独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。 1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。 60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。 80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。 社会的発言も多く、日本人
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冷泉布美子さん 京都・冷泉家に伝わる藤原俊成・定家以来の和歌集や書物の継承・公開に尽力した、財団法人「冷泉家時雨亭文庫」前理事長の冷泉布美子(れいぜい・ふみこ)さんが12日午前6時18分、急性肺炎のため死去した。94歳だった。通夜は近親者のみで営む。葬儀は19日午後2時から京都市上京区今出川通烏丸東入の自宅で。喪主は長女の夫で、冷泉家当主為人(ためひと)さん。 京都市生まれ。京都府立第二高等女学校卒。冷泉家は俊成、定家らを祖先に持ち、和歌を家業とし、代々宮中や武家の歌道師範をつとめてきた公家。布美子さんは、京都御所の北隣に残る現存唯一の公家屋敷(重要文化財)とともに、藤原定家の日記「明月記」(国宝)、「古今和歌集」(同)など800年来の膨大な冷泉家資料を、皇室の和歌指導役・御歌所参候でもあった父、為系(ためつぎ)氏から継承。旧子爵・西四辻家から夫に迎えた第24代為任氏とともに、冷泉流歌
数学者で時事問題にも鋭い視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月27日、自宅で料理中にコンロの火が服に燃え移り、重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。 東京都生まれ。東京大理学部で数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年から同教授。京大教員時代からテレビに出演し、関西弁の独特の語り口が評判になった。91年に退官後、講演や執筆活動のほか、テレビのコメンテーターでも幅広く活躍した。 画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」など著書も多数ある。
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