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中世の検索結果41 - 80 件 / 440件

  • 真鍮「中世日本でも利用」奈良大名誉教授ら報告書まとめる:朝日新聞デジタル

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      真鍮「中世日本でも利用」奈良大名誉教授ら報告書まとめる:朝日新聞デジタル
    • 日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 | 2023年度 研究成果 | 国立極地研究所

      日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 2023年4月27日 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所 国立極地研究所の片岡龍峰准教授は、日本の古典籍に残る、過去1400年にわたる「赤気」(オーロラの意)の記録から、太陽活動と地磁気の基本的な変動パターンが読み取れることを明らかにしました。これは、将来起こりうる巨大フレアや巨大磁気嵐への備えとなる重要な知見です。 また、個々の古典籍について、改めて丁寧に見直していくことによって、興味深い記述・表現・絵図が幾つも残されていることも確認されました(図1に一例)。オーロラを見た当時の人々の反応の記録からは、その驚きの表現などに関して、時代によって変わらないこと、あるいは時代によって変わることについて、さまざまなヒントを伺い知ることができます。このような調査は、当時

        日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述 | 2023年度 研究成果 | 国立極地研究所
      • K・HIRAYAMAさんはTwitterを使っています: 「このことについては、以前にもコメントしたことがあったと思うし、俗説だということはかなり広まりつつあると思っていましたが。「たわけ」は、「戯ける」という動詞の連用形の名詞化した言葉で、「ばか、あほう、愚か者」など相手を罵る時に使用される言葉。室町中期の『節用集』(文明本)を始め、」 / Twitter

        • 歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した

          大西巷一:『星天のオルド タルク帝国後宮秘史』連載中 @kouichi_ohnishi 興味を引かれたのでちょっと調べてみた。以下の記事によると12~13世紀頃ボローニャには180基ほどの塔があったらしい。すごいな。富裕市民のステータスシンボルとして競って建てられたが現代では20基ほどが残るのみとのこと。amusingplanet.com/2017/08/the-to… pic.twitter.com/ygQUXpJB7K twitter.com/takasciello/st… 2020-12-10 14:41:22

            歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した
          • 創作界隈でなくとも気になる『西洋の名建築解剖図鑑』がなんか凄い「資料性高すぎ」「また面白そうなものを」

            れな @rena07110 出版社で働いています。ゆとり世代。本と旅とごはん(特に餃子とワイン)が好き。仕事で携わった本のコトや好きなコトやモノついて呟きます。趣味は宝塚観劇とサウナ。マイブームは平沢進氏と妖怪。色々な国に友達がいるので語学や異文化にも興味アリ。色々な方向に少しずつオタクです。(発言は個人の見解で所属を代表するものではありません) れな @rena07110 …また創作界隈の喜ぶ顔が目に浮かぶな… ピラミッドに神殿、宮殿に教会、駅に劇場他世界中の名建築70の歴史と様式、名称に装飾、当時の文化を大解剖!!! 古代に中世、近代まで網羅!資料性高すぎて草 FGO、マイクラ、舞台、ファンタジー映画や小説の副読本に! 『西洋の名建築解剖図鑑 新装版』3/25発売! pic.twitter.com/7sndXf1Kc4 2023-03-27 15:00:47

              創作界隈でなくとも気になる『西洋の名建築解剖図鑑』がなんか凄い「資料性高すぎ」「また面白そうなものを」
            • 「この品切れ重版未定本を重版してくれ、全部買い取ってウチで売り切るから」 書泉グランデが強気すぎる重版実施→すぐに完売して話題に

              東京都千代田区神保町の書店「書泉グランデ」が、復刻を望まれていた品切重版未定本を力技で再重版に持ち込み、さらには完売させてしまった、という出来事が話題となっています。 タワーのように積み重なった『中世への旅 騎士と城』 書泉グランデは、株式会社書泉が神保町に構える大型書店。同社が重版にこぎつけたのは、長らく品切重版未定となっていた『中世への旅 騎士と城(H.プレティヒャ・著/平尾浩三・訳/白水社)』という書籍です。元はドイツで書かれた本で、内容は「中世ヨーロッパの世界観の解説」という専門書。これを日本語訳したものが前述の『中世への旅 騎士と城』で、1982年に発売されました。 重版までの経緯をツイートした作家のSOW(@sow_LIBRA11)さんによれば「この書籍に書かれた情報を基礎として、数多くの日本産RPGやファンタジー作品が創られた。影響を受けていない作品はほぼないと言い切れる、い

                「この品切れ重版未定本を重版してくれ、全部買い取ってウチで売り切るから」 書泉グランデが強気すぎる重版実施→すぐに完売して話題に
              • 【書店がかっこいい話】書泉「『中世への旅騎士と城』再販してくださいよ。ウチが再販分全部買い取って売り切るんで」

                SOW@ @sow_LIBRA11 まぁ解説しますとね。 『中世への旅 騎士と城』というのは、ドイツでは広く知られている、中世ヨーロッパ世界観の解説書なのですが、これが80年代初頭に日本で翻訳版が発売。 これを基礎として、多くのJRPGやJファンタジーが形作られたんですな。 2023-03-21 10:39:17 SOW@ @sow_LIBRA11 要は現在に続くまでの、本邦ファンタジー作品の原典。 孫引きやひ孫引きまで含めれば、影響を受けていないものはゼロと言ってもいい。 それゆえ、最初の版は幻と化してしまい、長く新装版が求められ、2010年頃にようやく発売されるも・・・ 2023-03-21 10:41:20

                  【書店がかっこいい話】書泉「『中世への旅騎士と城』再販してくださいよ。ウチが再販分全部買い取って売り切るんで」
                • 三重県庁にSlack全面導入 自治体初

                    三重県庁にSlack全面導入 自治体初
                  • いわゆる「薩摩隼人」は言うほど「狂戦士」的ではなかったのでは?という話「特筆するほど強かったわけでない」

                    まとめ管理人 @1059kanri そもそも「薩摩隼人」が狂戦士だったか、という部分が既に大きな疑問で、少なくとも戦国期の島津軍というのは現代の一般的(?)認識とは異なり、狂戦士でもなければ、他地域と比べて特筆するほど集団として強かったわけでもない 2023-02-18 22:09:52 まとめ管理人 @1059kanri 現代の極端に戦闘的な「薩摩隼人」イメージは、絶望的な戦況の中で「狂戦士」に成らざるを得なかった西南戦争時の西郷軍のそれを過去に訴求させた面が非常に多いと思っている。太平洋戦争末期の特攻玉砕の日本兵士像が過去に遡及されたようなものかと。 2023-02-18 22:09:52 リンク Wikipedia 薩摩藩 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代の藩。藩庁は鹿児島城(鹿児島市)、藩主は島津家。薩摩・大隅の2か国および日向国諸県郡の大部分(現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部)

                      いわゆる「薩摩隼人」は言うほど「狂戦士」的ではなかったのでは?という話「特筆するほど強かったわけでない」
                    • 明治時代の地図で見た関東の城

                      歴史的農業環境閲覧システムでは明治時代の地図(関東平野迅速測図)を見れるので、城が明治時代はどうなっていたかを見てみた ■歴史的農業環境閲覧システム https://habs.rad.naro.go.jp/habs_map.html?zoom=13&lat=35.46438&lon=139.62533&layers=B0 2023/2/20:9城追加しました。

                        明治時代の地図で見た関東の城
                      • 絵画における「影」の表現を芸術家たちは何世紀にもわたり間違っていた

                        古代ローマ時代以降、ルネッサンスまで絵画に影はほとんど存在しなかったそうです。また、西洋美術以外でも影はほほとんど描かれていません。そんな、絵画の歴史において珍しい存在である「影」の表現方法に存在した間違いを、The MIT Press Readerが指摘しています。 The Art of the Shadow: How Painters Have Gotten It Wrong for Centuries | The MIT Press Reader https://thereader.mitpress.mit.edu/the-art-of-the-shadow-how-painters-have-gotten-it-wrong-for-centuries/ 影の表現は「物理的に間違っていたとしても、人間の視覚的には間違っていないように見える」ことが多くあるそうです。以下はイタリア・フィ

                          絵画における「影」の表現を芸術家たちは何世紀にもわたり間違っていた
                        • 中世オープンワールドRPG『キングダムカム・デリバランス』Steam版が公式日本語対応、吹き替えも。リアルさにこだわった、中世チェコの冒険 - AUTOMATON

                          パブリッシャーのPLAIONは2月13日、『キングダムカム・デリバランス(Kingdom Come: Deliverance)』Steam版の日本語対応を発表した。本日22時に、日本語吹き替え音声や字幕が追加。Steamでも、公式の日本語訳でプレイ可能になったとのこと。 『キングダムカム・デリバランス』は、チェコのスタジオWarhorse Studiosが手がけた、史実ベースのオープンワールドRPGである。本作の舞台は、15世紀のボヘミア王国だ。現在チェコと呼ばれるこの地域は、豊かな資源や文化を背景に、神聖ローマ帝国の中枢として栄えてきた。しかしボヘミア王国の黄金時代は、皇帝チャールズ4世の死をきっかけに終焉。チャールズ4世の後を継いだボヘミア国王ヴェンツェスラウスと、ハンガリー王ジギスムントの政争により、ボヘミア王国は混乱に陥ってしまう。 本作の主人公ヘンリーは、家族や友人と平穏に暮らす

                            中世オープンワールドRPG『キングダムカム・デリバランス』Steam版が公式日本語対応、吹き替えも。リアルさにこだわった、中世チェコの冒険 - AUTOMATON
                          • 移住者に「都会風やめて」 広報誌に提言、福井・池田 | 共同通信

                            Published 2023/02/08 17:15 (JST) Updated 2023/02/09 15:44 (JST) 福井県池田町の広報誌で、移住者への提言として示された「池田暮らしの七か条」に、「都会風を吹かさないよう」「品定めされることは自然」といった表現があり、移住者らから「広報誌の表現として不適切だ」と批判が上がっている。町は「意図が分かるようにするべきだった」としつつ、修正予定はないとしている。 町によると人口は約2300人で、例年約20人が県内外から移住している。 町は、住民から「移住者が共同作業に賛同しない」などと相談を受け、33地区の区長会と協議。区長会は七か条を作り、1月中旬発行の広報誌に掲載された。町ホームページでも公開している。

                              移住者に「都会風やめて」 広報誌に提言、福井・池田 | 共同通信
                            • さまざまな桶狭間

                              桶狭間の戦い桶狭間度:★★★★★ 海道一の弓取りと謳われた今川義元の大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったことから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。 「奥州の桶狭間」人取橋の戦い桶狭間度:★☆☆☆☆ 父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦は終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では

                                さまざまな桶狭間
                              • 研究機関・国立天文台がなんと自らTRPGを開発。ゲーム名は『Sandcastle』、科学が異常発達したファンタジー世界で自由に冒険 - AUTOMATON

                                国立天文台は1月31日、ファンタジーTRPG『Sandcastle』を発表。無料配布を開始した。今後、「科学を楽しむシナリオ」を順次配信していく予定だという。現在公開されているルールブックやシナリオは英語版のみで、日本語版は現在準備中とのことだ。 国立天文台は日本の天文学研究機関だ。大規模な天文観測および研究施設を全国の研究者に提供しており、天文学研究と天文観測機器の開発を広く推進している。技術・設備提供のほかにも、国際協力のもと天文学の発展のために活動をおこなっている研究機関である。 『Sandcastle』は初心者からベテランまでが楽しめる、シンプルで手軽なシステムのTRPGだ。舞台は「Domain」と呼ばれる中世風の剣と魔法のファンタジー世界。魔術師や怪物、エルフやドワーフが登場する、オーソドックスな世界観のようだ。 しかし、科学技術は中世とは思えないほどに発達しており、キャラクター

                                  研究機関・国立天文台がなんと自らTRPGを開発。ゲーム名は『Sandcastle』、科学が異常発達したファンタジー世界で自由に冒険 - AUTOMATON
                                • 「社会正義派」からリベラリズムを取り戻すために必要なこととは 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.740|佐々木俊尚

                                  特集「社会正義派」からリベラリズムを取り戻すために必要なこととは〜〜〜本当の多様性と言論の自由を奪われないために 現代リベラリズムは、このような理念を持っています。 「人々には生まれながらの自由がある。みんなが自分で人生を選択し、自由に生きていくためには、それを妨げるような格差や不公正さを取り除かなければならない」 ところが、本来はリベラリズムを推進するはずだった人たちが21世紀に入って一面的な社会正義を押し付けるようになり、リベラリズムそのものが危機に陥っています。表現の自由を擁護していたはずなのに、キャンセルカルチャーを乱発して自分たちの意に沿わない研究者たちを職から追い払い、昔は宗教保守派が行っていたような性的な表現を抑圧する側にも回っています。 多様性を訴えてきたはずなのに、自分たちが認める一部の「弱者」「マイノリティ」以外の多様性は認めず、意に沿わない思想に対してはきわめて排斥的

                                    「社会正義派」からリベラリズムを取り戻すために必要なこととは 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.740|佐々木俊尚
                                  • 『ヴィンランド・サガ』の歴史学  ヴァイキングの知られざる顔

                                    角のついた兜を被り,手斧を握って,帆走する海賊船でヨーロッパ各地の街や教会を荒らし回る北欧出身の蛮族集団。わたしたち日本人にとってのヴァイキングのイメージは,このようなものではないだろうか。確かに,日本でも親しまれたルーネル・ヨンソン原作のアニメ『小さなバイキングビッケ』(1974〜1975年放映)やカーク・ダグラス主演の映画『ヴァイキング』(1958年公開)で描かれるヴァイキングは,海賊イメージそのものである。 しかし,略奪に見舞われた側が残した記録に基づく海賊のイメージは,間違いではないが,ヴァイキングの一面を捉えているにすぎない。近年の歴史研究によれば,ヴァイキングは,故郷のスカンディナヴィアから海を越えて,東は現在のロシア,トルコ,さらには中央アジアに至るまで,西はスコットランドやアイスランドを越えて北米大陸に至るまでの広大な範囲に定住そして交易ネットワークを築いていたことが強く主

                                      『ヴィンランド・サガ』の歴史学  ヴァイキングの知られざる顔
                                    • スペイン人に滅ぼされ名前を奪われた南米国家の真の名前

                                      共栄主義者トモサカアキノリ @ACINOLI_II 何度も歴史の壮絶な破壊と背徳を眺めてきた 国家を奪われた民族たち タワンティンスーユ(インカ)、ハヴァイッイ(ハワイ)、ケーメト(エジプト)、ラコタ(スー)、ポェ(チベット) 歴史は理念などではない こうではなかった理想があり得る 我々は正しい道とその先へ飛び越えなければならない 2019-02-14 09:34:53 ナフタレン⌬⌬@諦念非人 @LeneC10H8 チェチェンイッツア:聖なる泉のほとりの水の魔法使い(マヤ語) ヤシュチラン:緑の石(同) ウシュマル:三度建てられた町(同) ティカル:水溜りにて(ユカテコ語) パレンケ:柵に囲まれた砦(スペイン語) テオティワカン:神々の都市(ナワトル語) タワンティンスーユ:四つの州(ケチュア語) 2022-01-20 01:10:25

                                        スペイン人に滅ぼされ名前を奪われた南米国家の真の名前
                                      • 「中世ヨーロッパの城のトイレがどこにあるか知ってる?」→こんな構造だったとは… : らばQ

                                        「中世ヨーロッパの城のトイレがどこにあるか知ってる?」→こんな構造だったとは… 中世ヨーロッパのお城に憧れる人は多いですが、現代人が生活するとなると、特に衛生面が厳しいと言われています。 多くのお城に備わっているトイレの構造をご覧ください。 Toilets in a Medieval Castle : Reddit Toilets in a Medieval castle. pic.twitter.com/aG4NsCXC04— Ben Hattie (@Ben_Hattie) December 17, 2022 外壁に出っ張っりがあり、その下の穴から城壁の外に垂れ流し。中世ヨーロッパの多くの城に備え付けられているそうです。 クールなお城ですが、当時の外壁には近寄りたくないかも……。 現代とは大違いですが、これでも城の外に出すだけ衛生面では優秀だったとのこと。 こちらはイングランド、ダービ

                                          「中世ヨーロッパの城のトイレがどこにあるか知ってる?」→こんな構造だったとは… : らばQ
                                        • 科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學

                                          科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ ヒトと自然、これまでとこれから(笹生衛 教授 前編) 神道文化学部全ての方向け Tweet 旱魃(かんばつ)、大雨、洪水。そして都市部への人口集中による感染症の大流行。古代の人々の姿と、現代に生きる私たちの姿はほとんど変わらないことが、古代の遺跡調査と文献史料、そして最先端の科学データを突き合わせたときに見えてくるという。 笹生衛・神道文化学部教授(國學院大學博物館館長)への前後編インタビューで伝わってくるのは、古代の話でありながらどこまでもクリアで、そしてリアルな歴史の肌触りだ。 10世紀に、何かが起きたのではないか――。これは私が20代の頃、古代の集落の発掘調査現場に身を置くようになって抱きはじめた疑問でした。古墳時代からの伝統的な集落のかたちが8・9世紀までは残っていたのに、9世紀の末期から10世紀にかけて、その集落が消滅・分散

                                            科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學
                                          • イタリア人が「ドイツ人」のことを馬鹿にして呼んだ「侮蔑の言葉」(菊池 良生)

                                            ​神聖ローマ帝国の初代皇帝について、世界史の授業などで耳にしたことがあるのではないか。そう、オットー1世である。 11月新刊『ドイツ誕生』では、ドイツをつくった男として知られるオットーの激動の人生から、ドイツ国家の成立までを紹介している。 今回は、オットーが行った第3次イタリア遠征について、本書の第10章を一部抜粋してお届けしよう。 ポー平原の野戦 九六五年一月、オットーがイタリアを引き上げてからたったの数週間足らずでイタリアはまたもや不穏な情勢になってきた。 まず、三月一日、教皇レオ八世が亡くなった。ローマ市民は次の教皇にハンブルクに流されているベネディクト五世の復位を願った。もちろんオットーはこれを拒否する。教皇選出が遅れる。 この混乱を利してパヴィア伯ベルンハルトらの貴族が蜂起した。彼らはコルシカにいるアーダルベルトをイタリア王に担ぎ出した。アーダルベルトの弟グィードもこれに呼応して

                                              イタリア人が「ドイツ人」のことを馬鹿にして呼んだ「侮蔑の言葉」(菊池 良生)
                                            • 西洋人による完全に崩壊してる昔の日本地図がもはやかわいい→でもその分こんな情報も取り出せるんです

                                              ラテン語さん 1/7『世界はラテン語でできている』発売 @latina_sama ラテン語の面白さや、ラテン文学並びにローマ帝国の奥深さを解説しています。東京古典学舎研究員。英検1級仏検1級TOEIC990全国通訳案内士独検2級伊検準2級西検4級中検準4級取得。ラテン語翻訳等のご依頼はDMかlatengosan@ymail.ne.jpにお願いします。note.com/lat rinascimento.co.jp/author/latingo…

                                                西洋人による完全に崩壊してる昔の日本地図がもはやかわいい→でもその分こんな情報も取り出せるんです
                                              • 源頼朝の墓所にはなぜ島津家の家紋が付いている?御家人が西国に移住した理由 鎌倉殿の時代(43)西遷御家人って、知ってますか? | JBpress (ジェイビープレス)

                                                (城郭・戦国史研究家:西股 総生) 大江広元の子孫は毛利氏 鶴岡八幡宮や大倉幕府跡にほど近い山裾に、頼朝の墓所があります。もともとは頼朝の法華堂があった場所ですが、堂が廃れて墓所として伝わっているわけです。 この墓所をよく見ると、丸に十文字のマークがついています。島津家の家紋です。そう、この頼朝墓所は、実は江戸時代に島津家が整備したものなのです。なぜかというと、島津氏が、始祖は頼朝の御落胤だと標榜してきたからです(事実ではありませんが、女好きの頼朝ならありそう、と思われたのかもしれません)。

                                                  源頼朝の墓所にはなぜ島津家の家紋が付いている?御家人が西国に移住した理由 鎌倉殿の時代(43)西遷御家人って、知ってますか? | JBpress (ジェイビープレス)
                                                • 顔面を斧でグサッ!中世ゴットランドの戦いの凄惨な様子を遺骨から復元 - ナゾロジー

                                                  中世ヨーロッパで最も陰惨な戦争の一つとされる「ゴットランドの戦い(the Battle of Gotland)」。 そこで壮絶な死を遂げた男性の顔がこのほど、ブラジル人3Dデザイナーのシセロ・モラエス(Cícero Moraes)氏の手により復元されました。 男性の頭蓋骨には、アゴの左側から口、鼻にかけて斜めにザックリと穴が空いており、これが調査の結果、手斧による一撃で付けられた可能性が示されました。 また、リアルな傷跡と生前の顔の復元により、戦争の悲惨な実態が明らかにされています。 ゴットランドの戦いとは一体どんな争いだったのでしょうか? 研究の詳細は、プレプリントが2022年10月30日付で3Dコンピュータグラフィックス専門誌『OrtogOnLineMag』に公開されています。 Medieval fighter may have died with an ax ‘stuck in hi

                                                    顔面を斧でグサッ!中世ゴットランドの戦いの凄惨な様子を遺骨から復元 - ナゾロジー
                                                  • 「Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの?」「A.江戸幕府がおかしいんだよ」→なにが優れていたのかという知識が集まるまとめ

                                                    源朝臣二郎三郎(内府) @sekaiichibanham Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの? A.江戸幕府がおかしいんだよ これに尽きる 2022-10-29 18:51:20

                                                      「Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの?」「A.江戸幕府がおかしいんだよ」→なにが優れていたのかという知識が集まるまとめ
                                                    • 古代~中世~近代の天文学史にありがちな誤解 - QmQの日記

                                                      プトレマイオスは円をたくさん使うか? まず、プトレマイオスは惑星の黄経の説明には円を二つしか使わない。そんなに円をたくさん使ったら、古代の貧弱な数学では使いこなせません。そして、後世も円の数は増えません*1。「現象に合わせるために円の数を増やして対応したが、複雑になりすぎて崩壊した」といった解説も昔はよくあったのですが、ほとんどフィクションと言って良いと思います。 データに合うだけなのか?円に意味はないか? 各々の円には、割合とはっきりとした意味があります。プトレマイオスも惑星の動きと太陽の動きに関係があることは気が付いており、二つの円の片方は太陽の影響、すなわち地球の自転の効果を表現しています*2。 その結果プトレマイオスの理論は、惑星の距離の変動も正確に再現してくれます。惑星までの距離は当時計測できませんから*3*4、これは奇跡といってよいと思います*5*6。 のちに、コペルニクスはプ

                                                        古代~中世~近代の天文学史にありがちな誤解 - QmQの日記
                                                      • ゲームで表現される「中世の豚」は間違った見た目をしていると研究者が指摘

                                                        鎌倉時代中期に起きた蒙古(モンゴル帝国)による日本侵攻「元寇」を題材としたオープンワールド時代劇アクションアドベンチャー「Ghost of Tsushima」や、ヴァイキングの侵攻が盛んだった9世紀のヨーロッパを舞台とした「アサシン クリード ヴァルハラ」のように、特定の時代を舞台としたゲームは複数存在します。中でも、中世ヨーロッパを舞台とするゲームでは、豚が間違った表現のされかたをしていると、ライデン大学の歴史学者であるピーター・アレクサンダー・ケルクホフ准教授が記しています。 What’s wrong with medieval pigs in videogames? - Leiden Medievalists Blog https://www.leidenmedievalistsblog.nl/articles/whats-wrong-with-medieval-pigs-in-vi

                                                          ゲームで表現される「中世の豚」は間違った見た目をしていると研究者が指摘
                                                        • 失われた世界最古の星空の地図を発見、中世の写本の中に隠されていた : カラパイア

                                                          紀元前2世紀に活躍した古代ギリシャの天文学者、「ヒッパルコス」が作成し、2000年もの間、探し求められてきた世界最古の星空の地図『ヒッパルコス星表(Hipparchus’ Star Catalog)』が、ついに発見されたそうだ。 天体の正確な位置を固定した座標で記録するという人類初の試みだったが、多くの古文書と同様、いつの間に失われてしまい、その後に記された文献の記述によって、その存在が知られるのみだった。 実在を疑う声もある伝説上の星図だったが、このほど再利用された羊皮紙に書かれた中世キリスト教の古い書物の下から、奇跡的にもその写しが発見されたのだ。

                                                            失われた世界最古の星空の地図を発見、中世の写本の中に隠されていた : カラパイア
                                                          • 中世の絵画に描かれるネコがどれもこれもビックリするくらい可愛くない「迫害の歴史と関係がある?」

                                                            Green Pepper @r2d2c3poacco 中世の絵画の中で描かれるネコって可愛い子は殆ど居ないのに、おじさんに抱かれて大注目を集めるこの仔猫はめちゃくちゃいい。こんな可愛い子は初めて見た。 pic.twitter.com/JRfUSHUO1K 2022-10-17 13:57:59

                                                              中世の絵画に描かれるネコがどれもこれもビックリするくらい可愛くない「迫害の歴史と関係がある?」
                                                            • 世界遺産ロンドン塔はどんな場所? 王宮から牢獄まで千年の歴史

                                                              威圧的にそびえるロンドン塔の象徴ホワイトタワー。ロンドン塔で最も古い建造物のひとつ。(LEIVA/ALAMY/ACI) 英国にある世界遺産「ロンドン塔」とは、いったいどんな場所で、どんな歴史をたどってきたのだろうか。 正式名称「国王(女王)陛下のロンドン塔の宮殿および要塞」が、この建造物の役割を的確に表している。 長い歴史の中で改築、拡大を繰り返してきたロンドン塔は、要塞であり、牢獄であり、宮殿であった。王立造幣局が置かれたり、異国の珍しい動物が展示されたりしたこともあった。戴冠宝器(王室の儀式に用いる王冠などの宝器)の保管場所となり、さらには王室が所有する6羽のワタリガラスのすみかでもある。その起源から振り返ってみよう。 テムズ川の要塞 ロンドン塔の起源は1066年のノルマン征服にさかのぼる。ヘイスティングズの戦いでサクソン王ハロルド2世を破ったノルマンディー公は、ウィリアム1世(ウィリ

                                                                世界遺産ロンドン塔はどんな場所? 王宮から牢獄まで千年の歴史
                                                              • なぜスタバのセイレーンは股を広げているのか - 本しゃぶり

                                                                人魚なのに尾が二股に分かれている。 しかもその尾を持ち上げ股を開いている。 どうしてこうなったのか調べてみた。 スターバックスのロゴ 世界で最も有名な人魚と言えば、やはりこいつだろう。 Warszawska róg Szerokiej w Tomaszowie Mazowieckim, w województwie łódzkim, PL, EU. CC0, Public domain, via Wikimedia Commons, Link ご存知スターバックスのロゴである。現在のロゴでは大事なところが色々と隠されているので分かりにくいが、最初のデザインでは人魚であることが一目で分かる。 Chris Brown from Melbourne, Australia, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons, Link 上半身が裸で胸を露出し、二股の尾を自ら持ち上げ

                                                                  なぜスタバのセイレーンは股を広げているのか - 本しゃぶり
                                                                • ナニこれ?奈良市で出土した使いみち不明なものの展示会|NHK 奈良県のニュース

                                                                  奈良市の遺跡で見つかった、使いみちがよく分からず、研究者などが首をひねる出土品ばかりを集めた展示会が開かれています。 展示会は奈良市埋蔵文化財調査センターが開いていて、会場には奈良市の遺跡で発掘された、使いみちや目的が分からない出土品、310点が展示されています。 このうち、平安時代の井戸から見つかった「束ねられた人形」は、当時の男性の顔や名前が書かれた51枚の木片がおよそ8枚ずつにまとめられ、顔が見えない形で重ねられています。 木くぎが打たれるなどしていることから、一見すると呪いの道具にみえますが、病気の回復を願って作られた可能性もあるということです。 また、室町時代から安土桃山時代に作られたと見られる「犬形土製品」は、当時の大坂などで数多く作られていたとみられる、かわいらしい犬の形をした素焼きの土人形です。 犬は子どもを多く産むことから、安産のお守りやおもちゃとして使われていたという見

                                                                    ナニこれ?奈良市で出土した使いみち不明なものの展示会|NHK 奈良県のニュース
                                                                  • 備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!

                                                                    岡山県東部の備前市に位置する伊部(いんべ)地区は、備前焼の窯元が集まる陶器の生産地だ。 中世末期から近世にかけて操業していた古い窯跡があるというので見に行ってみたら、陶片が文字通り山積みになっていて驚いた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県綾瀬市は「どこにでもある風景」を強みにロケ誘致が盛ん > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 備前焼の里「伊部」を歩く 先日中国地方を旅行したのだが、その帰りに少し時間があったので伊部に寄ってみることにした。 以前から備前焼のタンブラーが欲しいと思っていたので

                                                                      備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!
                                                                    • 畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区

                                                                      パレスチナ自治区ガザ地区で、ビザンツ帝国時代のモザイク画を清掃する発見者の男性の息子(2022年9月18日撮影)。(c)MOHAMMED ABED / AFP 【9月19日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)中部でこのほど、5~7世紀ごろのビザンツ(Byzantine)帝国時代のモザイク画が公開された。自分の畑を耕していた農家が発見したという。 発見場所は、緊張した状態となることが多いイスラエルとの境界線から1キロ未満にある。 モザイク画を鑑定したエルサレム・フランス聖書考古学研究所(French Biblical and Archaeological School of Jerusalem)のフランス人考古学者ルネ・エルテール(Rene Elter)氏は、モザイクの保存状態は「完璧」だとしている。 同氏は「極めて質が高い作品で、比較的高級な材料が使われているのは間違

                                                                        畑からビザンツ帝国時代のモザイク画発見 ガザ地区
                                                                      • マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす

                                                                        メキシコ、パレンケの「碑文の神殿」で発見されたマヤ戦士の頭部像。この神殿は7世紀の君主キニチ・ハナーブ・パカルの墓で、最大かつ最も保存状態が良いマヤのピラミッドのひとつだ。(DE AGOSTINI VIA GETTY IMAGES) 長く忘れられていた文明の痕跡は、中米ユカタン半島のあちこちに残されていた。スペイン植民地時代の修道院の地下にも、道路の下にも。その大半は草木に覆われ、ジャングルに埋もれていた。だが1830〜40年代、ユカタン半島を詳細に調査した英国人と米国人の探検家はすぐに、これらの謎に満ちた遺跡が考古学上の重要な宝であることを確信した。 発見された遺跡や工芸品は放棄されて荒廃しており、寺院やピラミッド、芸術品や文字といったそれらの役割は、当時はほとんど不明だった。それでも、米国人探検家のジョン・ロイド・スティーブンスは1841年に、これらは同一集団の人々が生み出したもののよ

                                                                          マヤ人とは何者だったのか? 古代文明の謎を解き明かす
                                                                        • 延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信

                                                                          天台宗総本山の比叡山延暦寺(大津市)の麓にある比叡辻遺跡で13~15世紀の集落跡が見つかり、市文化財保護課が1日発表した。集落跡は推定されていたが、発掘で確認されたのは初めて。香道や茶の湯の道具も出土し、文化的水準が高い人物が居住し、繁栄したことがうかがえるという。 同課によると、遺跡付近は湖上交通による流通の拠点として発展した。平安時代後期からは物資を馬や荷車で京都などへ運搬する「馬借」「車借」が集住。室町時代の史料には、高利貸を示す「土倉」や問屋である「問丸」の記述があり、延暦寺や麓の日吉大社(大津市)の門前町としてにぎわった。

                                                                            延暦寺の麓に中世の集落跡 湖上交通の拠点、繁栄示す | 共同通信
                                                                          • 中世の井戸の底から見つかった遺骨の謎、DNA分析で解明 英

                                                                            (CNN) 2004年、英イングランド東部ノリッジのショッピングモールで、工事に取り掛かっていた建設作業員が、800年前の井戸の底から17体の遺骨を発見した。 成人6人と子ども11人からなるこれらの人物が何者で、なぜ中世の井戸の中に入ることになったのか。そうした疑問は長年にわたり考古学者らを悩ませてきた。骨格をそろえた形で並べる他の大規模な埋葬と異なり、見つかった遺骨の並びは奇妙な位置関係にあり、別の人物同士で混ざり合っていた。これはそれぞれが死亡してすぐ、逆さまの状態で井戸に投げ込まれたためである公算が大きい。 これらの人々が死亡した経緯について理解を深めるため、科学者らは最近になって骨に残る詳細な遺伝物質の抽出に成功。これには近年の古代DNA解析の進展が一役買った。 遺骨6体について遺伝情報を調べたところ、その中の4人には血縁関係があることが分かった。うち3人は姉妹で最年少は5歳から1

                                                                              中世の井戸の底から見つかった遺骨の謎、DNA分析で解明 英
                                                                            • “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」

                                                                              海や湖、河川と人の関係の歴史を探る「水中考古学」。沈没船や水中遺跡のみならず、人間が水とどのように関わってきたかを調査する学問だ。 実は、日本では多くの水中考古学的「発見」があり、海外からも注目されるほどだ。と同時に、それらの遺産を守るうえで大きな課題も抱えている。 では、水底に眠る遺跡が現代人に教えてくれることとは? 水中考古学者の佐々木ランディに話を聞いた。 日本は「水中遺跡」大国だった! ──2022年2月に出版された著書『水中考古学 地球最後のフロンティア』では、水中考古学に対する想いが綴られ、印象的でした。同書で伝えたかったことは何ですか。 一番に伝えたかったのは、水中遺跡が「実はどこにでもあるもの」だということです。同時に、世界的に見て、日本がこの分野で大きく遅れをとっている事実を知ってほしいと思いました。「このまま変化を起こさないと貴重な遺産が失われていく」と。 ですが、ただ

                                                                                “神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」
                                                                              • 中世の修道士、「寄生虫まみれだった」 英研究

                                                                                英ケンブリッジ大学の考古学者らが、中世の修道院の跡地から修道士の遺骨を発掘した/Cambridge Archaeological Unit ロンドン(CNN) 中世イングランドのアウグスティノ修道会の修道士たちは、腸内寄生虫に悩まされる可能性がその他の人々より2倍近く高かったとする研究がこのほど発表された。大半の修道院は洗面設備を有していたが、そうした環境からは予想外の実態が明らかになった。 当時、一般の人々が洗面設備を利用できたケースはまれ。 英ケンブリッジ大学考古学部の研究者らは、地元のアウグスティノ修道会の修道院があった土地から修道士19人の遺骨を発掘した。 これらの修道士の骨盤周辺から採取した土壌サンプルと、町の住民25人のサンプルとの比較により、寄生虫が生活様式の大きく異なる人々の間でどのように蔓延(まんえん)していたかを比べた。町の住民は修道士と同時代の12~14世紀を生きた人

                                                                                  中世の修道士、「寄生虫まみれだった」 英研究
                                                                                • 「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ

                                                                                  トルコ・イスタンブールで一般公開された「地下宮殿(バシリカ・シスタン)」の名で知られる貯水槽(2022年7月26日撮影)。(c)Yasin AKGUL / AFP 【8月6日 AFP】国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産に登録されているトルコ・イスタンブール歴史地域で、「地下宮殿(バシリカ・シスタン、Basilica Cistern)」の名で知られる貯水槽の一般公開が再開された。 この貯水槽は、紀元542年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(Justinian the Great)によって建設された。5年の改修を経て、音と光の演出を楽しみながら涼を味わえる空間となった。 ユスティニアヌス1世の時代に首都だったこの街には、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて建設された貯水槽が100か所以上存在した。(c)AFP

                                                                                    「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ