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現代音楽に関するsato_sucroseのブックマーク (2)

  • 吉松隆の武満徹批判 - mmpoloの日記

    武満徹が亡くなったとき、若い世代の作曲家の吉松隆が「レコード芸術」に次の文章を書いていた。亡くなった武満を皆が絶賛していたとき、この吉松と湯浅譲二の批判が印象に残った。長いけれど全文引用したい。 吉松隆「11月のカナリアは歌を歌いたかったのか? ーー武満徹のポップ・ソングを聴く」 武満さんの訃報を聞いた時、彼がしきりに「好きな作曲家はポール・マッカートニーだ」とか「ガーシュインみたいな作曲家になりたかった」とか言っていたということを思い出していた。 最後のCDが石川セリの歌うポップ・ソング風のアルバムだったのも象徴的だったが、二十世紀を代表する超一流の大作曲家「トオル・タケミツ」も残念ながらメロディ・メーカーとしては一流ではなかったことを最後に証明する結果になったのは少し悲しかった。 武満さんは、そもそも音楽に目覚めたのは防空壕で聴いたジョセフィン・ベイカーの歌だというし、戦後はアメリカ

    吉松隆の武満徹批判 - mmpoloの日記
  • 日本の大音楽家がまた1人亡くなった 「せんさい」を生き抜いてきた三善晃さんを偲ぶ | JBpress (ジェイビープレス)

    三善晃さんが亡くなられた。長年、桐朋学園大学学長として日音楽全体の水準の底上げに絶大な貢献をされた、物の大音楽家であると同時に、1人の作曲家としては、あくまで野党精神に満ちた、鋭利で繊細な表現を研ぎ澄ませ続けた80年の人生だったと思う。 三善さんの人生を振り返りながら、音楽や芸術の2つの「せんさい」を考えてみたいと思う・・・。「戦災」と「繊細」という2つと、三善さんの人生は不可分だったように思うからだ。 「アカデミズムの泰斗」だったのか? 私が物心つき、音楽を志した1970年代末、日の作曲界は大きく見て2の「極」を持っていたような気がする。 かたや、戦後アヴァンギャルドの雄のごとく、国際的に活躍し、謎めいた自己演出もあいまって偶像化しつつあった武満徹。かたや「保守派最大の大物」に擬せられ、実のところ毎年のコンクールで、学校こそあちこち違っても、結局「三善弟子が1位」みたいな格好にな

    日本の大音楽家がまた1人亡くなった 「せんさい」を生き抜いてきた三善晃さんを偲ぶ | JBpress (ジェイビープレス)
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