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日本史の検索結果161 - 200 件 / 1053件

  • 1300年以上前の絵画を「発見」、日本最古級か 黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認 滋賀・甲良の寺(京都新聞) - Yahoo!ニュース

    赤外線で撮影された西明寺本堂内陣の西柱の菩薩立像。太い筆線など随代の描式を伝えているという(安嶋教授提供) 湖東三山の一つ、西明寺(滋賀県甲良町池寺)の本堂内陣の柱絵を調査・分析していた広島大大学院の安嶋(あじま)紀昭教授(美術学史)は9日、絵は飛鳥時代(592―710)に描かれた菩薩(ぼさつ)立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表した。834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した。 【画像】日本最古級の絵が潜んでいた真っ黒にすすけた柱 菩薩立像は、本堂内陣の本尊・薬師如来像前にある西柱と南柱に描かれていた。柱は黒くすすけ、これまで何が描かれているのか分からなかったが、昨年6月、周囲の仏像を移動させ、高さ3~4メートルに描かれた絵を赤外線で撮影することができた。 分析の結果、両柱(直径約45センチ)には、菩薩立像が4体ずつ描かれていた。薬師如

      1300年以上前の絵画を「発見」、日本最古級か 黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認 滋賀・甲良の寺(京都新聞) - Yahoo!ニュース
    • 「日本のシンドラー」杉原千畝は誇大視されているのか? | ユダヤ系メディアが分析

      いまや「日本のシンドラー」「東洋のシンドラー」として日本国内外で知られる杉原千畝。だが、日本では杉原の物語が誇張され、ナショナリズムに利用されているとの指摘も研究者らから出ている。ユダヤ系メディア「ジューイッシュ・テレグラフィック・エージェンシー」の記者が杉原をめぐる最近の研究を紹介しつつ、岐阜県八百津町にある杉原千畝記念館も現地取材した。 東京は2021年に五輪が開催される数年前からすでに、世界に示す国家イメージを作り上げていた。 東京都教育委員会は、都内の公立学校に配布した資料で、「(生徒の)日本人としての自覚や誇りを高める」ための「先人の優れた業績」を紹介している。 この4ページの資料の大半を占めるのが、外交官の杉原千畝の物語だ。杉原は1940年、ヨーロッパを逃れようとしていたユダヤ人のために命を救うビザを何千も発給した人物だ。この資料は杉原の生涯と行動をドラマティックに再現しており

        「日本のシンドラー」杉原千畝は誇大視されているのか? | ユダヤ系メディアが分析
      • 江戸時代の武家のボーナス支給明細も 古文書2300点余発見 愛知 | NHKニュース

        愛知県豊田市にある寺のふすま絵の下張りから、江戸時代前期の武家の帳簿や証文など大量の古文書が見つかりました。今でいう“ボーナスの支給明細”のような文書もあり、当時の武家の財政事情や暮らしぶりがうかがえる貴重な資料として注目されます。 古文書が見つかったのは徳川家康の重臣、渡邉守綱の菩提寺で、豊田市にある守綱寺です。 本堂にある狩野派の絵師が描いたとされる「松に禽鳥図」という8枚のふすま絵の修復作業を行っていたところ、下張りから2300点余りにのぼる古文書が見つかりました。 これらの古文書を近世の歴史を研究している愛知県立大学の大塚英二教授らが調べたところ、最も古いものは江戸時代初期の1636年のもので、売り掛けの帳簿や証文など使い終わった紙を、ふすまの下張りとして再利用していたとみられるということです。 中には「仕着代・鼻紙代」として、12月に今でいう“ボーナス”を支給した明細のような文書

          江戸時代の武家のボーナス支給明細も 古文書2300点余発見 愛知 | NHKニュース
        • 延暦寺焼き討ち450年 信長・光秀の子孫が法要に初めて参列 | NHKニュース

          織田信長による延暦寺焼き討ちから450年となり、12日、大津市の比叡山延暦寺で行われた法要に信長と明智光秀の子孫が初めて参列し、ともに犠牲者を悼みました。 比叡山延暦寺は、戦国時代の元亀2年9月12日に起きた信長と家臣の光秀らによる焼き討ちで多くの犠牲者を出し、毎年法要を行ってきました。 焼き討ちから450年となることしは、延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄が亡くなって1200年の節目と重なることから、「相手を許すことで、うらみを無くす」という最澄の教えに基づき、焼き討ちの犠牲者をともに悼もうと、信長と光秀の子孫を初めて招きました。 法要には、信長の子孫の織田茂和さんと、光秀の子孫で作家の明智憲三郎さんが参列し、僧侶がお経を読み上げる中、2人は焼香をあげたあと、供養塔に手を合わせて深々と頭を下げ、犠牲者を悼んでいました。 このあと、開かれたシンポジウムで織田さんは「延暦寺から話をいただいた時

            延暦寺焼き討ち450年 信長・光秀の子孫が法要に初めて参列 | NHKニュース
          • 古墳壁画・埴輪に見る日本古代女性装束(高句麗も少し)と、古墳時代の女性の髪型、古墳島田、巫女の出で立ちについて

            逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634 【領(えり)のはなし】古代女性装束篇ダイジェスト(1) ブログには、埴輪とかの領って盤領とも方領とも違うんではないだろうか、いまの和装のようなまっすぐな襟ではないのでは?という仮説を書いています。 pic.twitter.com/KrhL09ScEj 2020-08-15 19:52:36

              古墳壁画・埴輪に見る日本古代女性装束(高句麗も少し)と、古墳時代の女性の髪型、古墳島田、巫女の出で立ちについて
            • 松江で石敷き護岸跡発見 出雲国風土記に記載、古代「渡し場」の一部か | 中国新聞デジタル

              出雲国風土記(733年)で「朝酌渡(あさくみのわたり)」と記される渡し場があったとされる松江市朝酌町の大橋川北岸で、7~8世紀の石敷き護岸跡が見つかった。島根県埋蔵文化財調査センターが23日、古代の船揚げ場などがあった可能性が高いと発表した。 護岸跡は、国土交通省の大橋川河川改修事業に伴う朝酌矢田II遺跡で出土。現在もある渡船「矢田の渡し」の船着き場のそばで、南北11メートル、東西20メートルの調査範囲全体にわたって、人の頭からこぶしほどの大きさの石が人工的に敷き詰められていた。7世紀後半から8世紀末のものと推定される。 石は、5度程度の傾斜のスロープ状に敷かれ、低くなった水際は粒が大きくまばらになっている。同センターは「風土記に記された朝酌渡の一部で、船揚げ場や船着き場、荷揚げ場があった可能性が高い」と説明。「当時の景観や交通史、護岸施設の構築技術を伝える貴重な遺構」としている。 朝酌渡

                松江で石敷き護岸跡発見 出雲国風土記に記載、古代「渡し場」の一部か | 中国新聞デジタル
              • 奈良・中尾山古墳、被葬者が文武天皇と確定的に 八角形墳と確認、全容明らかに | 毎日新聞

                奈良県明日香村教委と関西大は26日、中尾山古墳(同村平田、8世紀初め)の発掘調査で、墳丘が正八角形の八角形墳と確認したと発表した。世界遺産登録に向けた初の本格調査で、3段築成の墳丘の周囲に3重の石敷きを巡らせていたことや、埋葬するための石室の具体的構造など全容が判明した。八角形の墳丘は飛鳥時代後半の天皇陵の特徴で、701年に大宝律令を制定したことで知られる文武天皇(683~707年)が被葬者であることが確定的になった。 1974年の調査で、八角形墳との推定や横口式石槨(せっかく)(石室)を持つ火葬墓であることなどが指摘されていたが、詳細は不明だった。

                  奈良・中尾山古墳、被葬者が文武天皇と確定的に 八角形墳と確認、全容明らかに | 毎日新聞
                • 新たな書状発見 豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」 | NHKニュース

                  豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」と指摘しています。 その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。 秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。 村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが

                    新たな書状発見 豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」 | NHKニュース
                  • 蛇行剣、刀と剣のハイブリッド 富雄丸山古墳、30日から初公開

                    奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半、円墳)で出土した国内最大の蛇行剣は、クリーニングの結果、剣の特徴である突起がある一方で、刀の特徴であるくさび形の柄頭が付いていたことが分かった。奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が26日、発表した。 同研究所は「剣と刀のデザインを併せ持つハイブリッド構造だ。古墳時代中期以降に盛んになる刀装具と剣装具はこのようなものから分化していく可能性が考えられる」としている。蛇行剣は30日から研究所付属博物館で初めて一般公開する。 剣身を収めるさやは広葉樹のホオノキ製で、全長約2.5mに復元できる。剣先側のさや尻には、さやが直接地面に付かないように保護するための細長い石突(長さ18.5cm)があり、刀剣のさやでは初確認とみられる。長大な蛇行剣を立てて使用することも想定した構造という。さや尻とさや口には黒漆が塗られ、文様もあった。 また剣を握る柄は全長38cmとみ

                      蛇行剣、刀と剣のハイブリッド 富雄丸山古墳、30日から初公開
                    • フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者

                      ──フランスのどちらで生まれ育ったのですか。 フランスの南部にアルビという都市がありますが、そこから車で15分くらいのラバスティード-ガボスという、人口400人ほどの田舎で生まれ育ちましたので、けっこうな田舎者です。 そんな環境でしたので、家族も周りの人も、極東に関する知識はあまりないというか、日本と中国の区別もつかないレベルでした。高校で日本について習ったことはありましたが、本当に関心を持っていたとは言えません。 高校3年生のとき、アルビの書店で『日本語のまねきねこ』という日本語の教科書を見つけ、「面白そうだな」と買いました。最初は独学で、やがて日本の大学で学ぶことになりました。そもそもは日本語という言語に魅力を感じて始めた勉強だったんです。 ──その後、歴史の研究者を志されたわけですが、何か決定的な本との出会いがあったりしたのですか。 いろいろな本を読んで歴史への好奇心が出てきたのです

                        フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者
                      • 読者が変えたベストセラー――『日本国紀』元版と文庫版を検証すると(前編)|じんぶん堂

                        記事:幻戯書房 『もう一つ上の日本史』と『日本国紀』単行本・文庫版 書籍情報はこちら 2021年11月17日、百田尚樹著『[新版]日本国紀』(幻冬舎文庫)という本(全二冊)が出版されました。三年前に出た同著者による『日本国紀』という本の文庫版で、カバーや帯、版元の公式サイトには「当代一のストーリーテラーによる日本通史の決定版」「知られざる史実と感動の歴史秘話が満載」「満を持して、待望の文庫化!」「大増量150ページ!! 著者こだわりの超大幅加筆により新しく生まれ変わった、令和完全版!」などという、思わず胸が高鳴るような文言が並んでいます。 今年に入り、この文庫本(以下「文庫版」)の刊行予告がアナウンスされて以来、私にはずっとその存在が気にかかってきました。というのは昨年(2020)、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート 古代~近世篇』『近代~現代篇』という、『日本国紀』(以下「元版

                          読者が変えたベストセラー――『日本国紀』元版と文庫版を検証すると(前編)|じんぶん堂
                        • 無秩序な日本中世を振り返り、現代の当たり前を見直すエンタメ歴史ノンフィクション──『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』 - 基本読書

                          室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界― 作者:清水克行新潮社Amazon最近日本に住んでいるフランス人や中国人YouTuberだったり海外YouTuberの動画をだらだらと見ていることが多いのだが、同時代を生きていたとしても国ごと、コミュニティごとで常識は異なっていて、なんで日本の店はきんきんに冷えた水が出てくるの?? とか、そうした違和感を聞くのがおもしろい。どちらが良い/悪いという話ではなく、どちらにもその土地の歴史や風習と絡み合ったものであって、「は〜そういう考え方があるんだなあ」と当たり前だと思ってきたものを見直すことができる。 で、そうした違和感や驚きを得られるのは、時代が離れた同じ国の中でも同じことである。本書『室町は今日もハードボイルド』は、日本の中世史を専門として『耳鼻削ぎの日本史』や高野秀行との共著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』で知られる学者の清

                            無秩序な日本中世を振り返り、現代の当たり前を見直すエンタメ歴史ノンフィクション──『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』 - 基本読書
                          • 佐藤賢一の中の人 on Twitter: "伊能忠敬による測量データと現在のデータの照合をしていたら、どうしても鳥海山の標高が合わない。鳥海山から18kmの近距離で測量していたはずなのになぜか角度が1度近くも狂っている。確認したら、伊能が象潟付近を通過した前後、鳥海山は活発に噴火活動していたのでそのせいだと予想が付いた。"

                            伊能忠敬による測量データと現在のデータの照合をしていたら、どうしても鳥海山の標高が合わない。鳥海山から18kmの近距離で測量していたはずなのになぜか角度が1度近くも狂っている。確認したら、伊能が象潟付近を通過した前後、鳥海山は活発に噴火活動していたのでそのせいだと予想が付いた。

                              佐藤賢一の中の人 on Twitter: "伊能忠敬による測量データと現在のデータの照合をしていたら、どうしても鳥海山の標高が合わない。鳥海山から18kmの近距離で測量していたはずなのになぜか角度が1度近くも狂っている。確認したら、伊能が象潟付近を通過した前後、鳥海山は活発に噴火活動していたのでそのせいだと予想が付いた。"
                            • 【科学が立証】豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は正しかった(藤田 達生) @gendai_biz

                              行軍する兵士たちの消費エネルギーから排泄物の量まで計算して「中国大返し」の難易度を検証した『日本史サイエンス』が、日本史ファンの間で話題を呼んでいる。「科学的」に導かれたのは、「中国大返しを実現させた豊臣秀吉は、本能寺の変が起こると事前に知っていた」という意外な結論だった。はたして、秀吉は明智光秀の裏切りを察知していたのだろうか? 「本能寺の変」研究のトップランナーである三重大学の藤田達生教授が、この結論を徹底検証した。 実際の行程を推定してみる 本能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大返し」だった。それは、秀吉が中国地方の毛利氏攻略のため布陣していた備中高松城(岡山県岡山市)から、光秀との決戦の場となった山崎(京都府大山崎町)までの常識を超えた高速の行軍だったとされている。

                                【科学が立証】豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は正しかった(藤田 達生) @gendai_biz
                              • 吉原遊廓は悲惨だったが、江戸にはそれよりもっと残酷で無常な夜鷹という存在がいた

                                ぼうくん | VoQn 🎨 @VoQn 遊郭に目をやるばかりに当時もっと残酷で無常な夜鷹の実態に意識が行かないのって、現代に通じる寓話性がある。 (繁華街のいかがわしい店舗を潰してったら余計に劣悪な立ちんぼ増えたみたいな) 2024-02-06 20:33:55 ぼうくん | VoQn 🎨 @VoQn 公娼制度の是非はあれども、飯盛女(って体裁にされた実務不透明な街娼)の制度の歪みと、被雇用者ですらない夜鷹などの存在を作ってしまったあたりの部分がホントの反省材料なんと思います。 2024-02-06 20:58:34

                                  吉原遊廓は悲惨だったが、江戸にはそれよりもっと残酷で無常な夜鷹という存在がいた
                                • 「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断

                                  日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。 秀吉にはこのとき、布教

                                    「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断
                                  • 浅井長政 姉川の戦い後も信長にとって脅威か 書簡見つかる | NHKニュース

                                    NHK大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する戦国時代の大名、浅井長政が、姉川の戦いで織田信長に敗れたあと京都の寺に送った文書が見つかりました。寺への支配を示す内容で、専門家は、「長政が敗れたあとも京都に影響力を残し、信長にとって脅威になっていたことを示す貴重な資料だ」と指摘しています。 この文書は京都市左京区の寺、勝林院で見つかり、近江の戦国大名、浅井長政の研究を続けている滋賀県長浜市の太田浩司学芸専門監が調べた結果、花押や内容から長政がこの寺に送った「安堵状」と判断されました。 安堵状は、幕府や領主が支配下にある寺院などに対し、領地を保証するために発行したもので、今回見つかった文書には「領地異議あるべからず候」と記されています。 この文書が書かれたのは西暦1570年にあたる元亀元年の11月で、長政はこの5か月前に姉川の戦いで織田信長と徳川家康の軍勢に敗れています。 中世の歴史に詳しい関西学

                                      浅井長政 姉川の戦い後も信長にとって脅威か 書簡見つかる | NHKニュース
                                    • 源実朝は「政治嫌いだが歌は天才、悲劇の芸術家将軍」…というのは正しいか?歴史の人物像を洗い直す

                                      歴史上の人物像は、やはりややもすると、よりドラマチックに語られがちなのかもしれませんね。「和歌」の評価も、さまざまな研究で変わっていくのだとか。

                                        源実朝は「政治嫌いだが歌は天才、悲劇の芸術家将軍」…というのは正しいか?歴史の人物像を洗い直す
                                      • アサシンクリードから広がる、世間に流布する弥助に関する情報の怪しさについての議論まとめ

                                        リンク Wikipedia 弥助 弥助(やすけ、生没年不詳)は、戦国時代の日本に渡来した黒人男性。宣教師の護衛、従者、または奴隷として戦国大名・織田信長に謁見し、気に入られたことで彼の家来として召し抱えられた。 弥助の出自については、フランソワ・ソリエが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。イエズス会のイタリア人巡察師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた使用人で、出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている。 戦国時代、ポルトガルやスペインなどヨーロッパ人が日本を 59 users 475 ラム・マイヤーズ @laymans8 弥助のwiki、参照付けておきながら不正確な引用多い。 「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(

                                          アサシンクリードから広がる、世間に流布する弥助に関する情報の怪しさについての議論まとめ
                                        • 「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

                                          「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)年名称概要1531年享禄・天文の乱浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。1532年北部九州天文の乱大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。1533年稲村の変安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。1536年花倉の乱駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。1537年河東の乱北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。1542

                                            「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)
                                          • 福岡県の県名の由来となった岡山県の福岡へ

                                            1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:120年に一度?凶事の前兆?竹が開花し枯れた > 個人サイト オカモトラボ なぜか福岡県の県名は岡山県内に由来する 都道府県は47あるが、その都道府県の「県名」はそれぞれの土地に由来することがほとんどだ。 しかし福岡県の「福岡」は、他県の、岡山県内にある福岡という場所から付けられたそうだ。 その時は「へー」と思っただけだったが、改めて考えてみると不思議だ。なぜ県名を遠い場所の地名から付けたのか、空間がねじ曲がってつながっていたりするのか。 調べてみようと岡山県内で福岡という地名がある岡山県瀬戸内市(せとうちし)へと向かった。 岡山県の地図でいうと、だいたいこのへんだ。 瀬戸内市は岡山市の中心市街地からおよそ車で50分ほ

                                              福岡県の県名の由来となった岡山県の福岡へ
                                            • 鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来 沈没船のいかり引き揚げ 長崎 | NHK

                                              700年以上前、鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来し、長崎県の松浦市沖で沈没した船のいかりを引き揚げる作業が行われました。 鎌倉時代に中国大陸で支配地域を広げていた元が2度にわたって日本に攻め込んできた「元寇」では当時「神風」とも言われる暴風雨で沈んだとされる元の船が長崎県松浦市の離島、鷹島の沖合の海底で発見され、周辺が国指定の海底遺跡になっています。 1日はこの海底遺跡のすぐそばで確認されていたいかりの一部を引き揚げる作業が行われました。 松浦市の担当者や研究者などが見守る中、水深20メートルの海底から長さ1メートル70センチ余りの木材部分が引き揚げられました。 表面は木目がはっきりしていて石を通していたとみられる穴も確認されました。 松浦市などはいかりに続き、船本体の引き揚げも目指すことにしています。 引き揚げ作業を主導した國學院大学の池田榮史教授は「海面から出して折れたり欠けたりしないか

                                                鎌倉時代の「元寇」で日本に襲来 沈没船のいかり引き揚げ 長崎 | NHK
                                              • 琵琶湖の水位が下がっている今しか見られない遺跡があるらしい

                                                変わった生き物や珍妙な風習など、気がついたら絶えてなくなってしまっていそうなものたちを愛す。アルコールより糖分が好き。 前の記事:大根のかつら剥きはたった一日でもそこそこできるようになる > 個人サイト 海底クラブ 水位がここまで下がるのは14年ぶり 琵琶湖の水位が低い状態が続いている。 2021年は秋の台風シーズンにたいして雨が降らず、それ以降も降水量の少ない状態が続いているのが原因だ。 基準水位マイナス70センチよりちょっと上のあたりでふらふらする現在の水位。 水位がここまで低下するのは平成19年以来のじつに14年ぶりなのだそうである。 そんなわけで最近の関西では滋賀県知事が連日のように節水を呼びかけ、「琵琶湖の水止めたろか!」という脅し文句が冗談ではすまなくなってきている。 たいへんだ。 歴史をさかのぼれば平成6年にもマイナス123センチという、琵琶湖の底の栓が抜けてしまったのではと

                                                  琵琶湖の水位が下がっている今しか見られない遺跡があるらしい
                                                • 日本一売れている学習まんが『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』電子版全24巻を無料公開しました。 | 小学館

                                                  圧倒的支持を受ける学習まんがの金字塔を無料公開! 株式会社 小学館は、新型コロナウィルス感染症拡大による休校要請を受け、家庭学習を行う小・中・高校生への自宅学習支援として、学習まんが『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』(全24巻)電子版を無料公開しました。 ▼▼▼全巻無料公開はこちら▼▼▼ 【『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』電子版無料本棚ページ https://kids-km3.shogakukan.co.jp/ 【期間】2020年3月11日(水)〜4月12日(日) 「小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史」とは 発売以降、37年間ずっと愛され続け、2020年にはついに累計2020万部を突破した、日本で最も売れている学習まんがです。各巻各章に迫力ある「パノラマ大画面」を使って当時の生活や文化、合戦などの様子を再現。カラーページも多く各時代の様子をリアルに体感できます。 『小

                                                    日本一売れている学習まんが『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』電子版全24巻を無料公開しました。 | 小学館
                                                  • ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー

                                                    ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー 写真:Werner Forman/Universal Images Group/Getty Images ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子著『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(中公選書)は、書名の通り、大航海時代まっただ中の16世紀――日本では戦国時代――に、多くの日本人がポルトガル商人たちによって世界各地へ奴隷として売られていたことの実証研究をまとめたものである。旧版は好評を得て5刷と広く読まれたが、増補新版ではイエズス会の日本人奴隷取引とのかかわりや、秀吉の朝鮮出兵によって長崎市場が朝鮮人奴隷だらけになったことなどに関する研究を補章として加え、旧版以上に驚くべき内容となっている。 東京大学大学院情報学環(史料編纂所兼任)の岡美穂子准教授に、この時代の日本/日本人の奴隷貿易につい

                                                      ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー
                                                    • 「土偶は植物のフィギュアだった」独立研究者が発表した新説のルーツと反発を招いた本当の理由

                                                      青森県で出土した遮光器土偶。(「東京国立博物館ホームページ」より) 縄文時代に作られた土偶については「女性をかたどったもの」といわれてきたが、「土偶は縄文時代の食用植物をかたどったフィギュア」――具体的かつ写実的に、植物に手と足を付けて「植物の人体化」をした像であるという仮説を提唱する新刊『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)が話題だ。NHKニュースで取り上げられ、いとうせいこうらが絶賛するなどしている。 いわく、椎塚土偶はハマグリの貝殻や中身に、みみずく土偶は二枚貝のイタボガキに、無数の穴が施された刺突紋土偶はヒエの穂のつぶつぶに似ている――。栗や貝の頭部を持つゆるキャラをつくるようなやり方で縄文人は土偶の形を考案していったのだ、というユニークな見解が示されている。 そんな本の著者である独立研究者の竹倉史人氏とは、一体どんな人物なのか。はたまた発表するや否や巻き起

                                                        「土偶は植物のフィギュアだった」独立研究者が発表した新説のルーツと反発を招いた本当の理由
                                                      • 『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる(一ノ瀬 俊也)

                                                        漫画、そしてアニメ映画で多くの人びとの心をとらえてきた『この世界の片隅に』。8月3日にはアニメ映画版が地上波で初放送され、12月には新作のアニメ映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開される予定だ。綿密な取材をもとにつくられたこの作品は、戦時下の人びとの日常を知るうえで多くのヒントがつまっている、と日本近現代史を専門とする一ノ瀬俊也埼玉大学教授はいう。今回は、この作品を題材に戦前の女性と家制度を考えてみたい。*以下の文章には、作品の内容に関する紹介が含まれていますので、ご注意ください。 「居場所」探しの物語 こうの史代の漫画『この世界の片隅に』とそのアニメ映画版は、広島県呉市を舞台に、戦時中のある女性の日常生活をリアルに描いた物語である。空襲や原爆、そして敗戦という異常な事態のなかでも、人びとはかけがえのない日常を強く生きていたという作品のメッセージは、多くの人の心を動かしている

                                                          『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる(一ノ瀬 俊也)
                                                        • 伊賀と甲賀の集大成の忍術書、真田家から驚きの発見 兵法を学んだ?:朝日新聞デジタル

                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                            伊賀と甲賀の集大成の忍術書、真田家から驚きの発見 兵法を学んだ?:朝日新聞デジタル
                                                          • 「光秀ハ鳥羽ニ」、最期の言葉も 本能寺の変に新情報:朝日新聞デジタル

                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                              「光秀ハ鳥羽ニ」、最期の言葉も 本能寺の変に新情報:朝日新聞デジタル
                                                            • 大阪城になり損ねた石垣はいま

                                                              1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:似て非なる海外版マックスコーヒー > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 大阪城は西日本「石」大会会場 きっかけは一年前に行った大阪城の石垣の取材。 「大阪城は400年前の全国巨石石見本市」より 石垣オブ石垣、大阪城内上位11位の巨石を紹介した。 大阪城の石垣が、デカすぎてすごかったのだ。記事公開後に韓国人の友人に聞いた話で、お父さんと大阪観光してるとき石垣にえらく反応していたらしい。お仕事は土木建築関係。プロの目から見て「400年も前にこんな巨石を積み上げて」というところに驚いた、とのこと。 大阪城=豊臣秀吉のイメージが強いかもしれないが、いや大阪人じゃなければ意外とそれも知られてないかもしれ

                                                                大阪城になり損ねた石垣はいま
                                                              • 『鬼滅の刃』鼎談企画 歴史編(今井宏昌×嶋理人×髙橋優):戦間期の純情な感情|髙橋優

                                                                ※本記事は『鬼滅の刃』の原作最終回までのネタバレを含みます。 原作未読の方はご注意ください。 (2024年2月18日追記) 本記事の剽窃が発覚しました。詳細はこちらの記事をご参照ください。 はじめに世のなかに鬼の族(うから)は多けれど 人にましてぞ鬼なるはなき ――ソポクレース『アンティゴネー』、第1スタシモン(Soph. Ant. 332-3) (日本語訳は文学研究者の長谷川晴生氏からのご提案に従った) このたび、漫画・アニメ文化にも造詣の深い歴史研究者の二人を招いて、大ヒットが続く『鬼滅の刃』に関するオンライン鼎談を実施した。『鬼滅の刃』はその内容に鑑みて、私一人の力では到底批評できない作品だと判断した。そこで、ある種の「共同研究」として、戦間期の歴史や文化に詳しい二人の専門家を交えて議論を尽くすことにした。三者三様の「言いたいことがあるんだよ」をお楽しみいただけますように。 参加者(

                                                                  『鬼滅の刃』鼎談企画 歴史編(今井宏昌×嶋理人×髙橋優):戦間期の純情な感情|髙橋優
                                                                • 秀吉は「東洋のナポレオン」なのに、なぜ大河ドラマではいつも悪役扱いなのか

                                                                  NHK大河ドラマでは秀吉が悪く描かれがちな背景は何か? 江戸時代は一番人気…時代で変わる秀吉の評価 「東洋のナポレオン」とも言える功績について八幡氏が論じる NHK大河ドラマでは豊臣秀吉は悪く描かれることが多い。来年の大河は松本潤主演の「どうする家康」で、秀吉役のムロツヨシさんもまた格好の悪役を演じるかもしれないと言ったら失礼になってしまうか。 若い頃の木下藤吉郎はともかく、天下をとってからの秀吉は、野心と好色と我が子である秀頼への溺愛が空回りして、甥の秀次を殺したり、朝鮮出兵という暴挙をした醜い老人扱いというワンパターンだ。 しかし、秀吉ファンとしては、悔しいので、あの世の寧々が、日本経済新聞社から「私の履歴書」の執筆を頼まれたという想定で、『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス)という評伝を書いてみた(八幡衣代と共著)。小説でないので、嘘は書いてない。あやふやなことは寧々の推測と

                                                                    秀吉は「東洋のナポレオン」なのに、なぜ大河ドラマではいつも悪役扱いなのか
                                                                  • 「ウソだと思った」奇跡の大発見…4000年前の‟お宝”100万点が続々出土 【福島発】|FNNプライムオンライン

                                                                    福島県内で発掘された出土品としては、最高レベルとされる大発見があった。 全国的に注目されるそのワケとは!? 山の中では“あり得ない”人骨の発見 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 第一印象はウソ。ウソだっていうのが第一印象。あり得ないので 訪れた人が食い入るように見つめる、約4,000年前の遺物の貴重な展示。 2020年1月に限定公開された、縄文時代の出土品だ。 貴重な縄文時代の出土品の数々 この記事の画像(10枚) 全国的に珍しいのが、赤い漆が塗られた土器。 「第一印象はウソ」…これがその正体なのか? 発見されたのは、福島・川俣町の「前田遺跡」。 福島県文化振興財団 遺跡調査部・吉田秀享さん: 普通は山の中の遺跡ではあり得ません 山の中ではあり得ない発見、それが「人骨」。 前田遺跡では、40体以上が見つかったという。 しかし、なぜこれが全国的に珍しいのか? 福島県文化振興財団

                                                                      「ウソだと思った」奇跡の大発見…4000年前の‟お宝”100万点が続々出土 【福島発】|FNNプライムオンライン
                                                                    • とある史学の教授が“鎧武者が出る”という旅館にわくわくしながら宿泊→翌朝「出るには出たけど…」とガッカリしながら起きてきた話

                                                                      レターパックで晏嬰亮送れ @mondo_oclt 前もこの話したと思うんだけど、とある史学の教授が鎧武者が出るっていう旅館にわくわくしながら泊まって、翌朝「出るには出たけど当世具足だった…」ってがっかりながら起きてきた話が好きでな 2020-09-08 22:30:21 リンク www.touken-world.jp 【刀剣ワールド】当世具足①|甲冑(鎧兜)の基礎知識 平安時代から続く「日本式甲冑」は、室町時代末期に転換期を迎えました。今の世を意味する「当世」と、十分備わることを意味する「具足」を呼称としているこの甲冑(鎧兜)は、構造、意匠、素材などにおいて多種多様。ここでは、新様式の甲冑(鎧兜)である当世具足について概観します。 1

                                                                        とある史学の教授が“鎧武者が出る”という旅館にわくわくしながら宿泊→翌朝「出るには出たけど…」とガッカリしながら起きてきた話
                                                                      • ノア・スミス「現代中国と大日本帝国」(2021年5月4日)

                                                                        [Noah Smith, “Contemporary China vs. Imperial Japan,” Noahpinion, May 2021] おおよそ,両者はてんで別物だ. 東アジアで米中の対立が強まって軍事的な緊張が高まってきている件があちこちで議論されている.そのなかで,かなりよく見かける話に,こんなのがある.「2020年代の中国と1930年代の大日本帝国には,いろいろと類似してる点がある.」 似ていると考える理由は,わかりやすい――どちらも東アジアの国だし,アメリカとの各種関係が悪かった.でも,ほんのいくつかならちょっと似てるところもちらほらあるとはいえ,おおよそこの2つは大違い,別物だ. 相違点は多すぎて,とてもじゃないけど列挙していられない.ただ,そのなかでも大きなちがいが3つある.米中が紛争をおこす可能性を考えるときに,この3つはとりわけ重要だ.で,その3つとは: 統

                                                                          ノア・スミス「現代中国と大日本帝国」(2021年5月4日)
                                                                        • 『鎌倉殿の13人』大泉洋演じる源頼朝が、あんなにも「エラそう」な理由(野口 実) @gendai_biz

                                                                          開始早々から賛否両論が飛び交っている今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。大泉洋が演じるやけに軽いノリで威張り散らす源頼朝や、北条政子をはじめ自己主張の強い女性たち…。当時の人々は、本当に“あんな感じ”だったのでしょうか? 講談社学術文庫の新刊『源氏の血脈―武家の棟梁への道』の著者である中世史研究者の野口実氏が、歴史学者の視点から『鎌倉殿』を読み解きます。 『鎌倉殿の13人』を考える 今年の大河ドラマはおもしろい。一部の研究者からは「ここまで品格のない大河は見たことがない」などという批判も聞こえるが、それは演出上の問題で、ストーリーや社会風俗の考証は相対的にはよく出来ていると思う。 だいたい日本史研究者の中には、歴史に興味をもつきっかけが大河ドラマだったという人が多い。織田信長は高橋幸治、平清盛は仲代達矢、といった具合に、彼ら彼女らの脳裏にある研究対象とする人物や社会の「情景」は、けっこうか

                                                                            『鎌倉殿の13人』大泉洋演じる源頼朝が、あんなにも「エラそう」な理由(野口 実) @gendai_biz
                                                                          • 豊臣秀吉の等身大像か 扉が封印された神社から発見:朝日新聞デジタル

                                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                              豊臣秀吉の等身大像か 扉が封印された神社から発見:朝日新聞デジタル
                                                                            • バラエティ番組でよく見る『お勉強的なことを茶化して笑う』行為は視聴者の『分からないことを分かろうとする態度』を奪ってるのでは?

                                                                              似鳥鶏 『刑事王子』発売中! @nitadorikei バラエティ番組でよく見る ナレーション「地球の地下70kmにはマントル層という……」 芸人「うん。何言ってるかわからない」 会場(笑い) みたいなのをやめてほしい。お勉強的な事が少しでも出るとすぐ茶化して笑う。こういうのが「分からないことを分かろうとする態度」を視聴者から奪っているのでは。 2020-09-06 22:33:06 たか @CMBanisotropy いわゆる頭が良い、学力が高い人のことは差別して良いって世の中の人は思ってますからね 勉強ができないのが普通で、頭が良いのは異常だって信じてますし 知的障害を差別するのは問題になるのに不思議だね twitter.com/nitadorikei/st… 2020-09-08 15:04:16

                                                                                バラエティ番組でよく見る『お勉強的なことを茶化して笑う』行為は視聴者の『分からないことを分かろうとする態度』を奪ってるのでは?
                                                                              • 奈良 平城宮跡に大規模な建物跡 聖武天皇の娘 孝謙天皇宮殿か | NHKニュース

                                                                                奈良時代の都の中心だった奈良市の平城宮跡で、聖武天皇の娘、孝謙天皇の宮殿とみられる大規模な建物の跡が見つかりました。専門家は「天皇の宮殿の実態をうかがう貴重な史料だ」と話しています。 建物の跡が見つかったのは、奈良時代の都の中心だった平城宮跡の「東院」と呼ばれる地区です。 平安時代の歴史書「続日本紀」の記述などから、天皇や皇太子の宮殿があったとされている場所で、奈良文化財研究所が発掘調査したところ、東西27メートル、南北12メートルの範囲に50本の柱が整然と並んだ建物跡が見つかりました。 建物は高床式の床張りの構造で、屋根にはひわだなどがふかれていたとみられ、発掘調査で見つかった瓦から、奈良時代の西暦749年から770年の間に建てられたものとみられるということです。 規模は平城宮跡内のほかの場所で、これまでに確認されている天皇の住まいに匹敵する大きさです。 奈良時代の歴史に詳しい複数の専門

                                                                                  奈良 平城宮跡に大規模な建物跡 聖武天皇の娘 孝謙天皇宮殿か | NHKニュース
                                                                                • 美濃部達吉の手紙見つかる 「天皇機関説問題」で迫害 愛媛 | 憲法 | NHKニュース

                                                                                  戦前のいわゆる「天皇機関説問題」で迫害を受けた憲法学者の美濃部達吉の手紙が愛媛県内で保管されていたことが分かりました。手紙はみずからの学説について「迫害を受けることは心外だ」と記され、専門家は当時の美濃部の心境を伝える貴重な資料だとしています。 これは戦前、愛媛県の新聞記者だった曽我鍛に宛てたもので、孫の健さんが自宅で保管していました。 手紙は、美濃部達吉が「天皇機関説問題」で貴族院議員を辞職した翌月の昭和10年10月の日付で、議員辞職について「腰くだけのやむなき事情でざんきの至り」と記し、恥ずかしいことだとしています。 美濃部がとなえた天皇機関説は「天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治権を行使する」という明治憲法の学説で、後に陸軍や議会の一部などから激しい批判を受けます。 これについて、手紙には「学問の身内の権力や暴力のために迫害を受けることはいかにも心外だ。今後も言論の自由の許す

                                                                                    美濃部達吉の手紙見つかる 「天皇機関説問題」で迫害 愛媛 | 憲法 | NHKニュース