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太平洋戦争の検索結果1 - 40 件 / 108件

  • 「大東亜戦争」を削除…朝日新聞の言葉狩りに屈していいか 評論家・潮匡人氏インタビュー

    陸上自衛隊の第32普通科連隊の公式Xで「大東亜戦争」の言葉が使われた投稿陸上自衛隊の部隊が戦没者追悼行事への参加を紹介するSNSへの投稿で「大東亜戦争」という言葉を使ったことが、朝日新聞の記事で「政府はこの呼称を公式文書では用いていない」などと批判され、「大東亜戦争」などの表現の削除に追い込まれた。「侵略戦争の正当化」などの批判も出ているが、「大東亜戦争」は使ってはいけない言葉なのか。元自衛官で、旧防衛庁広報誌編集長も務めた評論家の潮匡人氏に話を聞いた。 (菅原慎太郎) 評論家の潮匡人氏――陸自第32普通科連隊が今月5日、硫黄島(東京都)で行われた日米合同の戦没者追悼式典に参加したことを紹介する文章をX(旧ツイッター)に投稿した際、「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」といった表現を使用したために、朝日新聞に批判された 「『大東亜戦争』という言葉に何の問題があるのか。むしろ問題は防衛省・自衛隊側

      「大東亜戦争」を削除…朝日新聞の言葉狩りに屈していいか 評論家・潮匡人氏インタビュー
    • 陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現:朝日新聞デジタル

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        陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現:朝日新聞デジタル
      • 琉球王朝の美術品が米退役軍人の家から発見! 美術館に売ろうとしたが… | 第二次世界大戦中に「消えた」王家の宝

        第二次世界大戦最後の数ヵ月、日本の沖縄諸島は凄惨な戦場となり、かつて当地の支配階級だった王族は戦火を逃れて避難した。その戦闘のさなか、米軍兵士の一団がその王族の御殿を占拠した。御殿の財産管理人は後年、「終戦後に御殿に戻ると、そこに王家の宝物はなかった」と証言している。 沖縄戦から80年近く経過した2023年1月、これらの宝物の一部がマサチューセッツ州の退役軍人宅の屋根裏部屋で発見された。米連邦捜査局(FBI)は2024年3月15日に会見を開いたが、退役軍人の身元は明かさなかった。 退役軍人の男性は2023年に死去している。遺族が屋根裏部屋に遺品整理のために入ると、色鮮やかな絵画や陶器が出てきた。いまにも壊れそうな大きな掛け軸や、精緻に描かれた絵地図も見つかった。遺族はFBIの盗難美術品捜査官チームに通報した。 現場に派遣されたFBIボストン支局盗難美術品部門主任のジェフリー・ケリー特別捜査

          琉球王朝の美術品が米退役軍人の家から発見! 美術館に売ろうとしたが… | 第二次世界大戦中に「消えた」王家の宝
        • 琉球王国の国王の肖像画 アメリカで見つかる 沖縄県に引き渡し | NHK

          太平洋戦争末期の沖縄戦の混乱で行方がわからなくなっていた、琉球王国の国王の肖像画「御後絵(おごえ)」などが、アメリカ国内で見つかり、沖縄県に引き渡されました。県は、琉球・沖縄の美術史や文化史の研究で重要な手がかりになると期待を寄せています。 沖縄県によりますと、太平洋戦争末期の沖縄戦の混乱で行方がわからなくなっていた、 ▽十三代尚敬王と ▽十八代尚育王の 2点の肖像画が含まれています。 いずれも1メートル60センチ四方の大きさで、▽十三代尚敬王は1817年、▽十八代尚育王は1852年の、琉球王国時代に描かれたとみられています。 県は2001年、アメリカのFBI=連邦捜査局に日本国外に流出したとみられる文化財の捜査を要請していましたが、2023年3月、外務省を通じて、アメリカ国内で22点が発見されたとの連絡があり、14日、県に引き渡されたということです。 琉球王国の国王の肖像画は日本国内で現

            琉球王国の国王の肖像画 アメリカで見つかる 沖縄県に引き渡し | NHK
          • 歴史のテストで「日本が国力差を認識していたのにも関わらず対米開戦したのはなぜか。考えを書きなさい」って問題出たんだがクソ問すぎない

            ショーテニング @hairwipedout 歴史のテストで「日本が国力差を認識していたのにも関わらず対米開戦したのはなぜか。あなたの考えを書きなさい」って問題出たんだがクソ問すぎないか 2024-02-29 21:07:04 ショーテニング @hairwipedout リプあんま返せてないですごめん! 数は多くないけど内容が重くて返しきれん 誤解を防ぐために補足すると ・私立です。 ・来週返却されるんで模範回答ツイートすると思います ・問題文は正確には以下(確か) 「なぜ日本は国力差を認識していながら対米開戦に踏み切ったのか。経済断行以外の具体的な 2024-03-01 12:24:30

              歴史のテストで「日本が国力差を認識していたのにも関わらず対米開戦したのはなぜか。考えを書きなさい」って問題出たんだがクソ問すぎない
            • 「マニラ市街戦」追悼 市民約10万人が犠牲 遺族「忘れないで」 | NHK

              太平洋戦争末期にフィリピンの首都マニラで旧日本軍とアメリカ軍による市街戦が始まってから3日で79年となる中、現地ではおよそ10万人の犠牲者を追悼する式典が開かれ、参列した遺族が「犠牲者のことを忘れないでほしい」と呼びかけました。 マニラ市の旧市街にある「マニラ市街戦」の慰霊碑の前では、3日、犠牲者の遺族や学生などおよそ200人が集まり追悼式典が開かれました。 フィリピンでは太平洋戦争末期の1945年2月3日から、マニラ市内を占領していた旧日本軍とアメリカ軍の間で1か月にわたる激しい市街戦が繰り広げられました。 フィリピン当局はおよそ10万人の市民が戦闘に巻き込まれたり旧日本軍に殺害されたりして死亡したとしていますが、犠牲者は戦闘終結後に集団で葬られるなどしたため詳しい身元の特定はいまも進んでいません。 式典では3人の家族を失った男性が慰霊碑に花輪を手向けたあと、「生き残った家族の多くは、殺

                「マニラ市街戦」追悼 市民約10万人が犠牲 遺族「忘れないで」 | NHK
              • 犬アイコンの人「特攻隊員は犬死に」に約5万いいね 。しかし反論含む議論は白熱

                リンク 映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』公式サイト|大ヒット上映中! 映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』公式サイト|大ヒット上映中! 初めて恋をした人は、特攻隊員でしたー。福原遥×水上恒司ダブル主演!SNSで「初めて本を読んで泣いた」「号泣した」と超話題!シリーズ累計発行部数85万部突破のベストセラー、初の映画化決定! 2772

                  犬アイコンの人「特攻隊員は犬死に」に約5万いいね 。しかし反論含む議論は白熱
                • 「原爆はなぜ日本に落とされたか」というテーマでマンガを描いてみた

                  2023年10月30日〜11月7日にかけてツイート連載(ポスト連載)したマンガのセルフまとめです。 多少詳しい方ならすでにご存知の話だと思いますが、自分の論点を整理する事とあえてマンガで語る事にも意義があると思い、書き起こしました。 なかせよしみ @11月3日の第23回いっせい配信「創作同人2023年11月」にて新刊の電子書籍を配信 @yosimin また少し、自分が物事をどう考えているかをまとめたマンガを作成しました。 今回のテーマは… 「原爆はなぜ日本に落とされたか」 その1 「ただの理由」と「正当な理由」(1/2) まずは、話の前提を少し整理 #漫画が読めるハッシュタグ #戦争 #哲学 pic.twitter.com/PwTZmECn3f 2023-10-30 08:24:38

                    「原爆はなぜ日本に落とされたか」というテーマでマンガを描いてみた
                  • 戦後78年 ようやく私は日本人になりました | NHK | WEB特集

                    おびえる表情で写真に映る少女。 去年12月に発見されたその写真は、太平洋戦争下のフィリピンでアメリカ軍が作成した捕虜名簿の中にありました。 当時6歳の少女は、いわゆる「残留日本人」。 国籍がないまま長年フィリピンで暮らし、日本国籍を求め続けてきました。 戦後80年近くがたって見つかった写真はこの夏、84歳になった少女の人生を大きく変えることになりました。 (報道・映像センター 桑原義人、マニラ支局長 酒井紀之) フィリピン南部ミンダナオ島の中心都市、ダバオから車で2時間。 広大なバナナ農園を抜け、さらにそこから険しい山道を登るとー。 竹で編まれた昔ながらの小さな家に、彼女は暮らしていました。 私たちを笑顔で迎えてくれたのが、84歳になったペラヒア・ディアモナさん、日本名、星子ハルコさんでした。 山の斜面に建てられた、水道もガスも無い家からは、ハルコさんが戦後、生活に苦労してきたことがうかが

                      戦後78年 ようやく私は日本人になりました | NHK | WEB特集
                    • いつまで「戦後」やるの?

                      そろそろよくね? ほそぼそとやるのはいいよもちろん ______ バズったから何か書こうかな 年表でも書くか 2023年 |(53年) 1970年 沖縄返還 |(25年) 1945年 太平洋戦争終戦 |(4年) 1941年 太平洋戦争 1937年 日中戦争 1931年 満州事変 |(9年) 1922年 シベリア出兵終わり 1918年 シベリア出兵 1918年 第一次世界大戦終戦 |(4年) 1914年 第一次世界大戦 |(9年) 1905年 日露戦争終戦 1904年 日露戦争 色々 1895年 日清戦争終戦 1894年 日清戦争 20世紀前半は戦争し過ぎだな 20世紀後半はその後悔の半世紀って感じだったけど 現代はもっと現代の戦争を学ぶべきだと思うわ 比較として地震を持ってこようとして調べたんだけど 大災害としての地震ってさ 1896年 明治三陸地震 1923年 関東大震災 1995年 阪

                        いつまで「戦後」やるの?
                      • “日本人を殲滅せよ” アメリカ従軍記者は何を見たのか | NHK | WEB特集

                        80年前の太平洋戦争で、戦場に身を置きながら日米の戦いを記録した人物がいる。タイム誌の記者、ロバート・シャーロッド。彼は、日本兵が命をかえりみずにアメリカ軍に突撃する様子や、勝てないと悟ったときにみずから命を絶つ姿に衝撃を受けた。 シャーロッドが伝えた日本兵の姿は、アメリカ国民にも衝撃を与え、やがて容赦のない激しい攻撃へとつながっていく。当時、アメリカ人ジャーナリストの目から、日本兵はどう見えていたのか。シャーロッドが残した膨大な文書からたどる。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班 村山世奈) ※本文では戦時中の事実を忠実に伝えるため、当時使われていた差別的な表現を原文のまま掲載しています

                          “日本人を殲滅せよ” アメリカ従軍記者は何を見たのか | NHK | WEB特集
                        • 8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)

                          104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球まで食った 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日本に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「食い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのまま食べた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球まで食らいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁

                            8割が餓死・病死、倒れたら自決を “地獄”を生きた104歳元兵士の怒り「検証していない」(毎日新聞)
                          • 尹錫悦・韓国大統領「日本すでに数十回謝罪」 反日利用に反論 - 日本経済新聞

                            【ソウル=甲原潤之介】韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は21日の閣議で、元徴用工問題などの歴史問題に対する自らの立場を表明した。「日本はすでに数十回にわたり、私たちに歴史問題について反省と謝罪を表明している」と述べ、反日を政治利用しないよう呼びかけた。16日の日韓首脳会談で日本から謝罪表明がなかったと国内で反発がある点を意識し「韓国社会には排他的民族主義と反日を叫びながら政治的利益を取ろ

                              尹錫悦・韓国大統領「日本すでに数十回謝罪」 反日利用に反論 - 日本経済新聞
                            • 米紙が振り返る「日本から飛んできた“数百の気球”が米国を脅かしていたときのこと」 | 撃墜されたのは2機のみ、死者6人が出たケースも

                              第二次世界大戦中、日本は米国本土を攻撃すべく、「風船爆弾」と呼ばれる、爆弾を取り付けた気球を大量に飛ばしていた。中国の「スパイ気球」に注目が集まるなか、米紙「ワシントン・ポスト」が「バルーン・ヒストリー」というサブタイトルのもと、この日本の気球について振り返った。 全米各地に現れた気球 アジアからやってきた恐ろしい気球が、モンタナ上空を漂っていた。1944年のことだ。 小さな焼夷弾が取り付けられたこの気球は、モンタナ州の町カリスペル近くの森林地帯に墜落し、くしゃくしゃになっていた。幅10メートルのラミネート紙でできたこの奇妙な機械装置は、1944年12月、2人の木こりによって発見されたのち、連邦捜査局(FBI)と陸軍航空隊によって調査された。気球には、これが日本のものであり、数週間前に日本の工場で製造されたものであることが記されていた。 同じ頃、ワイオミング州のサーモポリスという町の近くで

                                米紙が振り返る「日本から飛んできた“数百の気球”が米国を脅かしていたときのこと」 | 撃墜されたのは2機のみ、死者6人が出たケースも
                              • 90年代に「お蔵入り」した東京大空襲などの証言ビデオ、公開へ前進 都が330人分の意向確認始める:東京新聞 TOKYO Web

                                東京都が1990年代に、東京大空襲など都民330人の戦争体験を証言ビデオとして収録しながら、大部分が非公開になっている問題で、都が全ての証言者に対し、ネットも含めて幅広く公開することへの意向確認を始めたことが分かった。これまで非公開だった複数の証言者は本紙の取材に強く公開を求めており、20年以上続いた「封印」の解除に向け、ようやく動き始めた。(井上靖史、写真も)

                                  90年代に「お蔵入り」した東京大空襲などの証言ビデオ、公開へ前進 都が330人分の意向確認始める:東京新聞 TOKYO Web
                                • https://twitter.com/geo_critique/status/1591182474289483776

                                    https://twitter.com/geo_critique/status/1591182474289483776
                                  • 最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web

                                     太平洋戦争の敗戦直後、太平洋中西部に浮かぶサンゴの島・オーシャン島で日本兵が行った住民虐殺について、元日本兵が書き残していた手記を本紙が入手した。これまで、虐殺事件の具体的経緯は不明な部分もあったが、上官の命令を受け自分が銃を撃つまでの一部始終を苦悩とともにつづっている。専門家は「太平洋地域で起きた紛れもない事実。ただ、この分野の研究者は少なく、一般的にはほとんど知られていない。大変貴重な資料だ」と語る。(山本哲正)

                                      最後の指揮官命令は島民の虐殺だった…元日本兵が書き残した敗戦直後のオーシャン島で起きたこと:東京新聞 TOKYO Web
                                    • https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427

                                        https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427
                                      • インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集

                                        太平洋戦争で日本軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日本軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)

                                          インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集
                                        • 「模擬原爆」の犠牲者を追悼 太平洋戦争末期に米軍が投下 富山 | NHK

                                          太平洋戦争末期、アメリカ軍が訓練のために投下した「模擬原爆」で犠牲になった人たちを追悼する式典が、26日、富山市で行われました。 「模擬原爆」はアメリカ軍が原爆投下の訓練用に作った、長崎に落とされた原爆と同じ形の火薬が詰められた爆弾です。 77年前の昭和20年7月26日午前8時ごろ、富山市豊田本町に投下され、この地区で暮らしていた15人が犠牲となりました。 26日、爆弾が投下された場所の近くに建てられた「平和記念の碑」の前に地元の住民5人が集まり、犠牲者を追悼する式典が行われました。 式典では僧侶がお経を唱え、参加者たちが手を合わせて犠牲者を悼みました。 爆弾で祖父母を亡くし、毎年、式典を主催している鈴木善作さんは「平和の意義を後生に伝えていく機会になると思い、毎年欠かさずやっています。きょう一日だけでも、ご近所の方が爆弾の被害を思い出してくれればよいと思います」と話していました。

                                            「模擬原爆」の犠牲者を追悼 太平洋戦争末期に米軍が投下 富山 | NHK
                                          • 歴史に学ぶ経済制裁、なぜ日中・日米戦争を止められなかったのか?

                                            ロシアによるウクライナ侵攻が続いている。西側諸国は経済制裁を科し、ロシアの侵攻を止めたい意向だが、その効果のほどは明らかでない。実は、満州事変から日米開戦に至る過程で、当時の日本に対する経済制裁が企画・実行された。これらは日本軍の行動をとどめることはできなかった。それはなぜか。経済制裁の歴史を、波多野澄雄・筑波大学名誉教授に聞く。 (聞き手:森 永輔) ロシアによるウクライナ侵攻の終わりが見えない状況です。2月24日から今日まで、この侵攻劇の軍事面・人道面に加えて経済面に人々の目が向けられてきました。経済面の要素の1つに経済制裁があります。今日は、波多野さんの専門である昭和戦史を振り返るとともに、経済制裁が効果を持ったのかどうか伺います。 波多野澄雄・筑波大学名誉教授(以下、波多野):日本が満州事変を起こして以降、日本に対する経済制裁が何度か試みられました。しかし、日本の大陸進出の方針を変

                                              歴史に学ぶ経済制裁、なぜ日中・日米戦争を止められなかったのか?
                                            • 松本人志 ゼレンスキー大統領の米国議会「真珠湾攻撃」演説 「日本人としては受け入れがたい」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

                                              ダウンタウン・松本人志(58)が20日、フジテレビ「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、ウクライナのゼレンスキー大統領が各国議会で演説していることについて言及した。 【写真】ウクライナのゼレンスキー大統領 ゼレンスキー氏は16日の米国議会でオンライン演説に臨み「1941年の真珠湾攻撃を思い出してほしい。空が戦闘機で黒くなった。2001年の米中枢同時テロを思い出してほしい。空からの攻撃で街が戦場と化し、罪のない人々が攻撃を受けた。同じ状況がウクライナでは毎日起きている」と述べて、さらなる支援を求めた。 この演説について、松本は「真珠湾攻撃を出してきたのは引っかかる。日本人としては受け入れがたいところがある」と述べた。第2次世界大戦で日本が米国に対して仕掛けた奇襲作戦だったが「奇襲攻撃だったのは間違いないけど、民間人を巻き込んだわけではない。今回のケース

                                                松本人志 ゼレンスキー大統領の米国議会「真珠湾攻撃」演説 「日本人としては受け入れがたい」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
                                              • 「アメリカ半端ねぇ」東京湾のB-29残骸に見る隠れた先進性 いかに技術のカタマリだったか | 乗りものニュース

                                                戦時中に墜落して東京湾で発見されたアメリカのB-29爆撃機の主脚とタイヤ。詳細を見ると75年以上前に作られたとは思えないテクノロジーが垣間見えました。そこには当時の日本では追いつけなかった先進技術も盛り込まれていました。 海底から見つかった戦争遺物とその正体 2020年11月30日、千葉県木更津沖の東京湾において操業中の底引き網漁船が、水深22mほどの海底で金属製の物体を網に引っ掛けました。このおよそ1tはありそうな大きな塊とタイヤは、後の調査で航空機の主脚、しかも太平洋戦争中に墜落したアメリカの爆撃機、B-29「スーパーフォートレス」の主脚とタイヤであると判明したのです。 拡大画像 「超空の要塞」と呼ばれたアメリカの長距離戦略爆撃機B-29。最高速度は640km/h以上、航続距離は6400km、爆弾は最大9t搭載可能で、搭乗員は11名であった(画像:アメリカ空軍)。 B-29爆撃機は太平

                                                  「アメリカ半端ねぇ」東京湾のB-29残骸に見る隠れた先進性 いかに技術のカタマリだったか | 乗りものニュース
                                                • 日本の沈没潜水艦、慰霊碑除幕 80年後、80人の名刻む―豪:時事ドットコム

                                                  日本の沈没潜水艦、慰霊碑除幕 80年後、80人の名刻む―豪 2022年02月18日15時41分 オーストラリア北部ダーウィン沖で沈没した旧日本軍の潜水艦「伊号第124」乗員の慰霊碑前に立つ山上信吾駐豪大使(左から4人目)ら関係者=18日、ダーウィン 【ダーウィン(オーストラリア北部)時事】オーストラリア北部ダーウィン沖で、太平洋戦争の開戦直後に旧日本軍の潜水艦「伊号第124」が沈没して80年余りが過ぎた。ダーウィンでは18日、乗員80人全員の名前を刻んだ慰霊碑の除幕式が催された。 極東情勢やいかに 米中さや当てに軍艦の日本周回◆真珠湾攻撃80年 伊号第124は開戦から間もない1942年1月、連合国側の重要拠点と見なすダーウィンの沖合を機雷敷設や哨戒のために航行中、豪軍の爆雷などの攻撃を受けて沈没。乗員全員が戦死した。船体は引き揚げられず、遺骨は今も水深50メートルの海底に眠る。沈没の翌2月

                                                    日本の沈没潜水艦、慰霊碑除幕 80年後、80人の名刻む―豪:時事ドットコム
                                                  • 【おんJ民発】架空戦記「新訳 零戦戦記」 でネット小説サイト総合1位目指すで!!【異世界や悪役令嬢はもう飽きた?】 : 野獣先輩が選ぶ!?神SS&日本応援まとめ

                                                    零戦が全く違うコンセプトで作られとったらって話や。 メアド、パス登録して、お気に入り登録、コメントや毎日のアクセスをオナシャス!!🙇‍♂️🌸 https://www.alphapolis.co.jp/novel/31830291/388496851

                                                      【おんJ民発】架空戦記「新訳 零戦戦記」 でネット小説サイト総合1位目指すで!!【異世界や悪役令嬢はもう飽きた?】 : 野獣先輩が選ぶ!?神SS&日本応援まとめ
                                                    • 日米開戦回避へ 望み託した“大統領親書” | NHK | WEB特集

                                                      真珠湾に向けて日本の攻撃機が飛び立ったあと。昭和天皇のもとにある書簡が届けられました。送り主は「アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト」 この親書の背後には、日米の開戦を避けようと最後まで動いた日本人の学者の存在がありました。30年も前から日米開戦を予見したこの学者が、最後に望みを託した“大統領親書”とは。(首都圏局記者 山内拓磨)

                                                        日米開戦回避へ 望み託した“大統領親書” | NHK | WEB特集
                                                      • NT/fiv💉💉| on Twitter: "どこの神社も何もないって言うわけだよな…という史料が見つかったのが本日のハイライト 史料を死守してくれた当時の方々に、改めて感謝していきたい https://t.co/y2Tjs1nvZg"

                                                        どこの神社も何もないって言うわけだよな…という史料が見つかったのが本日のハイライト 史料を死守してくれた当時の方々に、改めて感謝していきたい https://t.co/y2Tjs1nvZg

                                                          NT/fiv💉💉| on Twitter: "どこの神社も何もないって言うわけだよな…という史料が見つかったのが本日のハイライト 史料を死守してくれた当時の方々に、改めて感謝していきたい https://t.co/y2Tjs1nvZg"
                                                        • 旧日本軍が作成 真珠湾攻撃の状況描いた図面 米議会図書館公開 | NHKニュース

                                                          真珠湾攻撃から今月で80年となるのを前に、アメリカの議会図書館は、旧日本軍が作成し、昭和天皇への報告にも使われたとされる当時の攻撃や被害の状況を描いた図面を公開しています。 アメリカの首都ワシントンにある議会図書館が公開した図面は、旧日本軍で当時、真珠湾を攻撃する航空部隊の隊長を務めた淵田美津雄中佐が中心となって作成されたものです。 縦80センチ、横61センチで、真珠湾に停泊していたアメリカ海軍の艦船などへの攻撃や被害の状況が描かれています。 図面には命中した爆弾の種類や魚雷の数に加え、被害の状況についても「沈没」や「大規模な損害」など4段階で記されているほか、艦船の火災の様子も詳細に記されています。 議会図書館は、図面は攻撃後、昭和天皇への報告にも使われたと説明しています。 議会図書館は、真珠湾攻撃から今月で80年となるのを前に、こうした図面などを掲載した特設サイトを開設し、高い関心を集

                                                            旧日本軍が作成 真珠湾攻撃の状況描いた図面 米議会図書館公開 | NHKニュース
                                                          • 「なぜ日本は絶対に負ける戦争に突入したのか」戦争で負けないためにやるべきだったこと ヒントは「大東亜共栄圏」にある

                                                            しかし、なぜ日本は日中戦争の泥沼にはまる中、天然資源の最大の輸入国であり、約8倍の国力を有するアメリカに対する負け戦を始めたのだろうか。日本人にとって特別な意味を持つ戦争である、この太平洋戦争の原因について、国際関係理論(international relations theory)は興味深い示唆を与えてくれる。 リベラリズムの視点からすると、戦前の日本の国内体制は未成熟な民主主義で、好戦的な軍人に文民政府がハイジャックされた結果、非合理的な拡張主義的戦争が起きたということになる。 ドイツの哲学者カントは『永遠平和のために』で、平和の条件として、民主主義(共和政)、経済的相互依存、国際制度の3点を挙げたが、少なくとも、当時の日本はそのうちの一つの条件(この際、民主主義)を十分に満たしていなかったということである。 石油全面禁輸で「戦争をするしかない」と考えるように 政治学者のジャック・スナ

                                                              「なぜ日本は絶対に負ける戦争に突入したのか」戦争で負けないためにやるべきだったこと ヒントは「大東亜共栄圏」にある
                                                            • 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 開戦(前編)」 - NHKスペシャル

                                                              新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 開戦(前編)」初回放送日:2021年12月4日 歴史の大きなうねりを「個の視点」から「複眼的」に捉え直すシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」。エゴ・ドキュメントと呼ばれる当時の日記や手記から、戦争の新たな断面に迫る。前編では、アメリカ文化に親しみをもっていた市民や、戦力差も踏まえ日米開戦を避けようとしていた国のリーダーたちが、なぜ戦争へと向かっていったのか、その心の変化を見つめていく。

                                                                新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 開戦(前編)」 - NHKスペシャル
                                                              • 開戦 太平洋戦争 ~日中米英 知られざる攻防~(後編) - NHKスペシャル

                                                                私たちは本当にこの世界を知っているでしょうか。激変する社会、生きる人々のリアル、そして大自然のスペクタクル。地を這う取材と圧倒的な映像、想像を超えたストーリー体験があなたの生き方をも変えるはずです。

                                                                  開戦 太平洋戦争 ~日中米英 知られざる攻防~(後編) - NHKスペシャル
                                                                • 【独自入手】太平洋戦争で精神疾患 元日本兵の追跡調査資料 | NHKニュース

                                                                  太平洋戦争などで精神疾患となった元日本兵100人余りについて、戦後、追跡調査した資料をNHKが独自に入手しました。資料には症状の原因となった戦場での過酷な体験や戦後も差別を受けた実態が記されています。 この調査は日中戦争や太平洋戦争の際、精神疾患となった兵士を収容していた千葉県の病院に勤務した精神科医の目黒克己さん(88)が昭和40年までに行ったもので、104人の元兵士から聞き取りなどをした調査資料は800ページ余りに上ります。 調査の結果、4分の1にあたる26人は戦後およそ20年がたってもPTSD=心的外傷後ストレス障害とみられる症状などが残っていました。 資料には発症の原因となった戦場での過酷な体験が記され、このうち中国で従軍していた元兵士は、ゲリラを討伐するためとして集落を襲った時のことを語っていました。 地下室で人の気配がしたため手投げ弾を投げ入れたということで「地下室をのぞいたと

                                                                    【独自入手】太平洋戦争で精神疾患 元日本兵の追跡調査資料 | NHKニュース
                                                                  • 米国人に「日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか」と聞かれたら、どう説明しますか? | 日本とアメリカの終戦記念日は違う

                                                                    日本の終戦記念日は8月15日だが、アメリカでは日本が降伏文書に署名した9月2日を「戦勝記念日」としている。そのアメリカに住んでいると、日米開戦の引き金となった真珠湾攻撃について尋ねられることがある。ニューヨーク在住で日米中の歴史に詳しい作家の譚璐美氏は、つい先日もそんな質問を受けて……。 留学前に日本の歴史を学ぼう コロナ下の東京オリンピックが終わり、間もなく終戦記念日がやってくる。日本では8月15日、ラジオで昭和天皇が玉音放送を行い、「ポツダム宣言」を受諾したことを国民に告げた日を終戦記念日としている。これに対してアメリカでは、9月2日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号の甲板で、日本が連合国軍に対して降伏文書に署名した日を「戦勝記念日」としている。 私が長年アメリカに住んでいるせいか、日本の大学生からしばしば、「アメリカへ留学したいのですが、どんな準備をしたらよいですか?」と聞かれること

                                                                      米国人に「日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか」と聞かれたら、どう説明しますか? | 日本とアメリカの終戦記念日は違う 
                                                                    • 東京五輪・パラ 観客入れ開催の方向で最終調整へ | NHKニュース

                                                                      東京オリンピック・パラリンピックは、観客を入れて開催する方向で最終調整されることが大会関係者への取材で分かりました。政府は16日、緊急事態宣言などが解除された場合の大規模なスポーツイベントなどについて、1万人を上限とする経過措置を講じることを決めていて、東京大会の観客数も、こうした政府の基準に準じて大会組織委員会や政府、IOCなどが近く会談を開き判断する見通しです。 東京オリンピック・パラリンピックの観客をめぐっては、IOCや組織委員会などが、ことし3月、海外からの観客の受け入れ断念を決め、その後、国内の観客の扱いが焦点となっていました。 こうした中、政府は16日、イベントの開催制限について、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置を解除した場合でも、大規模なスポーツイベントなどでは1万人を上限とする経過措置を講じたいという方針を政府の分科会に示し、了承を得ました。 組織委員会の橋本会長は、これ

                                                                        東京五輪・パラ 観客入れ開催の方向で最終調整へ | NHKニュース
                                                                      • 旧日本軍を学ぶためにおすすめ本 - ぱやぱやくん日記

                                                                        今回については「旧日本軍」を学ぶための本を5冊紹介しようと思います。私は日本軍の兵器や軍服ではなく、組織論や生活史などが好きなため、あまり軍事に知識のないビジネスマンや学生でも読みやすいと思います。旧日本軍を学ぶことは現代の日本組織を知るためにも有用なので、ぜひ手に取ってみてください。 紹介アイテム失敗の本質(戸部良一 他共著)日本軍と日本兵 米軍報告書は語る(一ノ瀬俊也)一下級将校の見た帝国陸軍(山本七平)総員玉砕せよ!(水木しげる)静かなノモンハン(伊藤桂一) 失敗の本質(戸部良一 他共著) まず最初に「失敗の本質」を紹介します。こちらの本はノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦という大東亜戦争における6つの作戦の失敗の原因を掘り下げ、「日本軍の敗因の組織論的考察」から「日本企業・日本の組織が陥りがちな点」を考察しています。 人間関係の

                                                                          旧日本軍を学ぶためにおすすめ本 - ぱやぱやくん日記
                                                                        • 【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】-大量生産ノウハウの蓄積の観点から-

                                                                          HIROKI HONJO @sdkfz01 【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】 -大量生産ノウハウの蓄積の観点から- 《はじめに》 太平洋戦争は、航空戦力の優劣が勝敗を決する最も重要なファクターの一つとなった戦いであり、日本も乏しい国力を挙げて優秀な航空機の開発に邁進しました。 pic.twitter.com/p2JeveLF1C 2021-03-13 17:01:12

                                                                            【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】-大量生産ノウハウの蓄積の観点から-
                                                                          • 東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で:東京新聞 TOKYO Web

                                                                            東京都が記録した東京大空襲など戦争体験の証言ビデオ300本以上が倉庫に放置され、活用されない状態が20年以上続いている。当初展示予定だった「都平和祈念館(仮称)」の建設計画は凍結。都は別の方法での公開には「本人同意が必要」とする一方、意向確認は進めていない。10日で大空襲から76年。証言者が高齢化する中、「無責任」と批判の声が上がる。(岡本太)

                                                                              東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で:東京新聞 TOKYO Web
                                                                            • 「最初のUFO事件」は日本軍潜水艦がキッカケ? 全米が戦慄した「ロサンゼルスの戦い」 | 乗りものニュース

                                                                              世に「UFO」という言葉を広めた「ロズウェル事件」からさかのぼること5年あまり、記録に残る最初のUFO事件といえる大騒ぎがLAで起きていました。引き金を引いたのは旧日本海軍の潜水艦 伊十七とか。その顛末を追います。 発端は日本軍からの「クリスマスプレゼント作戦」か 「ロサンゼルスに空襲警報!」「敵機数25!」――まだ真珠湾攻撃の衝撃が冷めやらぬ1942(昭和17)年2月25日午前1時44分、ロサンゼルスのアメリカ陸軍 防空レーダーが西方約190kmの地点に、アメリカ本土へと接近してくる未確認飛行物体を探知します。それらは日本軍機と見なされ、「敵機来襲!」の警報が発せられて、沿岸の対空砲陣地や戦闘機基地が迎撃態勢へ。サンタモニカでは実際に赤く光る飛行物体が視認され、陸軍第37沿岸砲兵旅団が対空射撃を開始し、陸軍航空隊からは迎撃機が発進しました。 アメリカ西海岸の人口約150万人を抱える大都市

                                                                                「最初のUFO事件」は日本軍潜水艦がキッカケ? 全米が戦慄した「ロサンゼルスの戦い」 | 乗りものニュース
                                                                              • 太平洋戦争開戦当日の大阪毎日新聞夕刊、北九州で見つかる | 毎日新聞

                                                                                岩下さんが父親から引き継いで保管していた太平洋戦争開戦を伝える大阪毎日新聞夕刊。左上に「第六版」と記されている=北九州市八幡東区で2020年12月5日午後0時39分、奥田伸一撮影 79年前の太平洋戦争開戦(1941年12月8日)当日、大阪毎日新聞社西部支社(現毎日新聞西部本社)が発行した夕刊の最終版「第六版」が、北九州市八幡西区の元会社員、岩下安宏さん(82)宅で保管されていた。1面に「帝国遂に対米英宣戦布告」の見出しを張って、旧日本軍の米ハワイ・真珠湾攻撃や昭和天皇の宣戦布告詔書を掲載しており、社内に現存しない紙面。歴史的な出来事を伝えると共に、新聞が戦意高揚の一翼を担ったことが読み取れる。 新聞は配布地域ごとに記事の締め切り時刻を設定しており、第六版は締め切りが最も遅く、最新のニュースが掲載された。小倉北区の西部本社には、締め切りが最も早い「第三版」のみが保存され、同じ日の夕刊でも記事

                                                                                  太平洋戦争開戦当日の大阪毎日新聞夕刊、北九州で見つかる | 毎日新聞
                                                                                • 海底に眠るUボート 終戦直後の「禁断の出撃」|戦跡 薄れる戦争の記憶 NHK|

                                                                                  海底に眠るUボート 終戦直後の「禁断の出撃」(2018年8月6日 福井局 影山遥平記者) 京都府舞鶴市沖の海底でことし6月、72年ぶりに姿が確認された戦跡があります。旧日本軍の潜水艦「呂500」、別名「Uボート」です。 同盟国だったドイツから譲渡されたもので、戦後GHQによって海に沈められました。しかし取材を進めると「呂500」は、終戦後、意外な行動をとっていたことがわかりました。当時の混乱の中で、何が起きたのか。

                                                                                    海底に眠るUボート 終戦直後の「禁断の出撃」|戦跡 薄れる戦争の記憶 NHK|