に少し入院した(肺がんか?と思ったけど違った)こともあって今も健康には不安があるみたいだけど

    久々に両親に会うなど
  • マザコンとバカにされても構わない。 - Everything you've ever Dreamed

    一匹狼といえば聞こえがいいが、ただの部下無しのひとり営業課長なので比較的自由に行動が出来る。その自由を活かして営業活動中、時間が空いたとき、折を見て実家の様子を覗きに行っている。僕のマンションから車で30分もかからないところにある実家で70才になる母親はひとり暮らしをしている。超高齢化社会を迎えているせいか、最近、一人暮らしのお年寄りを狙った犯罪のニュースを見かけるようになった。そんなニュースを見るたびに僕は不安でたまらなくなる。母親は、幸いなことに持病もなく健康だが年齢も年齢、万が一が今日明日にでもやってくるかもしれない。僕がたびたび実家に立ち寄るようにしているのは母親が心配だからであり、自分の不安を緩和するためでもある。 四六時中見守ることは不可能なので、万が一のときや不測の事態には間に合わないだろうことはわかっている。警備会社と契約もしているけど万全ではないだろう。この世界に完璧なも

    マザコンとバカにされても構わない。 - Everything you've ever Dreamed
  • 今日の夢(2013/10/27)

    心と体を病んでいる女の子のお見舞いをする夢。自分の母親が体を壊して入院していた病院(註:お母さんは元気です。夢の話)に、その女の子はたまたま入院していて、話を聞く感じ。アルバイトで少しリスクの高いテスターをやったら、副作用で症状が出てしまった……みたいな設定だった。 一番心にきつかったのは、その女の子が大学自体に付き合っていた女の子をモデルにしていたことで、確かに当時の彼女は低体重で余り健康でなく、ときおり精神的に不安定になることもあって線の細い感じの女の子だった。生理もなくて、自分は子どもなんか作れないし、自分が好きではないから子どもを作るのは怖い、なんてことも言っていた。 夢だとわかってとても安心した。 現実の世界でのその女の子は、素敵な旦那様に巡り会って結婚し、妊娠して無事に出産し、子育てしながら自分の仕事にも少しずつ復帰していて、とても幸せそうに暮らしている。夢で当に良かったし、

    今日の夢(2013/10/27)
  • 【近況】 父親の手術とか夏風邪とか

    というわけで、久しぶりのブログ投稿でした。きちんと書いたのは7/29以来じゃ無いかしら。ちょうど1週間ぶり。1週間何も書かないというのはあんまり無いことなのですけど、あんまり何かを書こうという気が起こらなかったので仕方がないね。為替相場とか川崎選手とか気になってたんだけどね。やっぱりまだ少し弱ってるのかなというところもあり、同時に弱ったときに弱っていても良いような生活をしてしまっているというのもありで。仕事休んでからどこかに旅行に行こうと思っていたけど、貯金がとか費用がとか言ってる間に結局タイミング逃した感ある。一人旅だったらそれこそ鈍行と寝袋で良いわけで、そんなにコストも掛からないはずなんだけど。まあなんかこう色んなこと気にしすぎる感じはなかなか抜けませんな。周りから言われることで受ける影響が大きいってかね。もっと好きなようにやれば良いんだろうけどね。 まあそんなことはともかく、近況。

    【近況】 父親の手術とか夏風邪とか
  • 父親と病気

    父は63歳。今年64歳になります。 1日2箱くらいの喫煙者で、酒は飲みません。 父は昔から殆ど病気をしない人で、10年に1回くらい風邪を引いて「鬼の霍乱」なんつて言ったもんでしたが、去年、胆嚢炎(胆石)をやりましてね。といっても命に関わるようなものでは無く、少し入院しただけで退院出来たのですが、そこで睡眠の不規則さや生活の不摂生さを強く指摘されたのが応えたのか、それまでがあまりに健康だったからなのか、途端に弱気になってしまいました。以来、少し体調が良くないと「病気じゃないか」。 今年の年明けにも少し風邪をこじらせたことがありました。同居しているわけではないので詳しい症状までは解りませんが、電話越しには元気そうでしたし、母親の話では大したことないとのことだったのであまり心配していませんでした。ところがなかなか咳が治まらない。そして曰く「癌じゃないか」。自分の父親(祖父)を肺がんで亡くし、自

    父親と病気
  • 人は金の亡者になる

    余り身内の恥を公共の場で晒すようなことはしたくないのですけど、なんかこう感情のやり場がないので。 あ、これはフィクションの話ですよ? 登場人物: 長女 … 身体障害者で独身、キリスト教徒。弟に扶養されてきたが父母の死去をきっかけにして独立を決意、この冬から自身の貯金で生活することに。 次女 … 弁護士の夫に先立たれた未亡人。相当な額の生命保険金はすべて自身の生活費と息子夫婦への小遣いに消えた。年金を納めていなかったので支給額は0円。 三女 … 公務員の夫と結婚、自身も公務員。既に定年退職し将来も特に問題なし。離婚して帰ってきた娘と同居中。 長男 … 自営業。40年にわたって父母、長女を扶養してきた。長女が居住する個所を除いたすべての土地家屋を相続し、現在も長女を扶養している。 四女 … 某国営放送アナウンサーと結婚し兄妹の中で最も裕福な生活を送る。将来の心配もなし。 経緯 父母の死去に当た

    人は金の亡者になる
  • あんまりお皿を割ったことがない(どうでもいい、兄妹の共通点)

    chovitto*ZAKKA NEWS | ☆く~まの学校~♪☆ そういえば私、あんまりお皿を割ったことがありません。 自慢。 だから、大学に入学する時に母と買いに行ったお皿やお茶碗やカップを未だに大事に使っています。 下手したら、お茶の国の女子高に通っている時に使っていたお昼のお茶用のカップもある。 ええ、僕も。 器を割った記憶というと今まで記憶に残せるくらいしかなくて、一人暮らししてからの15年間で、 青いグラス(これはなぜか2回割った。粉々に砕けて危なかった) 土鍋(寿命かも知れない。真っ二つにパカッと) 電子レンジの回転皿(これは見事に取り落としてバキッと。しばらくパスタ皿で代用してた) しか割ったことが…いや、書いてたら単に都合の悪いことは忘れてるような気がしてきた。さすがに思い出せるのプラス3枚くらいは割ってるな。 ともあれ、割る数が少ないのはそうで、物持ちがよいのもそう。

  • 自殺した父について今、僕が思うこと - Everything You’ve Ever Dreamed

    北鎌倉にあるお寺へ墓参りに行った。と母と一緒に。父が死んで二十年。前日の台風が残していった風にあおられて線香に火をつけるのに苦戦しながら、この煙で燻され、ゾンビ化した父が墓から這い出てきたら…というどうでもいいことに想像力を浪費していると、家族連れだろうか、イーチ、ニー、サーンとどこからか子供たちの声。その声は僕に父との風呂を思い出させた。 父は僕と弟を湯船につからせるとゆっくり百まで数えさせた。父の風呂は当に、当にあつかった。僕らは大人の熱さに、数えるのを速めたり、数字を飛ばしたり、胸までお湯から出したりして対抗した。そのあとには恐怖の「10やりなおし」がいつも飛んできて、僕らが湯船から出るときには百をゆうに越える数を数えさせられていてゆでダコのように赤くなっていた。二匹のゆでダコの指先はふやけてしまっていて僕ははやく大人になって一人で風呂にはいる権利がほしいとそのふにゃふにゃの指

    自殺した父について今、僕が思うこと - Everything You’ve Ever Dreamed
  • 痛み - tapestry

    先日、原因不明の激痛が右脇の下を襲った。手でおさえると鋭い痛みが走り、右腕を前後に動かしたときにも刺すような痛みを感じる。けれど我慢できないわけではない。特にしこりや外見的な変化はない。ネットで調べても「これだ」と思えるような病名が出てこなかった。ちょうど、痛み始めた数日後が健康診断の日にあたっていたので、健診の最後にもうけられた内科医による問診の際に相談してみた。すると内科医は、「今わかる範囲でレントゲン結果などを見ても問題ないですし、どうも腋窩(えきか)神経痛のようですねえ。脇の下に痛みが出る神経痛は、原因が分からない場合が多いんですよ」と言った。「つまりストレスとか心因性である場合もあるんですか?」と聞くと「そういう場合も多いようですね。数日して痛みが変わらない場合は、より詳しく調べるために内科などで診察を受けるのもおすすめです」、と穏やかにアドバイスをくれた。しばらく様子をみようと

  • ラブホテルをつくろうと母は言った - Everything You’ve Ever Dreamed

    家族でも恋人でも友人でもいいのだけれど、そういう大事な人を喪ったときの正しい感情ってなんだろう、なんて答えがないことを父の死を契機に僕は十代の終わりの一時期かなり真剣に考えていた。父が死んだとき僕が真っ先に思ったのは、悲しみでも、将来や生活への不安でもなくて、人間なんて簡単に死んでしまうんだな、エロの隠し場所には気を付けなきゃいけないな、というどうでもいいことだったりする。多感な18才だったので悲しかったのは間違いないのだけれど、前年の夏に祖母を亡くした直後ということもあって命が消えてしまう呆気なさに僕はただ愕然としていたのだ。 愕然としたあと僕はムカついた。というのも淡々と葬儀屋と打ち合わせをこなし、葬儀を執り行う母をみて親戚のオッサンどもが「少し休んだらどうだ」とか「泣いたっていいんだぞ」とか「これからの生活はどうするんだ」なんていちいち声を掛けてきたからだ。母のやりたいようにやらせ

    ラブホテルをつくろうと母は言った - Everything You’ve Ever Dreamed
  • 物語を守るという生き方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ルールを守ることがどこまで必要なのかを高校時代に友達とよく議論した。 覚えているのは「交通信号をどこまで守るべきか?」というテーマについての議論だ。高校生なので、とうぜんながら歩行者の立場からの議論だ。 赤信号のときにクルマがきていない。そのときに横断歩道をわたることは人間として、どこまで許されるかというお題についていくつかの面白い立場がでてきた。 (1)ルールはルール派。どんなときであっても信号は守るべき。 (2)at your own risk派。大丈夫だと思ったら、自分の判断で渡っていい。ただし、それで事故にあっても警察に捕まっても自分の責任だ。それを自覚して信号無視するのであれば、人間の生き方としては許される。 (3)信号?なにそれ派。もっとも交通事故率の高い大阪ならではの考え方。赤信号であってもクルマがいなければ渡る。青信号であってもクルマがきてれば渡らない。そもそもクルマも歩行

    物語を守るという生き方 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • CTBNL (Column To Be Named Later) : 間に合わなかった初著書 - livedoor Blog(ブログ)

    2010年07月18日06:41 カテゴリ 間に合わなかった初著書 いま日に来ている。 サンフランシスコからの機中、朝日新聞・天声人語(7月14日付)を読んで、不覚にも涙してしまった。在日の同胞、つかこうへい氏逝去に関する内容であったが、同氏がペンネームをひらがなとした理由が「漢字が読めない母親のため」だったと知り、自分の母親のことを思い出したからだった。 さらに、「つかさんが小学生のころ、『小学校に通って字を習いたい』という母親に対して、『恥ずかしいから来ないでくれ』と反対」した下りを読んだときには、母を侮辱し、傷つける言辞を弄した自らの過去を思い出し、一層胸が締め付けられたのである。 つい最近、『The Reader (邦題:愛を読む人)』(2008年米・独合作)を見たが、これも私にとっては身につまされる内容の映画だった。舞台はドイツ。文盲と知られることを恐怖するあまりに、戦争犯罪の

  • 静岡から帰ってきました。

    祖母の通夜、葬儀を終えて帰ってきました。さすがに疲れた。 行く前から熱があったってのもあるけど。 それでも、両親や親戚の人たちの疲れに比べたら大したこと無いか。 たった1日半静岡に帰っただけだし。 祖母についてはもう書いたのでいいとしても、 色んな人に久しぶりに会って、なかなか楽しかったです。 次に会うのがいつになるかわからない人ばかりだけど、 みんな変わっているようで変わらなくてやっぱり変わってる。だよね。 そういえば、以前曾祖父について書いたエントリを読まれた方が結構いて、 「イッペイ君、ブログのアドレス教えて」って言われてちと苦笑い(笑) あんまり適当なことばっかり書いてるのでどうなんだろうと思いつつ。 まぁいいんですけどねー そうだ、論文ありがとうございました。 まだ読めてませんが、今日帰ったら読みます。 色々と揉め事は多々あるけれど、自分は京都にいるしどちらかというとだいぶ距離取

    静岡から帰ってきました。
  • 祖母が亡くなりました。

    危篤だった祖母が昨日の夜21時頃亡くなりました。 一時は回復するか?とも思いましたがやはり難しく。92歳でした。 当にうちの家系は長寿の家系なんだな。 前にも書いたけれども。 ずっと一緒に住んでいた(正確に言うと隣に住んでいた)祖母なんですが、祖父の時のように感傷的な気持ちになりません。そう書くとなんだか悲しくないみたいで字面上、冷たく見えるのだけど、嫌いだったとかそう言う意味ではなしに、なんだろう、適切な表現とは言い難いかも知れないけれども、これしかないから書くと、「お腹いっぱい」。 僕がどんな自己中心的な人にあっても驚かないのは、まぁある意味で祖母のおかげでありまして、良い意味でも悪い意味でもど根性。普段通りに振る舞うだけで次々に周りが巻き込まれる性格。92年間を「太く長く」生きてきた彼女には、なんだかそういう感傷的な寂しさみたいのは似合わないと思ってしまうんですよね。 祖母にありが

    祖母が亡くなりました。
  • chovitto*ZAKKA NEWS | ☆ちょっと休憩。☆

  • 祖母危篤、の続報。

    今朝出がけに、実家の母親から連絡が入りました。 祖母が危篤。 鳴る電話、いよいよ来たか、という感じ。 息を吐いて電話を取ったところ出てきた言葉は… (  Д ) ゚ ゚ 少し調べたところ、胸部大動脈瘤の手術は腹部のそれに比べてなかなか大変で、仮に成功しても感染などの可能性が残るらしいですね。昨日話を聞いた時点では「動脈瘤は切除したが血管がボロボロで繋げられない」「(開腹手術をしたが)腸が腫れて縫合できない」ということで、かなり可哀相な状況だったのですが、今朝の話では、 繋げない血管 → 人工血管で繋いだ。血液は漏れているものの時間が経てば問題なくなる 縫合できない → 腸の腫れは1週間ほどで収まる。その後縫合できる。 延命治療なし(ただし痛み止めを服用して眠っている) つまり、あれですか、「普通に動脈瘤を切除した」だけになる可能性もあるって言うことですか。信じられん。ありえねぇ。マジパねぇ

    祖母危篤、の続報。
  • 祖母が危篤。

    1年半ほど前から胸部動脈瘤を抱えたまま何とか過ごしていた祖母が、遂に救急車で運ばれ、危篤との知らせが。92歳。破裂した動脈瘤は手術で取り除いたけれどもそれ以上処置のしようがないと医者には言われ、孫の僕は京都で待機中。 5センチで破裂の危険性がある動脈瘤が7センチの状態で1年半。 完全にぼけてはいないもののやはり色んなことが解らなくなっているのか、動かない体を無理矢理動かして毎週天丼や鰻やラーメンべに行く(コレステロールが高いから絶対厳禁なんだけど、こっそり家を出てべに行ってしまう)彼女は、当に不死身そのもので。家族としては心配やら腹立つやらでいろいろと大変だったのだけど、それも「太く長く」生きてきた彼女には似合っているのかなぁと思ったり。 僕だったら、いくら明日目覚めないかも知れないとは言っても、電柱を伝ってバスに乗って鰻をいに行くのを毎週続けるなんて絶対無理だよ。信じられない。

    祖母が危篤。
  • 兄が死んだ | Tokyo O life

    兄が急逝した。今日、これから親族だけの密葬をする。 二日前、会社で仕事をしているところに、「お義兄さんが倒れた」と僕の奥さんから電話がはいった。僕の家は実家から徒歩1分の距離にある。 兄が倒れたと聞いても、正直、このときは「またか」と思った。兄は前にも救急車騒ぎを起こしたことがある。 父と喧嘩して、睡眠薬を大量に飲んだと思い込んだ母親が救急車を呼んだが、結局、適量飲んだだけで何の問題もなかった。兄は歩いて帰ってきた。 しばらくすると、2回目の電話があった。「脳出血」だという。 それはまずい、と思っていると今度は病院につきそった母から電話で「今すぐこれないか」という。 慌てて会社を早退して、病院へ向かうが、思ったより動転していて逆方向の電車に乗ってしまった。慌てて渋谷で降りて五反田経由で旗の台の昭和医大に行った。 救急救命センターの入り口で母と合流した。「あとで、もう一度お医者さんから説明が

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