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myselfとmentalityに関するnobodyplaceのブックマーク (5)

  • 雰囲気だけはある

    昔から言われてきたのです。 「雰囲気はある」 そこにいるだけで出来そうな、何かやってくれそうな雰囲気がある。大学の馬術部の時にも言われてたし、メトロでDJしてたときも言われてたし、厨房にいるときも言われてるし、多分そうなんだろうなあ。顔立ちなのか何なのか解らないですが、これはもう持って生まれたものなんでしょうね。 でも……裏返せば「雰囲気しかない」。実際の実力はない。雰囲気に追いついていない。もしくは番に弱い。「雰囲気はある」という言葉遣いはそういう意味も持っています。もちろんそう言われることを良しとしているわけではなくて、自分では自分が周囲に与えているらしい印象を上回れるように努力をしているのだけど、第一印象からのがっかり感にはなかなか勝てないんですよね。 僕の方からすると「勝手に期待しておいて、勝手にがっかりってそんな失礼なことあるか」という話なんですけど、でもそう思われてしまうこと

    雰囲気だけはある
  • 自分の状態がよく分かんない

    こんにちは、isです。 このエントリは「元気?」というぼんやりした自問自答をテキストに書き起こしてみたものなので、まああんまり読んでもねえという感じのテキストです。僕にしかわからない心象描写をなるべくわかりやすく書き換えたりしてはいますが、あんまり読んで面白いものでは無いような気がします。楽しくなるもんではないのでー * * * 最近「どう元気?」と声かけられることがよくあります。うんまあ、元気ではないです。でも、一日中どんより落ち込んで動けないというわけではなく、笑って話すことも出来るし、ビールを楽しむことも出来るし、お酒を飲んだからといって絡んだり暴れたりと言うこともない。なんでしょうかね。東京にだって行けたし、日常生活でも出来ることがあることを考えると、「うつ」では無くていわゆる「新型うつ」なんじゃないのか、と思ったりもします。いやテキストで読む「新型うつ」ほど自由自在というわけでは

    自分の状態がよく分かんない
  • 言葉の持つ力、その怖さ

    最近、仕事における自分の不甲斐ない成果に対して毎日怒られ続けるという生活をしています。「人間性の話ではなくて仕事の結果だけの話だから」という前置き付きで、人間性を延々となじられるという生活です。 自分の能力に問題があるとは言え、正直しんどい。 僕をなじる言葉の半分くらいは、僕という人間を理解したと誤解して一方的に組み立てられた言葉で、それに対して反発するとなじる時間が倍になることが解っているので僕は黙っています。そうではないよ、と心の中で呟きながら黙っているのですが、繰り返しぶつけられる言葉の力は決して弱くない。そうではないよ、と思っていても気がつくと僕の心の中に侵入しています。その通りの人間に思えてくる。 例えば、 「あなたは言われたことを言われたとおりにやることしか出来ない人間だ」 と、繰り返し繰り返し言われています。 「自分の手元しか見えないし、全体を見て作業計画を設計することも出来

    言葉の持つ力、その怖さ
  • 頑張ってるのに頑張れって言われたら

    昨日の深夜、TLにそんなツイートがあったので。 「圧力になるから言うな」「応援は感謝すべき」など、 この件については色んな人が色んなことを言いますが、僕はこう思っています。 頑張ってるのに頑張れって言われたら、ありがとうって返したら良いんだよ — いず的ななにかさん (@nobodyplace) 9月 11, 2012 頑張ってるのに「頑張って」と言われたときに取るべきリアクションはオリンピック選手が教えてくれたと思うんですよね。オリンピック選手、それから一流選手(特にメジャースポーツのプロ選手)、彼らのドキュメンタリを読むとやっぱり同じことで悩んだ経験があるみたいです。彼らは頑張っても頑張っても「頑張れ」って言われる。頑張って大舞台に出れば出るほど多くの「頑張れ」をもらう。もうこれ以上頑張れないというほどの努力をして臨んだとしても。 じゃあ彼らはそれに毎回反発しているか、それで負けてしま

    頑張ってるのに頑張れって言われたら
  • 難しい表現を使う人と教えること

    友人がその知人のこんな言葉をリツイートしてた。 (自分は知らない人なのでソースは伏せてます。返信とかではないので気にしない方向で) 時々、難解な文章書く人がいる。難しい感じや単語を使って書いてある。それを子供向けにしてもらうと全く書けず実は人がわかっていない事がわかったりする。人に教えるとはそういう事。わかったふりが浮き出てくる いやー真理だと思います。ただまぁ人に教えるって難しいよね… 特にこれをリツイートした友人は毎日悩んで、僕なんかが及ばないくらい悩み考えてるんだろうなぁと思うんですけど、「教えるのが難しい」のと「難解な文章を書く」のとは実は全く関係がないのではないかなぁと思ったり。文章上の装飾として、「平易な表現では書けない」の強調として「普段難解な文章を書く」が出てきているのだろうなと思うのだけど、普段平易な文章を書いている人であっても、誰か向けの文章ってのはなかなか書けないも

    難しい表現を使う人と教えること
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