タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

はてなとブログ論に関するropparaのブックマーク (2)

  • 古参の強さって一周回った強さなのだろう - novtanの日常

    古典と一緒ですよ古典と。 生き延びること自体が難しかった時代を生き抜いてきたことはそれだけでも価値があるけど、生きていくだけなら簡単な時代にはそれは老害にも見える。ただ、いろんな人の(ウェブにおける)死に様を見てきたという強さがそこにはあったりする。 まあ若さってのはそれだけでも危ういものではある。僕達も昔は危うかったんだ。だから、縮こまれと言う話ではないんだけど、一方で苦言を呈したくなるのは、死んでいった人たちに似通った何かを濃厚に感じるから何だと思う。 古参の中には自分が生き延びれたのは単に運が良かったと言う人もいる。 ウェブ人格として生きウェブ人格として死ぬつもりであれば、いうべきことはそれほどないんだけど、リアルな承認を考えちゃったりしてるのであれば、先人の知恵に学ぶべきではあるとは思う。

    古参の強さって一周回った強さなのだろう - novtanの日常
  • 「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:“サードブロガー”再考 - あざなえるなわのごとし いまさらながら、という話なのですが、僕なりにキチンと整理しておかないと気が済まなくなってしまったので、書き残しておくことにします。 ブログ論とかに興味がない人は、長くて何が書いてあるのかわからない記事だと思いますのでスルー推奨。 はてなブログを中心として盛り上がっていた「サードブロガー運動」に対して、僕は冷ややかに見ていました。 新しい人たちに出て来てほしいなあ、と思いつつも「サードブロガー」と名乗る人たちに共感できないのは、たぶん、彼らの多くが書いている内容が「ライフハック」とか「ブログ論」とか「身内への言及」とかで、「内容は全然新しくないのに、看板だけ換えているようにみえるから」なのだと思う。— FUJIPON (@fujipon2) 2013, 10月 25 当に内容が差別化できていれば、看板なんてどうでもいいし、周囲

    「サードブロガー」への「違和感」の正体について - いつか電池がきれるまで
  • 1