ヒャノス @Dehya_is_Goddes アサクリにおけるその国の当時の建築物って目を見張るものがあって専門家にも関心されてるんだけどトレーラーののここは既にヤバいよな 信長の側近っぽいのが信長と同じ段に座っちゃってるしなんか謎に畳だし畳も正方形だし pic.twitter.com/iQMGurf9tA 2024-05-19 17:21:34
日本の安土桃山時代を舞台に、忍と侍のふたりのメインキャラクターの視点から、まったく新しいプレイ体験が堪能できるシリーズ最新作『アサシン クリード シャドウズ』(以下、『シャドウズ』)。 “コードネーム RED”の名で発表されていたが、このたび正式タイトルが公表され、発売日が2024年11月15日予定であることが明らかになった。対応ハードは、プレイステーション5、Xbox Series X|S、PC。 プレイヤーの分身となるのは、オリジナルキャラクターの伊賀の忍・奈緒江(なおえ)と、織田信長に仕えた異人の侍・弥助(やすけ)のふたり。奈緒江は伊賀者にして抜きんでた技量を持つ忍/アサシン。しかし、とある勢力により故郷を滅ぼされ、父も無残に殺害されてしまう。遺された奈緒江は、父とのある約束を果たすため旅立つのだった。一方、弥助は実際に歴史に名を遺す屈強なアフリカ人の侍。主君である織田信長を死に追い
それによりますと、この書状は今の岐阜県の美濃地方を治めていた戦国武将の斎藤道三が近隣の地域の領主に宛てたもので、その内容や署名などから、1552年ごろに書かれたと見られるということです。 道三は、織田信長に自分の娘・濃姫を嫁がせています。 書状では、「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記したうえで、信長について「若造で至らない点もあるがご容赦いただき末永くつきあってほしい」と伝えています。 信長の人生を側近がまとめた文献「信長公記(しんちょうこうき)」ではこの書状が書かれた時期に道三は若き信長と初めて面会し、その奇抜な身なりや言動で周囲から「うつけ者」と呼ばれていた信長の才能を見抜いたとされています。 村井准教授は「道三の書状はあまり残っておらず信長に言及していることも珍しい。書状には、道三が信長のことを大事に思い気にかけていることがはっきりと記されていて『信長公記』の記
定説では「長宗我部氏の本流は途絶えた」とされていますが……©コーエーテクモゲームス All rights reserved.こちらは前田利家の陣跡に設置された周遊サイン! そして前田利家陣跡! 立派な石垣もあって「陣というより、もはやお城じゃん」という感覚になってしまいました。 他にも豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、石田三成、加藤清正など錚々たる面子が集結しており、まさに戦国オールスター! そして名護屋城跡には今回はじめてお邪魔したのですが、めちゃくちゃデカくてびっくりしてしまいました。 それもそのはず、当時大坂城に次ぐ全国2番目の規模のお城で、日本の100名城にも選ばれているお城が名護屋城なのであります。 天守台から見た風景。眺めは最高なんだけど、海が目の前で風がすさまじいので、「こんな所で暮らすの大変ですね」って言ったら、学芸員の方も「やはり風を嫌ってか、豊臣秀吉は本丸に住まずにすこし下
徳川家康の人生最大の危機ともいわれる「神君伊賀越え」に同行した忍者のひとり服部保次(やすつぐ)が、室町将軍、足利義昭の配下として護衛役や諜報活動を行った経歴があることが最新の研究で明らかになった。隠密裏に諜報や工作を担う性質上、忍者の経歴が記録されることは少ないが、複数の書状の分析などから判明した。徳川家康と足利義昭という戦国の巨頭のはざまで生きた忍者は、二重スパイをしていた可能性もあるいう。 愛知県で9月開催された国際忍者学会に合わせ発刊された会誌に、奈良県の歴史作家、上島秀友氏の論文「『服部保次』考」が掲載され明らかになった。 国際忍者学会の大会で発表する上島秀友氏=9日、愛知県常滑市保次は1526年、伊賀(三重県)生まれ。65年から家康に仕え、信長が明智光秀に討たれた82年の本能寺の変の混乱の中、家康が遊覧先の堺から領国の三河(愛知県)に逃げ帰る「伊賀越え」で活躍したとされるが、詳細
徳川家康が本能寺の変の知らせを聞いて大阪から愛知県の岡崎城まで3日で帰ったという「伊賀越え」を徒歩で再現する旅に出ています。1日目は大阪府四條畷市の四條畷神社から京都府宇治田原町の山口城(別名:宇治田原城)まで移動したので、その過程をまとめてみました。 ◆1日目の予定ルート 1日目は四條畷神社を出発し、家康が通ったと伝わる「尊延寺道標」と「草内の渡し場跡」を経由して、家康が宿泊した「山口城(別名:宇治田原城)」まで行きます。 ◆スタート地点の四條畷神社へ移動 家康は本能寺の変が発生した際に堺周辺を観光しており、四條畷神社に訪れていた際に信長の死を知ったとされています。そこで、今回の旅は四條畷神社をスタート地点に設定しています。四條畷神社の所在地は以下。今回は電車で四條畷駅まで行き、そこから徒歩で四條畷神社まで移動しました。 駅から四條畷神社本殿に向かう途中の鳥居。 この階段を上れば、すぐに
6月25日、NHK大河ドラマ『どうする家康』の第24回「築山へ集え!」が放送された。世帯平均視聴率は10.0%だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。 家康(松本潤)は、正妻・瀬名(有村架純)が「築山」(瀬名の住む屋敷)に、敵である武田家の重臣らを招いていることを知る。このことが信長(岡田准一)に知られてはまずいと、築山に踏み込んだ。 だが、瀬名は「戦い、奪い合うのではなく与え合う。互いの国が、慈愛の心で結びついて大きな国をつくれば、織田も手出しはできない。そういう国をつくりたい」と、壮大な “謀(はかりごと)” を話す。 それを聞き入れた家康は、武田勝頼(眞栄田郷敦)と手を結ぶが、やがてそれは信長の耳にも入りーーという話が展開された。 「家康が正妻の築山殿(瀬名)と嫡男・信康を死に追い込んだとされるのが、世に言う『築山事件』です。築山殿が武田側と内通していることを、信康の妻である徳姫(ド
雪かき職人 @matsugae02 @eqNdk6QOVO7p2kh @Hashira_EKT 現代の銃器に置き換えるとショットガンのスラッグ弾を極端にしたような性能で、50m以内だと威力は現代のライフル弾をも超える事も。ただし命中精度や距離による減衰はまったく現代銃器に勝てないってのが銃器雑誌の検証のテンプレですかね 2020-01-25 21:10:33 皮算用(半地下ニバル) @kawazanyou_exe @eqNdk6QOVO7p2kh 現代でいうところのスラッグ弾みたいなモノなので、甲冑でフル武装した相手を鎧ごと叩き潰す威力ならあったみたいです。 但し火薬は当時国内で量産出来なかったので(一向衆は除く)いつでも運用出来る訳ではなかったようです。 2020-01-25 18:43:29
» 【徳川家康ゆかりの品】愛知県 知多銘菓『生せんべい』のルーツを調べたら涙した / 若かりし家康との切ない恋からうまれた生菓子です 特集 2023年のNHK大河ドラマは『どうする家康』。その関係で、ただいま日本には大・家康ブームが訪れているはずだ。 このビッグウェーブに乗ってご紹介したいのが、愛知県 知多の名物『生せんべい』。 家康ゆかりの品である餅っぽい食感の和菓子なのだが、それだけじゃない。まるで人魚姫のような、甘く切ない恋物語をきっかけに作られるようになったのだ。 ・徳川ゆかりの『生せんべい』 ここ最近の愛知県の土産物店では、「徳川ゆかりの地」というポスターとともに、それっぽいパッケージのお菓子やら雑貨やらが並べられている。 中にはイラストや名前だけで中身は無関係なことも多いため、話半分ぐらいで眺めていたところ……ガチのガチで超ゆかりがあるお菓子を発見してしまった。 それが『生せん
「忍術使い」ではなかった服部半蔵 服部半蔵は「忍者」として暗躍していたような印象を抱かれがちですが、実際の働きはやや異なります。 家康に仕えた服部半蔵こと服部正成は、服部家で半蔵を名乗る2代目で、徳川十六神将のひとりに数えられる“鬼の半蔵”と呼ばれた勇猛な武将でした。ただ、家康から伊賀や甲賀の忍びを預けられ、その指揮官であったことは事実のようなので、その意味では「忍者」の棟梁ではあります。しかし彼自身が忍術を使っていたわけではありません。 正成(半蔵)が歴史上の記録に登場するのは、家康が鵜殿長照を攻めた上之郷城の戦いです。「16歳の初陣ながら敵将を討ち取り、家康から盃と槍を賜った」とあり、この戦いでは甲賀者が投入されて鵜殿長照の息子2人の確保に成功します。『どうする家康』でもこの場面は描かれていましたが、実際に正成が関与したかどうかは定かではありません。 この戦いを経て正成は、家康の親衛隊
戦国時代で最も優れた戦術家は誰か。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「それは毛利元就だろう。元就は圧倒的に兵力差のある戦闘にも勝ち続けた。一方、天下統一を果たした徳川家康にはそうした華々しい戦績はなく、戦術面では平凡な武将だった」という――。(第2回) 【画像】本郷和人『徳川家康という人』(河出新書) ※本稿は、本郷和人『徳川家康という人』(河出新書)の一部を再編集したものです。 ■2度と博打的な戦をしなかった織田信長 基本的に戦いは、兵力が多いほうが勝つ。この原則を踏まえた上で、優秀な兵器をそろえて、そしてしっかりとご飯を食べさせる。そうして戦っていくわけです。 だから戦国大名たちも富国強兵を進めて領民を増やし、商業を振興した。そうして兵を増やし、金を儲けて優秀な武器を購入する。またしっかりと食糧を整えて戦いにのぞむ。そうしたことができる人が優秀な戦国大名であって、三国志の諸葛孔明(
やわた・かずお/1975年東京大学法学部卒。同年、通商産業省(現・経済産業省)に入省。1980年から1982年までフランス国立行政学院(ENA)留学。国土庁長官官房参事官、通産省大臣官房情報管理課長を歴任後、1997年に退官。現在は徳島文理大学教授を務めるほか、作家、評論家としても活躍。テレビ朝日「朝まで生テレビ」、TBS「サンデーモーニング」など数多くの番組に出演。著書に『世界と日本がわかる最強の世界史』『日本の総理大臣大全』『令和太閤記 寧々の戦国日記』『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』『家系図でわかる 日本の上流階級』『世界史が面白くなる首都誕生の謎』『日本人のための日中韓興亡史』『江戸三百藩の通知表』『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』『江戸時代の「不都合すぎる真実」 日本を三流にした徳川の過ち』など。 ニュース3面鏡 インター
2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」です。主人公徳川家康は最初、今川義元の人質扱いになっていますが、戦国時代初心者には、そもそも、どうして家康が義元の人質なのか?よく分からない方もいるでしょう。そこで今回は家康が義元の人質にならざるを得なかった経緯を分かりやすく解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(
武田信玄といえば、武田騎馬軍団です。そもそも海がない山梨の大名である武田信玄なので陸戦部隊が有名なのは当然ですが、実は信玄には武田水軍という海の部隊が存在した事実を御存じでしょうか? 今回のほの日では、知られざる武田水軍について解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業
織田信長といえば、楽市・楽座、鉄砲の集中運用や関所の廃止など、独創的な事業を次々に起こし創造的破壊者と呼ばれる事が多いですね。しかし、近年の研究では信長の事業のほとんどに先駆者がいて、信長はそれらを研究し、より上手に模倣したから成功したという説も出てきているのです。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC
影武者といえば武田信玄や徳川家康で有名です。また「元の木阿弥」という慣用句は、筒井順慶の父に声が似ていた木阿弥という男が病死した順慶の父として振る舞い順慶が元服するまで影武者を務めたという逸話から来ているそうです。それはそれとして、この影武者本当にいたのでしょうか?そして、どの程度似ていたのでしょう? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作
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2022年は本能寺の変から440年というメモリアルイヤー。リレー連載「天下布武の創り方~信長クリエイターに訊く『コンテンツとしての織田信長の魅力』」では、ゲーム、マンガ、ソーシャルゲーム、ライトノベル等、これまでの「信長像」に新たな視点を加えてきた気鋭のクリエイターたちに取材。第3回は、戦国の世を乱舞した、茶器とそれを好む“数奇者”からみた歴史を描いた大作漫画「へうげもの」の作者・山田芳裕氏のインタビューをお届けする。 本当に、心の底から欲しい、欲しい! と、思う物に出会ってしまった時、人はどのような顔をしてしまうのか――。 「へうげもの」(「ひょうげもの」と読む)は安土桃山時代に信長、秀吉、家康に仕えた武将、茶人・古田織部の人生を描く歴史長編漫画。安土桃山文化にスポットが当てられた作品となっている。戦国時代を血の色に染めた武人達の活躍は隅に追いやられ、そこにあるのは安土桃山文化に対する強
今から450年近く前、天下統一を進めていた戦国大名・織田信長に気に入られ、近臣となったアフリカ出身の黒人侍がいた。イエズス会の宣教師に連れられて来日した男性の名は、弥助。その数奇な人生を題材に、米動画配信大手「ネットフリックス」で2021年春にアニメシリーズが配信され、米ハリウッドでは映画化の動きもある。なぜ今、「Yasuke」は注目されているのか。魅力を探った。【後藤豪】 “史上最強の浪人”ヤスケが主人公 ネトフリが配信 アニメの舞台は、群雄が割拠する戦国時代の日本。史上最強の浪人ヤスケは、戦いの日々を経て一度は隠居の身となったが、地元の村が大名たちの争いの戦場となる。邪悪な力と血に飢えた武将たちの標的となった不思議な少女を護送するため、ヤスケは再び刀を手に取ることに――。 ネットフリックスのアニメシリーズ「Yasuke -ヤスケ-」のシーズン1は、昨年4月29日に世界で全6話が同時配信
ロシアのウクライナ侵攻には絶対反対なのだけど、 自分の中で三国志や日本の戦国時代の話が好きなことに矛盾のようなものを感じる。 『ローマ人の物語』のハンニバル戦記はめちゃくちゃ興奮して友達にまで読むことをすすめた。 中国で制作された Three Kingdoms は、まさにこういうものが観たかったを具現化してくれた。 もちろん、それらの話は戦争という究極の状態で人間がどのように考え行動をするかに焦点が当てられ、戦争というものを推奨しているわけではないことはわかっている。 あくまでも人間ドラマ、なのだ。 とするなら、現在起こっちゃってるウクライナ侵攻をプーチンやゼレンスキーやバイデンやマクロンの人間ドラマとして楽しんじゃってもいいの? 過去に起こった戦争はもう死傷者が増えることがないからエンタメとして楽しんでいいけど、 現在起こっている戦争はリアルタイムに人が死んでるから楽しむのは不謹慎? 戦
三好長慶の直系の子孫、喬さん。手に持っているのは伝来の茶器「富士の水差」と、来歴が書かれた箱のふた=広島市の自宅 16世紀半ば、最初の天下人になった徳島ゆかりの戦国武将三好長慶(1522~64年)の直系子孫が、現在も広島市に住んでいる。15代目の三好喬(たかし)さん(80)だ。長慶の死去後も三好家は存続し、子孫は織田信長や豊臣秀吉に仕えた。江戸時代は広島藩主浅野家の要職を歴任し、藩主一族が養子に入ったほどだ。喬さんは長慶や信長、秀吉らの手紙などを大切に守っており、来年の長慶生誕500年を控え、家の重みをかみしめている。 喬さんによると、長慶の跡継ぎは養子の義継(よしつぐ)で、3代目の生勝(なりかつ)も養子。生勝は信長に仕えて河内国で5490石を与えられた。秀吉にも仕え、関ケ原の戦いの後は豊臣秀頼に属して北政所に仕えた。その後、旧知の福岡藩主黒田長政の家臣を経て、初代広島藩主浅野長晟(ながあ
黄金伝説がある岐阜県白川村の山岳地帯に、外敵の侵入を防ぐ堀切の跡などが残っていることがテレビ愛知の歴史番組で判明し、岐阜県はこの場所を城跡として遺跡登録しました。 遺跡登録されたのは、世界遺産で知られる合掌造りの集落から8kmほど南にある標高622mの地点です。 まるで畝(うね)のように波打った地面…。 テレビ愛知ではこれまで2回にわたって専門家と現地調査を行いました。 「ここで一段上がる、この幅が堀の幅ということになります」(城郭考古学者 奈良大学文学部文化財学科 千田嘉博教授) 「単なる堀切じゃなくて竪堀まで落としている」(滋賀県立大学考古学研究室 中井均名誉教授) 調査では急斜面を登ってくる敵の横移動を阻む竪堀や、尾根伝いに攻めてくる敵を足止めする堀切が確認され、防御機能を備えた山城の跡であることが分かりました。 番組ではここに監視などを行う櫓が建っていたと推定しています。 この結果
2021年上半期、現代ビジネスで反響の大きかったベスト記事をご紹介していきます。今回は2020年10月25日・2021年2月7日の2度にわたって掲載された〈豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!〉をご覧ください。 * * * 行軍する兵士たちの消費エネルギーから排泄物の量まで計算して「中国大返し」の難易度を検証した『日本史サイエンス』が、日本史ファンの間で話題を呼んでいる。「科学的」に導かれたのは、「中国大返しを実現させた豊臣秀吉は、本能寺の変が起こると事前に知っていた」という意外な結論だった。はたして、秀吉は明智光秀の裏切りを察知していたのだろうか? 「本能寺の変」研究のトップランナーである三重大学の藤田達生教授が、この結論を徹底検証した。 実際の行程を推定してみる 本能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大
日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。 秀吉にはこのとき、布教
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "天海=明智光秀説" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年3月) 南光坊天海=明智光秀説(なんこうぼうてんかい=あけちみつひでせつ)は、江戸時代初期、幕政に大きな影響力を持っていた僧・天海と、戦国武将の明智光秀は同一人物であるとする説。フィクション等でも採用され、広く知られているが、専門の歴史家の著した書籍で事実と扱われたものはなく、信憑性はかなり低いとされている。 概要[編集] 天海は高名な僧であるにもかかわらず前半生は詳細に知られておらず、第12代将軍足利義晴の子であるとか、古河公方足利高基の子であるなど、様々な説が
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切腹が武士の死にざまになったの何時から 「武士の自決」と言えば「切腹」というイメージですね。でも、一体いつから武士の自決が切腹となったのでしょうか? 確かに、武士が日本史に登場した頃から、戦に敗れ、万策尽きた時(逃げ場もなくなる等)、武士は覚悟を決めて「自刃じじん」はしていました。 ですが、切腹とは限りません。むしろ、切腹より、頸動脈を斬るとか、太刀や刀を逆さに床に着け、倒れ込むようにして心臓を突く等が主流でしたし、松永久秀などは、切腹どころか、火薬による爆死を選択しています。戦国時代、武士は、潔さは愛しましたが、死に至るまで、時間が掛かり苦しみ抜く、切腹はあまりしていません。 では、いつから、武士の自決が「切腹」になったか? 【秀吉の備中・高松攻め】 織田軍司令官の一人、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が毛利方の高松城を水攻めしている時、信長が本能寺に倒れた知らせが届きます。秀吉は急ぎ毛利方と講
だんちょう @no_yabo アルメニア国防省長官「今日、私たちはカラバフで戦術的に撤退し、敵はその放棄された場所を占領しようとして罠にはまり撃退され、最後には逃げ出しました」 アルメニアが戦術的撤退したとされる地域に残した軍事物資等、アルゼ軍がこれらを鹵獲して勝利を確信しているところを包囲・逆襲したと…。 twitter.com/ParssPlus/stat… 2020-10-06 02:45:45 Pars Plus @Pars_Pluss Ermenistan Savunma Bakanlığı Sekreteri: "Bugün Karabağ'da taktiksel şekilde geri çekildik. Düşman terk edilmiş konumları işgal etmeye çalıştı ve tuzağa düştü. Düşman kaçtı."
【間もなく再放送】 [NHKBSプレミアム] 2020年09月16日 午前8:00 ~ 午前9:00 (60分) 戦国時代の越前・一乗谷に都さながらの都市を築いた大名・朝倉義景。その力を頼ってきたのが将軍候補・足利義昭。義景に軍を率いて上洛し幕府再興を助けるよう求めてくる。 エピソードへ 出演者ほか 【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】呉座勇一,真山仁,中野信子,【語り】松重豊 詳細 織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、天下人への道を歩み始めたことは有名だが、信長の前にそのチャンスを得た大名がいた。越前の国主で、一乗谷に都さながらの都市を築き繁栄を謳歌していた朝倉義景だ。義景は義昭に軍勢を率いて上洛するよう求められるが、みすみす好機を逃してしまう。その後は義昭を奉じる信長と対立、2度も信長を倒すチャンスを手に入れるが果たせず、ついに滅ぼされてしまう。義景失敗の理由を探ってゆく。
戦記物といいますか、逆行転生系(タイムスリップをして過去に生まれ変わる作品)で歴史物のおすすめを挙げます。 作品を以下のように分類していますが、このジャンル分けは私独自のものです。 逆行転生→架空の人物に転生 逆行憑依→史実の人物に転生 逆行転移→普通のタイムスリップ すごくおすすめの3作品 前世知識と郷土愛で美濃焼を世界一に 陶都物語~赤き炎の中に~ 陶都物語~赤き炎の中に~ (HJ NOVELS) 作者:まふまふ発売日: 2017/05/22メディア: Kindle版 https://ncode.syosetu.com/n9077df/ WEB版:エタり気味 書籍版:打ち切り コミカライズ版:なし 種別:逆行転生 チート:なし 幕末の貧農に転生した主人公が、前世知識と郷土愛で美濃焼を世界一に、と奮戦する話。 知識チートで無双、という感じでなく、悪戦苦闘というか波乱万丈というか。 ビジネ
『公研』2020年2月「めいん・すとりいと」 呉座 勇一 今年のNHK大河ドラマは『麒麟がくる』。主人公は明智光秀である。昨年から今年にかけて、例によって大河ドラマ関連本が多数刊行された。 明智光秀は謎の多い人物である。その前半生も本能寺の変の動機も、いまだ定説を見ない。光秀に関する史料が乏しく、歴史学界でも結論が出せないため、作家や自称歴史研究家が「謎解き」に多数参入している。ゆえに、今回の大河ドラマ関連本は、例年以上に玉石混淆である。 特に私が懸念しているのは、明智光秀の末裔を称する明智憲三郎氏の活動である。明智説の問題点については、拙著『陰謀の日本中世史』(KADOKAWA)や現代ビジネスのインタビュー「この国に陰謀論が蔓延する理由」、日経BizGateのインタビュー「『本能寺の変』のフェイクニュースに惑わされる人々」などで論じたので、ここでは再説しない。 明智憲三郎氏の問題は、明智
文系の雑学・豆知識 歴史、美術、文学、言葉、文化についての雑学・うんちく・豆知識・トリビアを集めたサイトです。気になった記事や文章を個人のメモとして投稿しています これから『戦国武将勢力地図』に従って、各武将の栄枯盛衰の有様を年次時系列にご案内します。これは戦国時代百年の領土支配圏の推移を地図上に表したものです。その領土争奪戦・国取りの歴史をご覧ください。 戦国時代の区分定義について 本稿では戦国時代の区分定義を、明応2年(1493)の『明応の政変』から天正19年(1591)の『天下統一』までの約100年間としていますが、その前後に応仁・享徳の乱・関が原の合戦・大坂の陣を加えています。 資料について 編纂の参考とした資料は、主に郷土資料『都府県史』です。今やっと45都府県史を整理し終えたところですが、この段階ではまだまだ細部に多くの不明箇所が残っています。今後さらなる充実を図るため、郷土資
「初撃は何があっても避けろ」我々取材陣を前に、一人の武術家は語った。 彼の名は横山雅始氏。氏が提唱する『総合実戦護身術“功朗法”(こうろうほう)』は海外の警察組織でも指導され、世界中から横山氏のもとに格闘家たちが教えを請いに集まっている。 槍の演武を披露する横山雅始氏。 さらに武術家たちの間だけでなく、武術監修の側面から映画やアニメといった界隈からも横山氏の知見を求めて相談がくるという。 「古武術の9割が、平和な江戸時代の発祥」と語る横山氏が、失われてしまった戦国時代の戦う技術を探求するためにとった手段は「戦国時代さながらの“ガチの合戦”を再現する」というものだった。 写真:ガチ甲冑合戦 – 日本甲冑合戦之会 横山氏の呼びかけで開催された『ガチ甲冑合戦』。参加者は、実際の戦国時代の侍さながらに鎧に身を包んで模擬の刀や槍を振り回して“ガチ”で合戦を楽しむこの取り組みは、これまでに大小含め25
はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日本における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日本人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日本人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと
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