千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。 2022-07-05 12:56:36
米国の大統領選挙も終わり、留学生・国際協力の立場からすると、バイデン次期大統領が誕生したのは大変喜ばしい事です。しかし、獲得代議員数だけを見るとバイデン次期大統領が圧勝したかのように映りますが、単純な票数だけ見れば、なかなかの接戦でした。 トランプ政権誕生の背景にはリベラルと反リベラルの分断があり、トランプ政権下でこの分断は一層深刻化したと言われています。では、バイデン次期大統領はこの分断を癒すことができるのでしょうか? 私は、分断が一層深刻化することはあっても、これが癒えることはまず無いと思っています。それは、リベラルと反リベラルの分断はもっと根が深い所にあり、1980年代以降の教育政策がその悪化を加速させ、これが改善に向かう見込みがないからです。どういう事でしょうか? まず、リベラルとは主に誰で、反リベラルとは主に誰なのかを確認しましょう。バイデン次期大統領の支持は、①都市部、②若者、
アミエッタ @kirietta たとえば電車でお年寄りに席を譲った若者は褒められても、はじめから座ることを遠慮して立っていた若者は褒められたりしないん たとえばトラブルを回避し続けるより、起きたトラブルを処理したほうが腕が良さそうに見えるん こうして気が利きすぎる人は、普通に気が利く人に手柄を横取りされているん 2017-08-03 23:39:43
子どもに責任はない子どもの貧困は、大人の貧困に比べて、広い理解を得やすい。 一番の理由は「自己責任」と言われないこと。 大人だと、どうしても「そうなる前になんとかできたはず」と言われるが、子どもの場合は言われない。 「親が悪い」とは言われるが、それも親を選べない子の責任にはならない。 大人の貧困に比べて、批判を受けにくく、共感を得やすいテーマと言える。 影響力ある「昔のほうが大変だった」ただ、代わりに言われることがある。 「昔のほうが大変だった」ということ。 これは、特に高齢の、特に男性から言われることが多い。 そしてこの方たちが地域や社会で力をもっている(地方議員や自治会長など)。 子どもの貧困対策を進める上では、この方たちにも理解してもらう必要があるが、そのためには「昔のほうが大変だった」というこの言い方に向き合う必要がある。 どう受け止め、なんと返せばいいのか。 背景としての高度経済
朝日新聞デジタルのアンケートで、「あなたの家の近所に保育園ができることになったら、どう感じますか?」と尋ねたところ、「好ましくない」という回答は約4%のみでした。しかし、現実には保育園の新設に反対する動きもあります。保育園は迷惑なのでしょうか? 反対の声があがる事情を、騒音問題に詳しい専門家の分析を交えて考えます。 千葉県北西部。人口10万足らずの市でこの秋、来春の開設を目指した保育園が計画を断念しました。駅から1キロ足らずの住宅街に市の補助を受ける認可保育園(定員60人)を開く予定でした。 通常は居住者以外、車の出入りのない場所です。園庭は造れず、約100メートル先にある公園を使う計画でした。住民の女性(46)は「なぜこんな田舎でわざわざ園庭のない保育園を造るのか。子どもの成長にとってもよくない」「20人規模の託児所なら歓迎するが、60人もの子どもと、送迎の親が来ると騒音が心配」と反対運
2016 - 07 - 27 相模原殺傷事件の犯人が書いた「障害者は不幸を作ることしかできません。」について やりたいこととやるべきことが一致したとき、世界の声が聞こえる 私は1年近くブログをやり、読み手は記事単体しか読まないことを知りました。無駄な誤解を与えないためにも、今回は冒頭にて書き手である私について触れた上で書きたいと思います。 私は現在、30代で若年性パーキンソン病という進行性の難病にかかっています。病気が進めば、体の自由が奪われ、最終的には寝たきりになります。今は症状が軽く一応健常者ですが、少しずつ障がい者に近づいています。そのため、現在の私は健常者と障がい者の中間の存在です。幸いなことに、パーキンソン病で一番多い手の震えの症状がない稀なケースのため、今も仕事ができています。こんな私と同じ立場でブログをやっている人はあまり多くはないと思われます。だからこそ書かなければならない
いつも通り、生産性に関するブログを書こうと思ったのですが、その過程で、ダイバーシティについて少し調査しようと ブログや本をチェックして、とても違和感を感じました。そこで自分の意見を整理するために、ブログを書いてみました。 私は単にインターナショナルチームのメンバーであるだけで、専門家でもなんでもないので、稚拙で誤った意見かもしれませんが、それでも何か書いておくと自分の整理と学び(プロセスの改善のプロフェッショナルとして)になるかと思い筆をとってみました。 自分の感じるダイバーシティの違和感 私はインターナショナルチームで働いています。そして実際にその環境で働いていると、本当に楽しく快適に働けています。だから、その環境の素晴らしさと、その環境を日本でも実現する方法を考察するために、インターネットを調査してみました。 Microsoftはダイバーシティに非常に力をいれているので、必須教育でもダ
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。 寝屋川の中学生殺人事件の容疑者逮捕を受けて、月曜以降、デタラメなコメントがテレビからあふれ出すと思うので、先制攻撃をしておきます。 さっそく、金曜夜の報道ステーションでやらかしてました。コメンテーターの藻谷さんは、かなりまともな人です。殺人事件の件数はずっと減少していて、いまはもっとも少ない時代だという事実をきちんと指摘してたところまでは、よし。 ただ、そのあと続けて、地域の絆が薄れているのではないか、犯罪を防ぐために、われわれはもっと地域の絆を大切にすべきだ、みたいなことをいうんです。 決定的に矛盾したことをいってるのに、ご自分で気づいてないのですね。むかしに比べて地域の絆が弱くなった。と同時に、犯罪はむかしより減っている。だとしたら、絆が弱まるほど犯罪は減るという結論になってしまいます。 報道関係者のみなさん、立ち読みでもけっこうです。私の『「
私の仲間は、保守が多い。 閲覧者も同様だろう。 だから理解はされないかもね。 だけど、私はありだと思う。 私は、激しい連中が好き。 好きというか大好き。 趣味の問題かもだが、 (多分に趣味もあるが、) ぼちぼち元気なほうがいいと思ってる。 ↓よければ応援クリックお願いします。↓ 今日、リクルートスーツで真面目に出た若者たち。 聞き分けがよく、親の手もかからんかった子。 真面目に高校を出て、 いい大学に行き、 そして県外に就職するのだろう。 本人たちも望んでのことではないが、地域に残れはしないのだ。 私がまさにそうだった。 では、なぜこの子たちが歌舞伎みたいな格好で、がんばるのか。 頑張ってるよ?なんか30万ぐらいするそうだ。 写真を見ながら考えて欲しい。 今日、これから何十年先までのヒエラルキーが決まるんだ。 この街で生きていく、その何十年の中での『あの時、俺はさー』という武勇伝ができるん
気配りが出来る人は素敵だ。気配りとは空気を察して、周囲の人間に気を使う事だ。商売としてする場合もあれば、見返りは求めず常識としてする場合もある。どちらにせよ気配りは出来た方がいいし、する側が「するのが当然」くらいの気持ちを皆が持てば、良い環境が築けるだろう。しかし、してもらう側が「するのが当然」と思ってしまう事には疑問を感じる。気配りというのは全ての人間に標準で備わっているものではない。無意識で出来る人も、意識しても出来ない人もいる。気配りしているつもりでも気付かれない事もあるし、気付かれない気配りこそが大切だという考え方もある。私は「君は気配りが出来ないから駄目だ」と男性から言われた事がある。理由を聞くと、私は食事の時に自分の小皿にだけ醤油を入れ、そのまま醤油を元の位置に戻していたのだそうだ。その男性曰く「自分が醤油を使ったら相手にも『使う?』と聞くか、黙って相手の小皿にも醤油を入れてあ
歩くことが可能な場所であり、歩くことで明らかなメリットがある(移動時間の短縮が出来る)のだから、エスカレーターを歩く人が出るのは当然。その行動をとどめることは出来ない。「エスカレーター歩くな」派の人って、終電の乗り換えに遅れそうなときでも、今にも漏れそうなウンコを我慢しているときでも、親友が今まさに処刑されそうなときでも、絶対にエスカレーターでは歩かないと言い切れんの? 「エスカレーターあるいちゃだめだって。。。。ごめんよセリヌン。。。」って言えるの? そのような人だけがエスカレーターを歩く人に石を投げなさい。急いでる人はそれぞれ事情があるのかもしれないのにさ。結局、「エスカレーター歩くな」派というのは、俺の正義を他人に強制したいだけなんだよ。急いでいる人の前に立ちふさがったり、口論してまで「歩くな」にこだわるなんて頭おかしい。普通の人はわざわざトラブルを拾いに行かない。だから、一定数の急
2013-06-01 「疑わない」という怠惰について http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.html 読んだ。 ちなみにクソ長いです。 正直、真正面から罵倒したいような気分がないでもないっていうか、別の場所のブコメではほぼ罵倒に近いブコメをつけた。俺はこの人はバカだと思う。バカが言い過ぎなら、考え足らずといってもいい。 ところで、いまの流れだとこの人のことをバカであるとする意見のほうが賛同を得やすいはずだ。しかし俺はひねくれた人間なので、ここで読む人に再考を促す。俺は自分の意見を書くが、それを読んだうえで、もう一度考えてほしい。みんながこの人を叩いていいっていうそういう流れになってるからこの人を叩いているのか、根本的にこの人の言ってることがおかしいから反論されるのか。それとも、実は正しいのは彼であり、俺のほうがまちがっているのか。 まず、
今回の粘着事件のきっかけとなったカントクの発言→「本当にリアルで充実してたら、いちいち差別なんて面倒くさいことやってるヒマありゃしませんし、自分に相応の自信もあるからその必要もない」←完全にまちがい。むしろこの発言自体が差別。— 負け犬ヘタレな自己愛肥大者(笑)さん (@kinoko2002_) 2013年2月25日 という発言をRTしたら藤原氏から @amamako あなたこのツイートtwitter.com/kinoko2002_/st… RTかなにかしてますけど、どこが「差別」でどこが「間違い」なのか説明してもらえますか?そう主張している@kinoko2002_という差別意識の固まりが逃げて答えないものでよろしく。— toshi fujiwara/藤原敏史さん (@toshi_fujiwara) 2013年2月25日 現に必要でしょ?コミュニケーション能力がないならツイッターなんてやめ
ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日本ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある
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