タグ

人生に関するshig-iのブックマーク (205)

  • 体育館に「おうち」ができた…能登半島地震で大活躍する「1棟1万円」の簡易住宅を作った大学教授の使命感 原点はドラゴンボールの「ホイポイカプセル」

    能登半島地震で段ボール製の簡易住宅「インスタントハウス」が大活躍している。組み立ては15分、原価は約1万円で、屋根と扉、窓もついた小さな「家」だ。被災地の子供は「体育館におうちができた」と話しているという。インスタントハウスはどうやって生まれたのか。開発した名古屋工業大学の北川啓介教授に、フリーライターの川内イオさんが取材した――。

    体育館に「おうち」ができた…能登半島地震で大活躍する「1棟1万円」の簡易住宅を作った大学教授の使命感 原点はドラゴンボールの「ホイポイカプセル」
  • 追悼 八代亜紀 | ROADSIDERS'weekly

    今年は年明けから暗いニュースが続きましたが、八代亜紀さんの突然の訃報には声を失ったひとがたくさんいたと思います。73歳・・・・・・まだまだご活躍されたはずなのに。 2009年に雑誌『アサヒ芸能』で「平成演歌物語」という短期間の連載をしました。ふだんはテレビでしか観ることのない演歌歌手たちの、来の活動場所であるライブの会場に行って、インタビューとステージの撮影をさせてもらう企画。なるべく東京以外の場所にしたくて、いろんな地方都市のホールを巡りました。 なんとかツアー、みたいにルートを決めて効率的にライブを重ねていくロックバンドとかとちがい、演歌歌手たちは「呼ばれるたびにそこへ行く」興行です。かなりの人数になるバンドメンバーも、大道具小道具もぜんぶ自分持ちで、スタッフが何人も前乗りして準備を整えて。メディアにはなかなか出てこない、そういう演歌世界のリアリティを知りたくて、水森かおり、田川寿美

    追悼 八代亜紀 | ROADSIDERS'weekly
    shig-i
    shig-i 2024/01/11
    2009年の文章。もっと早く読みたかった
  • 夫婦で漢検の勉強をしている

    書店で問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。 60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。 検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機。 しかしこれが楽しい。 そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。 それに、漢字テストそのものが楽しい。 「あー! ここまで出かかってるんだけど!」 「読めるけど書けない!」 「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」 「こんな部首知るか!」 「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」 みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚、ゲーム感覚で楽しんでいる。 ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやる

    夫婦で漢検の勉強をしている
  • 大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」(第12回)鬱フェス新宿の子犬

    先日、クラブチッタ川崎で行われた「フェス2023」に参加した。神聖かまってちゃん、上坂すみれさん、ベッド・インその他多数のアーティストと共演した。 「フェス」は、バンド・アーバンギャルドが主催している音楽フェスティバルだ。「病気のみなさんこんにちは」というキャッチコピー。さわやかな夏の野外フェスには向かないような、サブカル色が濃いというか、マニアックでコケティッシュなメンツを集めて開催されている。今年で10回目となる。 僕は10回皆勤賞で出演している。3年前の回では新しい学校のリーダーズとコラボして歌った。その時はまさか彼女らがその後世界的にブレイクするとは夢にも思わなかった。素晴らしいことである。 今年は僕があと数年で還暦を迎えるということで、赤いちゃんちゃんこを着せられて「老後じゃないもん MAXX TOSHIYORI」というアーバンギャルドとのセッションで出演することになった。マ

    大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」(第12回)鬱フェス新宿の子犬
  • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

    失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

    FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
  • 俺の町には植物園がない

    結局俺は、洒落たハイソな店でウインドウショッピングとか、立派な劇場で高尚な観劇とか、空いた時間でボルダリングとか、そういう都市的なアクティビティには興味がなくて、ただ植物園に行ってウロウロして、でけえ温室に入りてえだけなんだよな 植物園って、人が並んでねえ入り口で高くて400円程度のチケットを買うところからもう始まってんじゃん 800円とか1200円とかじゃなくてさあ、300円とか400円とか、ヘタしたら温室入らねえならタダだったりするわけじゃん その、やっすい入場料を払いながらよ、受付のある事務所に設営された、葉っぱの栞を作ってみよう!とか、まつぼっくりを拾おう!みたいな企画を目の端に捉えてさ、ヒア・イット・ビギンズ、俺の一日が始まるということになる 植物にそんなに言うほど興味ねえし、オフシーズンに来てるからさあ、実際園内に入っても、解像度はずっと低いままなんだよ 時期が良けりゃ花が咲い

    俺の町には植物園がない
  • わたあめの袋のキャラになりたい

    屋台で売っているわたあめは、ドラえもんやキティちゃんなど、人気キャラクターの袋に入っている。ということは、わたあめの袋になったら、もはや人気キャラクターなのではないか。 屋台のわたあめ屋さんをやることになったのでオリジナルの袋をつくってみた。 わたあめの袋への憧れ ゴールデンウィークに行われるお祭りで、知り合いのわたあめの屋台をお手伝いすることになった。 わたあめを作るのは初めてである。あのくるくる回してわたあめを大きくしていく作業が出来るのか……!と楽しみにしていたのだが、日が近づくにつれ、ある願望が芽生えてきた。 ……わたあめの袋のキャラクターになりたい!! 屋台で売っているわたあめは袋に入っている場合が多い。そして例外なく、人気者しかいないのだ 私もあの袋になりたい……!!! 袋に起用されたら、確実に人気者と断定していいだろう。 わたあめ屋さんをやるということは、袋のキャラになれる絶

    わたあめの袋のキャラになりたい
    shig-i
    shig-i 2023/06/02
    楽しそうな人生
  • 息子が工業高校生に憧れているらしい

    息子5歳は、ほんの少しでも環境が変わるとかたまって動けなくなって泣いてしまう。幼稚園での行事もいつも1人だけずっと泣いて何もしない。4月になり、クラスが上がりお昼寝がなくなったこと、お箸で給べるようになったことなどが不安で、夜泣きをするようになった。幼稚園にも泣きすぎて吐いたりするので、いけない日も多々あった。週末は家から一歩も出たがらず、自分の好きな車のおもちゃを分解して過ごす日々だった。 そんな息子をなんとか誘い、近所の大きな公園でしてるフェスタみたいなところへ行った。バザーや出店が出ていて、そこに工業高校の展示のようなスペースがあった。息子が少し離れたところで、展示されている1人用の車をみていた。「図鑑でも見たことない車」「1人しか座れない」などと喋っていた。 高校の生徒さんが、こんにちはと声をかけてくれたけれど、息子はもちろん返すことがで気なかった。それでも生徒さんはニコニコ

    息子が工業高校生に憧れているらしい
  • 追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA

    2023年4月2日、坂龍一がこの世を去ったことを知ってから、言葉にならない喪失感を抱え続けている。ただ呆然とするほかないなか「Ars longa, vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」という人が好んだ一節に触れ、残された自分にできることがあるかもしれないと思った。氏が長きにわたり発表してきた膨大な音楽作品を振り返り、書き残すことで、またわたしたちは新たに音楽家・坂龍一に出会いなおすことができるかもしれない。そんなことを考えた。 さまざまな書き手の方に「坂さんの音楽について書いてくれませんか」とメールを送った。非常に多岐にわたる活動を展開し続けたからこそ、どこから、何から書くべきかは難しいのではないかと考え、「あなたが選ぶ、坂龍一の『永遠の一枚』」というお題とともに。届いた原稿はさまざまだった。個人の記憶とともにひとつの作品について書いた人、ひとつの作品からさまざまな

    追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA
  • 土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶

    ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。 ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。(取材・文=福嶋剛) 坂さんが亡くなって約1か月。土屋はしみじみと言った。 「『教授(坂さん)の思い出を語ってほしい』と言われた時、僕が一番みなさんに伝えたかったことがあります。それは、YMO時代や

    土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶
  • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂

    記事:平凡社 坂龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎佳嗣 書籍情報はこちら バッハの「マタイ受難曲」を聴くと、まさに「音楽に救われる」という感じがする ――東日大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂さんはどうお過ごしでしたか。 坂龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。 ――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。 坂:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。 ――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。 坂:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「また

    特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂
  • 追悼:陳建一レシピ3選

    陳建一さんが亡くなったと聞いてマジ悲しかったんだが、同時におなかが空いてきて刷り込みってやばいなって思った。俺の脳内で 陳建一=メシ と言う回路ができているようだ。 と言う事で、これからしばらくは陳建一レシピで生きてくことにする。 そこで俺の「みんなの今日の料理」のお気に入りから、3つ紹介したい。 ゆで豚+ゆで豚スープ+回鍋肉とかたくさんアドレスを貼るとエラーになるんで、ゆで豚から追ってくれ https://www.kyounoryouri.jp/recipe/13276_%E3%82%86%E3%81%A7%E8%B1%9A.html かたまり肉を使ったレシピ。ゆで豚で作っておくと、その後何にでも使えるほか、このゆで豚を使ったスープが激うま。 そしてここまでできてしまえ回鍋肉はできたようなもん。豆板醤も甜麺醤も両方使うレシピでそこがハードル高いような気がするかもしれないが、こいつらが入っ

    追悼:陳建一レシピ3選
  • 沢木耕太郎さんTV未公開インタビュー 25年かけ『天路の旅人』を書いた理由 - クローズアップ現代

    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pE2YPOaAz9/ 『テロルの決算』『一瞬の夏』『深夜特急』……独自の視点と新しい文体による数々の名作ノンフィクションを送り出してきた作家の沢木耕太郎さん。 この冬、25年の歳月をかけて書き上げたという、9年ぶりのノンフィクションを出版しました。主人公は、沢木さんがそのたたずまいを“理想型”とも表した人物。それはなぜなのか。 2時間近くに及ぶインタビューは、先の見えない時代を生きる私たちに力をくれることばであふれていました。 (聞き手:桑子真帆キャスター) 【関連番組】 コロナ禍の日々 “書くことで旅をしていた” ――新作の『天路の旅人』を読み終わったとき、1つの壮大な旅を達成したように感じました。それと同時に、自分も旅に出たいって思わせていただきました。 沢

    沢木耕太郎さんTV未公開インタビュー 25年かけ『天路の旅人』を書いた理由 - クローズアップ現代
  • 「栄光への懸け橋だ」 名実況アナが元戦闘機会社で種をまく理由 | 毎日新聞

    刈屋富士雄さんの名実況を生んだアテネ五輪体操男子団体で金メダルを獲得した日の選手たち=ギリシャ・アテネの屋内ホールで2004年8月17日、野田武撮影 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ――」 日が金メダルを獲得した2004年アテネ・オリンピック体操男子団体決勝での名実況は、今も多くの人の記憶に刻まれる。この言葉を生んだ元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(62)は今、かつて戦闘機を造っていた会社を拠点に、未来へと続く放物線を描こうとしている。 子供たちが自由にいろんな競技を 「これまでは咲いた花のすごさ、美しさを実況して人々に伝える立場でした。今の自分は花を咲かせるために畑を耕し、種をまいているところです」 穏やかで心地よさを感じる口調ながら、一つ一つの言葉は熱く力強い。向かい合い、質問に答える言葉は、かつてテレビ越しに聞いた実況そのままだ。 アナウンサー時代、夏冬合わせて

    「栄光への懸け橋だ」 名実況アナが元戦闘機会社で種をまく理由 | 毎日新聞
    shig-i
    shig-i 2023/01/09
    刈屋富士雄アナウンサー
  • 自己肯定感の話 ①

    もうずいぶん昔のことです。 当時、すでに八十歳を超えていた母方の祖母とふたりきりで、ロンドンを旅したことがあります。 何故そんなことになったかというと、ある年のお正月、皆で祖母宅に集まったとき、私がイギリスで過ごした日々の思い出話を親戚たちに求められたのです。 それで問われるままにあれこれ語っていたら、祖母が「一生に一度でいいからイギリスに行きたい。お姫様のような旅がしたい」と言い始め、それを聞いた伯父たちが、それなら資金を出すから私が連れていってはどうか、と言い出したのだったと思います。 高齢者というのはたいてい何かしら気難しいところがあるものですが、祖母も典型的な「プライドが高すぎるめんどくさい年寄り」であり、既にまあまあ認知症も進んでおり、扱いの大変さを知っている母や叔母は強く反対しました。 祖母が海外で体調を崩したりしたら大変、というのが反対の理由でしたが、今思えばむしろ、ひとりで

    自己肯定感の話 ①
    shig-i
    shig-i 2022/12/05
    誰でも一生に一回くらいならこんな旅行ができると思っていた
  • マイナーキャラのカチューシャをつくってディズニーに行くと目立つ

    あまりグッズ化されていない日陰ディズニーキャラにスポットライトを当てるべく、カチューシャをつくって、ディズニーシーに行った。もともと記事用につくった訳ではなかったが、想像以上にいろんな人に話しかけられ、不思議な縁ができたので記事としてまとめることにした。 友人ディズニーに行くことになった 友人のしずちゃんとディズニーシーに行くことになった。私は絶叫マシンがかなり苦手で、遊園地に行くのは今まで避けてきたのだ。一瞬行くか迷ったが、しずちゃんからディズニーに誘われたのが嬉しかったのと、絶叫マシンもいつか克服したいと思っていたので行くことにした。 せっかくなので何かリンクコーディネートで行こうということになり、話し合いの結果、「グッズ化されていないマイナー作品のカチューシャをつくって、日陰ディズニーにスポットライトを当てよう」ということになった。 しずちゃんがチョイスしたマイナー作品はこちら。

    マイナーキャラのカチューシャをつくってディズニーに行くと目立つ
  • 【全文】さいとう・たかをさん お別れの会 ちばてつやさんらが弔辞 | NHK

    「ゴルゴ13」などの作品で知られ、去年9月に亡くなったさいとう・たかをさんのお別れの会が29日、都内のホテルで開かれ、交流のあった漫画家のちばてつやさん、里中満智子さん、秋治さんが弔辞を読み上げました。3人の弔辞の全文です。 ちばてつやさん弔辞 全文 たかをちゃんを偲んで さいとう・たかをさん。あなたの突然の訃報を聞いたのは、昨年の9月24日でしたから、もう早くも1年になります。1年たった今になっても、まさか私があんなにお元気だったさいとうさんを見送ることになろうとは思ってもみませんでした。 あなたは私より少し年上でしたけど、ふだんは親しみを込めて「たかをちゃん」と呼ばせてもらっていました。 代表作「ゴルゴ13」とも重なり、この遺影はとてもニコニコしていますけれども、ふだんはちょっとこわもてで、気難しそうな印象の人だから、そのサングラス越しにギョロッとにらみつけられるとたいていの人は足が

    【全文】さいとう・たかをさん お別れの会 ちばてつやさんらが弔辞 | NHK
  • 部屋に響いた長女の悲鳴──山田ルイ53世、娘に“正体”を明かした一世一代の「ルネッサンス」(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    2022年4月某日。タキシードに身を包み、シルクハットを頭に載せ、「いやいやいや、どーも~……ルネッサァァァーーンス!!」と筆者は舞台へと飛び出した。幾度となく繰り返してきた、いつも通りの登場だったが、顔はこわばり、手は震えと異常なまでの緊張感。いや、無理もない。この日のステージは、“わが家のリビング”。客はたったの1人だが、それが自分の子供……長女(現在小4)となれば、調子も狂おうというものである。 今年3月、福岡PayPayドームで始球式の大役を務めたが、よもや2万の観衆のプレッシャーを小学生のそれが上回り、正真正銘のホーム(自宅)をアウェーに変えてしまうとは思わなかった。 全ては、このあとに控えた演目のせい。「漫才」でも「ギャグ」でもなく「告白」……わが子に隠し続けてきた父の正体を打ち明けようとしていたのである。(取材・文:山田ルイ53世、写真:石橋俊治、Yahoo!ニュース オリジ

    部屋に響いた長女の悲鳴──山田ルイ53世、娘に“正体”を明かした一世一代の「ルネッサンス」(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
  • 世の中には困ってる人を助ける制度がたくさんあるのに何が使えるかを教えてくれないっていう理不尽仕様なんだが、そんな世界をなんとかしようとしてる人たちがいて、そのためのWebページがこの前リリースされたってことを僕はフォロワーさんに知っておいて欲しいと思ったんよ

    ねこ @AquaLamp 世の中には困ってる人を助ける制度がたくさんあるのに何が使えるかを教えてくれないっていう理不尽仕様なんだが、そんな世界をなんとかしようとしてる人たちがいて、そのためのWebページがこの前リリースされたってことを僕はフォロワーさんに知っておいて欲しいと思ったんよ compass.graffer.jp/handbook/landi… pic.twitter.com/NhGGF8wSmg 2022-02-11 18:42:36

    世の中には困ってる人を助ける制度がたくさんあるのに何が使えるかを教えてくれないっていう理不尽仕様なんだが、そんな世界をなんとかしようとしてる人たちがいて、そのためのWebページがこの前リリースされたってことを僕はフォロワーさんに知っておいて欲しいと思ったんよ
  • 53歳で異業種へ…元NHK看板アナが体験した試練

    アナウンサーからの転職 内多さんは、東大を卒業後、NHKのアナウンサーとして入局。内多さんの子どもの頃の夢は、「一生懸命勉強して、いい大学に入って、絶対潰れないような安定した会社に入る。結婚して子どもを3人持って、家を買って、安定した生活を送ること」だった。子どもにしては、一見地味な夢に見えるかもしれないが、「子どもの頃は貧乏だった」と語る内多さん。誰よりも安定を望み、定年までひとつの会社で働くことを疑わなかったという。 内多さんの初任地は高松からスタート。その後、大阪、名古屋、東京と転勤しながら着実に実力も上げていった。内多さんが担当した番組は、「生活ほっとモーニング」といったソフトな生活情報番組から、「首都圏ネットワーク」や「首都圏ニュース845」など硬めのニュース番組まで幅広い。また、単に原稿を読むだけにとどまらず、自ら企画提案し、積極的に取材現場にも足を運んだ。それが功を奏したのか

    53歳で異業種へ…元NHK看板アナが体験した試練
    shig-i
    shig-i 2022/06/25
    内多勝康さん