ロッテでブラジル人通訳が活躍中だ。ラファエル・フェルナンデスさんは、ポランコやソトの“相棒”としてサポートする。そもそもなぜ、サッカー大国のブラジルで野球に惹かれ、日本にやってきたのかーー。そこには偶然が生んだドラマがあった。
「上空は青空、ゆるやかに風が吹くあたたかい中山競馬場。スタンドから見て右手のゲートインです」 3月3日、場内に女性の声で実況が流れる。それはJRA(日本中央競馬会)史上初めて女性による場内実況が行われた瞬間だった。 場内実況実現への経緯、競馬実況の専門性、そもそもなぜ女性が行うことはなかったのか、「史上初」を成し遂げたラジオNIKKEIアナウンサーの藤原菜々花を訪ねた。 ◆◆◆ ラジオNIKKEIのアナウンサー藤原菜々花は2020年の春に入社し、まもなく満4年となる。「ななかもしか発見伝」のパーソナリティを務めるほか、羽生結弦がプログラムで使用した曲によって構成した『こだわりセットリスト特別編・羽生結弦選手特集』を企画。大きな反響を呼び、昨年10月からレギュラー化され、月1回放送されている。 その他の業務にも携わる中、中心をなしているのが同局の主軸の1つである競馬だった。藤原は実況デビュー
王座戦第3局は先手で挑戦者の藤井聡太竜王・名人(21=王位・叡王・棋王・王将・棋聖を合わせて七冠)が永瀬拓矢王座(31)に逆転で勝利し、2勝1敗とした。長年にわたって将棋界を追うライターの大川慎太郎氏が現場取材。永瀬王座に聞いた言葉などをお届けする(段位などは以降省略)。 もう決まったと思っていたのだ。 9月27日、午後8時10分頃。日本将棋連盟の職員が「検討陣がそろそろということなので、終局直後のコメントを取材されるメディアの方は対局フロアに移動をお願いします」と知らせた。 他の記者とぞろぞろ連れ立って、対局場「名古屋マリオットアソシアホテル」のエレベーターに乗り込む。移動しながら、「(藤井が)こういう負け方をするのは珍しいな。いや、永瀬が強かったのだ」などと、王座の完璧な指し回しを反芻していた。 対局室がある階のエレベーターホールに降りる。あとは藤井が投了した後に、将棋連盟職員の合図で
打った瞬間にそれと分かった。夏の夜空に虹のように綺麗な弧を描き、打球はライトスタンドに吸い込まれていった。ファンの大歓声を浴びながらグレゴリー・ポランコ外野手が悠然とダイヤモンドを1周する。9月3日、ZOZOマリンスタジアムでのイーグルス戦。これが本拠地で16本目となる23号本塁打(野外球場が大好きでZOZOマリンスタジアム16本、楽天モバイル4本。その他、ドーム球場が3本)。ついにホームラン王争いでパ・リーグトップのイーグルス・浅村栄斗と肩を並べた。 「ホームランを打てたことは嬉しい。ただあの2ランでは(同点まで)1点足りなかった。勝つことが出来なかった。それまでの打席でチャンスがあったのに、その時打つことが出来なかったことが悔しい」 「チームの勝利のために」 試合に敗れたため、ロッカールーム横の通路でメディア対応を行った際のポランコのテンションは終始低かった。FOR THE TEAMの
今年の7月が伊良部秀輝の十三回忌にあたる。ヤンキース在籍時代に駆け出しの記者だった私は、ある記事を書いたことで伊良部の逆鱗に触れた――。 電撃メジャー挑戦、メディアとの確執、オーナーの批判……激動のメジャー時代を追った記者が綴る「伊良部秀輝の真実」。〈全3回の#1/#2、#3へ〉 ◆◆◆ かつて日本最速の剛腕としてその名を轟かせ、清原和博との対決は「平成の名勝負」とまでうたわれた伊良部秀輝。しかしメジャーリーグで戦った日々は、自らが巻き起こした騒動と混乱、そして失意にまみれていた。 「伊良部のメジャー」なぜ大騒動に? まずメジャー移籍の経緯が、野球史に残る大騒動にまで発展した。 メジャーに挑戦したい、しかもニューヨーク・ヤンキースでなければ嫌だと言い張り、所属するロッテともめたのは1996年オフのことだ。 メジャー移籍は認められたものの、当時は日米間の移籍のルールが確立していなかった。そこ
空白の9カ月「嫌われているのかな」 初めて日本代表に選出されたのは、プロ2年目となる1998年2月のオーストラリア合宿だった。フランスW杯本大会を前に、新戦力の発掘を目論む岡田武史監督から声がかかったのだ。 フィリップ・トルシエ監督時代に日本代表に定着し、続くジーコ監督からは10番を託され、2006年ドイツW杯に出場。自身2度目のW杯となった10年南アフリカ大会を最後に、青のユニフォームを脱いだ。 こうして日本代表の成長期を主軸として駆け抜けた俊輔には、一時的に代表メンバーから外れた時期がある。 空白の期間とも言うべき9カ月――。 ドイツW杯グループステージ最終戦のブラジル戦から、07年3月のペルーとの親善試合までの期間である。 俊輔だけではない。ドイツW杯終了後に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムはその間、欧州組を一切招集しなかった。 「なんで呼ばれないんだろうな、っていうことは考え
米国では意外にも、いまだにWBCの話題がスポーツメディアで頻繁に取り上げられている。日本でも侍戦士はスポットライトを浴びることが多いが、米国も日本に負けないくらい、いや、もしかしたら日本以上というくらい、WBCの話題を耳にする。スポーツテレビやラジオ、ポッドキャストやネット記事、あらゆるメディアでWBCはまだ終わっていないかのようだ。 メジャー開幕後も…米で減らないWBC報道 エンゼルスのマイク・トラウト外野手が米野球専門テレビ局MLBネットワークで、3月のWBCを振り返っていた。開幕からすでに3週間が経った4月19日、「ベースボール・トゥナイト」という情報番組でのことだ。 「信じられない体験だった。あんな感覚、初めてだった。スタンドのファンの声がとてつもなく大きくて、最高の雰囲気で……。決勝戦では僕が星条旗、ショウヘイが日の丸を持って入場したけれど、あれは本当に、特別な瞬間だった」
相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日本に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日本の文化も食べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日本の文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「本業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場
日本一過酷と言われる山岳レース「トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)」。富山県魚津の日本海から日本アルプスを縦断し、静岡市大浜海岸の太平洋に至る約415km(累積標高差約27,000m)の距離を、制限時間8日間で駆け抜けるエクストリームなレースだ。 今年の夏、そのTJARで「4日17時間33分」という大会新記録で初優勝したのが土井陵(たかし)だ。剱岳や薬師岳を縦走する北アルプスを1日で越え、中央アルプスも1日で通過、多くの選手が歩きを織り交ぜるロード区間もほとんど走っていた。しばらくは更新されないと考えられていた「4日23時間52分」(望月将悟/2016年)という大会記録を6時間も縮めたのだ。 その背景には、走力や山の経験値といったベースに加え、綿密な食料計画や睡眠の取り方があるようだった。自らを「ミニマリスト」と語る土井のスタート時の装備は水分を除いてわずか3.5kg。他の選手
日本一過酷と言われる山岳レース「トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)」。この大会で今年初優勝を飾った土井陵(たかし)は「4日17時間33分」という驚異的な大会新記録を打ち出した。走力や山力が勝因なのは間違いないが、数日間におよぶ超ロングレースでは栄養補給や睡眠がパフォーマンスに大きく関わってくる。ハイスピードで約415kmを駆け抜けるために、何を食べ、どう眠ったのか。「栄養補給」を徹底解剖した前編に続き、後編では「睡眠」について聞いた(全2回の2回目/#1へ)。 ◆◆◆ 「1日目はほぼ眠らず、2日目は20分だけ…」 ――事前にどういう睡眠計画を立てましたか。 土井 今回はどこで何時間寝るかといったおおよその目安と、寝る場所の条件を決めていました。条件の一つはツェルト(簡易テント)を張らないで済むところ、もう一つは標高が低いところです。理由は合理的で、ツェルトを張ると支度にも片付け
ところが、昨年12月になってイチローが突然「日が迫ってるからしっかりやれ」と言い出した。打撃投手やノッカーを務めるのは、本気モードのイチロー自身だ。 高田たちが練習場で歩いていただけで、「ダッシュだ!」とどやされる。イチローがノックする打球を下がって捕ったら「前へ出ろ、前へ!」。打球を身体で止めると「そうそう、それだ!」。時には「野球をナメるな!」と厳しい活も入れられる。 「もう、怖い、怖い。イチローに散々しごかれたおかげで足がパンパン。当日は強力なロキソニン飲んで試合に出ました」 投手イチローとバッテリーを組んだ捕手が覚えている練習 イチローは現役時代、人一倍練習で汗を流し、自らを限界まで追い込んでいた。草野球でも妥協を許さぬ姿勢は変わらない。高校時代、投手のイチローとバッテリーを組んだ同級生の捕手・畑憲作が言う。 「僕らの高校時代、1980~'90年代の“名電野球”です。昔は毎日そうい
多くの人がもやもやした気持ちを抱えたまま、フィギュアスケート女子を観戦することになった。 ROC(ロシア五輪委員会)の北京五輪フィギュアスケート代表、カミラ・ワリエワの検体から禁止薬物が検出されたというニュースが発表されたことで、彼女の個人戦出場は一時不透明な状態になった。そして出場できるか否かはCAS(スポーツ仲裁裁判所)の手に委ねられた。 そして、2月14日午後。ワリエワに「出場許可」というニュースが届けられた。なお、3位以内に同選手が入賞した場合は、表彰式やメダル授与式を実施しないという。 今回の経過、裁定に関してはすでにニュース速報などでカバーされているはずなので、ここでは、今回の一連の騒動、そしてロシアの抱える問題に焦点を当てたい。 ワリエワ本人に“ドーピングの意思”はあったのか? 15歳が禁止薬物を自ら購入し、摂取したのか。 ドーピングのニュースが出た際、多くの人が違和感を感じ
「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ
2021年、日本サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に
閉幕した東京五輪。来日した外国人記者・カメラマンらに、大会の終わりに“本音”を聞いた。彼らが話してくれた「コンビニ愛」、「交通のもどかしさ」そして「日本人のホスピタリティ」とは――。 「オリンピックの取材を10回、12回、14回と重ねてきたベテランカメラマンであっても、今回に限っては一歩ずつ、様子を見ながら前に進むしかない」(ジョー・マクナリー氏、アメリカ人カメラマン)。地元から「望まれない」なかでの来日、到着後の自主隔離、猛暑……とアスリートのみならず、取材陣にとっても異例尽くしのオリンピックだった。 来日した取材陣のルーティンは「まず3日間の隔離生活を送った後、『オリンピック・バブル方式』に移行する、というものだった。(五輪関係者を外部と遮断するため)指定された宿に泊まり、専用シャトルバスで競技会場へ移動し、競技が終わると再びシャトルバスに乗り込み宿へ帰るというもの」(同前)。 もちろ
競馬ファンの方は覚えているだろうか? 2019年、スワーヴリチャードが勝ったジャパンカップやリスグラシューが勝った有馬記念。その本馬場入場のアナウンスで「東京オリンピックを目指しているJRA職員」として紹介された、誘導馬に乗る戸本一真の姿を。2021年6月、戸本は見事に総合馬術の日本代表に選出された。そして、同じく東京オリンピックを目指していた北原広之、佐渡一毅も馬場馬術の日本代表に決定した。 JRA職員と聞くと、率直に言って「大きな組織にサポートされ、順風満帆な競技生活を送っていた人が順当に代表に選ばれたんでしょう?」と思うかもしれない。だが、前回のJRA職員のオリンピック出場は21年前の2000年、シドニーオリンピック代表・布施勝まで遡る。今大会で3名もの選手を派遣できることは前例のないことなのだ。そして今回選ばれた3選手の競技人生それぞれが、競馬に見るドラマに勝るとも劣らないストーリ
今年2月、Bリーグのブレイク期間を利用して、数クラブの社長とリーグのスタッフとともに渡米し、NBAを視察しました。 初日はニューヨークに本部があるNBAの、スポーツビジネスセクションであるTMBO(Team Marketing&Business Operations)関係者と面談し、NBAがどのように戦略的に事業展開をしているのか話を伺いました。 ビジネスのスペシャリスト軍団「TMBO」は約20名のスタッフで構成されていて、1人で3~4球団を担当し、各球団のビジネスの側面での相談役になっているそうです。 球団の各担当者とTMBO担当者がいろいろと話し合い、そこで生まれた戦略の良い点はNBAの他球団にもシェアする。試合では競争ですが、ビジネスでは共闘。クラブの価値をあげることこそが、リーグの価値の上昇にもつながるという考えだからこそ、こうした情報共有が生まれています。 その夜はバークレイズ・
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く