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「景気後退」ならぬ「空気後退」(ヴァイブセッション)をめぐる論争で大きな係争点となっているのは,次の点だ――「アメリカの労働者たちにとって実質賃金は上がったのか下がったのか.」 「景気後退」ならぬ「空気後退」(ヴァイブセッション)をめぐる論争で大きな係争点となっているのは,次の点だ――「アメリカの労働者たちにとって実質賃金は上がったのか下がったのか.」 もしも実質賃金が上がったら,物価が上がっていても人々の購買力は上昇する.実質賃金が下がれば,大勢のアメリカ人が貧しくなる.一般に,保守派も左翼も(どちらもバイデンを嫌っている),こう主張している.「リベラルどもは賃金も上がっていると主張するが,賃金はマズイことになっている.」 Matt Bruenig がよいグラフを出して,実質賃金はマズイことになっていると主張している.グラフの元になっているのは調査データで,2017年から2023年まで雇
大勢が名を連ねている――有名どころを挙げておくと、ジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich)も共著者の一人に名を連ねている――こちらの論文で、異なる国の間の「文化差(文化的な隔たり)」の計測が試みられている。その結果の一部を以下に転載しておこう(さらに詳しい結果については、論文の25~27ページを参照)。数値が大きいほど、文化的な隔たりが大きいことを意味している。 アメリカとの「文化的な隔たり」 アルジェリア:0.138 オーストラリア:0.035 ブラジル:0.072 カナダ:0.026 中国:0.150 エクアドル:0.109 エジプト:0.234 エチオピア:0.130 ジョージア(旧グルジア):0.143 香港:0.090 インドネシア:0.178 日本:0.115 マレーシア:0.125 ナイジェリア:0.130 スイス:0.068 文化的な隔たりが大きいという意味で「
Photo by Breno Machado on Unsplash 台湾をめぐる戦争の可能性は現実味を帯びている.そして,アメリカは備えができていない. 「このあたりは,子供時代に見知っていたイングランドのまんまだった:線路沿いの野の花,赤いバス,青い警官たち――イングランドのなにもかもが,深い眠りにおちている.ときどき,不安を覚える――いつかこの眠りから私を覚ますものは,炸裂する爆弾の轟音なのではあるまいか.」――ジョージ・オーウェル,1938年 まるで,長い封印がすっかり解かれたかのようだ.2022年には,核兵器を持つ大国が隣国に侵攻して征服を試みる事態をぼくらは目の当たりにした.いまや,イランがイスラエルとの戦争に突入する脅しをかけている.アメリカは,その事態を抑止するために空母打撃群を同地域に派遣している.一方,アゼルバイジャンはアルメニアに侵攻する準備を整えつつあるおそれがある
リストというのは、文化の源なんですよ。アートや文芸の歴史の一部なんです。文化が求めているのは何だと思います? その答えは、無限を把握(理解)できるようにすることであり、秩序を打ち立てることです。常にそうというわけじゃないですけど、大抵はそうなんです。無限を前にした時、人間はどうするでしょう? 不可解なものをどうにかして理解しようとする時、人間はどうするでしょう? リストを作るんです。目録を作るんです。博物館を作るんです。百科事典や辞書を作るんです。ドン・ジョヴァンニが一体何人の女性と関係を持ったかを数え尽くさずにはいられないのが人間なんです。モーツァルトのためにオペラの台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテによると、その数は2063人だそうですけどね。実用的なリストも作られます。買い物リストだったり、 やることリストだったり、メニューだったり。そういう実用的なリストもまた、それはそれで文化の産
ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)が登場するまでのアメリカの経済学界を振り返ると、貨幣(マネーサプライ)は(景気の変動に影響を及ぼす要因として)大して重要じゃないというのが第一線で活躍するマクロ経済学者の間でかなりの合意を得ていた見方だった。 フリードマンは、デビッド・メイゼルマン(David Meiselman)だとかアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)だとかとの共同研究を通じて、貨幣(マネーサプライ)はかなり重要だということを示すれっきとした証拠を大量に提示した。そして、大勢(おおぜい)がそのことに同意した。皆が皆、筋金入りのマネタリストに転向したわけではなかったにしても。 早くも1982年になると、マネタリストの勢いに陰りが見え始めた。マネーサプライの管理に重きを置く金融政策が言うほど功を奏していないことが判明し出したのだ。貨幣っててんで重要じゃない
〔訳注:シリーズ記事の「その1」、「その2」、「その3」、「その5」、「その6」〕 今回の記事では、前回までで議論したアイデアを用いて、予測(Projection)を立ててみたい。予測は、起こるであろう事態を予知(predict)しようとするものではないという点で、予言(forecast)ではない(むろん預言(prophecy)でもない)。予測(Projection)とは、特定の仮説や過程を前提した上で、何が起こるかを記述したものだ。通常は、異なる仮定をベースに、様々な予測を行う。そうすることで、異なる仮定がどのように異なる将来の起動をもたらすかについての複数のアイデアを得ることができる。 経験則としては、最も単純なモデルから始めるべきであるが、動的プロセスの最も重要な特徴を捉えているものであるべきだ。どの特徴に着目し、どの特徴を無視すべきか(少なくとも、最初の最も単純なバージョンの)選択
ウクライナ戦争では、死傷者の80%以上が大砲によるものであるため、この紛争の経緯と潜在的な結果を理解したいのなら、武器の生産と損失、兵士の徴兵と死傷者の動態を追跡しなければならない。それには、オシポフ=ランチェスター・モデルが非常に有用だ。 おそらく現在生じている地政学的に最も重要な出来事は、ウクライナでの戦争だろう。新著『エンド・タイムズ』でウクライナについて言及しているが、その時点では、紛争はまだ始まったばかりだった(完成原稿を出版社に提出したのは2022年8月)。それから1年、多くの人からこの戦争についての見解を尋ねられた。 読者もご存知のように、私は「民主党vs共和党」や、「ロシアvsウクライナ(ロシア vs NATO)」等で、党派的な立場、イデオロギー的な立場には立たない。この戦争の是非について語るつもりもない。その代わりに取り上げたいのが、この紛争を突き動かすものとは? そして
つまり、ナポレオンという人物には惹きつけられる広範な魅惑があるかもしれないが、皇帝の計画や野心という狭い焦点を当てると、フランス国家の行動と、それに対応して動員された大規模な対抗勢力の両者から定義される「ナポレオン時代」の影響の実像を見誤ってしまうのだ。 1790年代半ばから1814年までの驚嘆すべき20年間、フランスは、ナポレオン・ボナパルトの指導の下、ヨーロッパ大陸の大部分を支配するようになった。最盛期、ナポレオン帝国はその国境を、〔北海沿岸の〕低地帯諸国、イタリア、〔バルカン半島西部の〕イリュリア地方にまで広げた。同時に、スペイン、ドイツ、イタリア、ポーランドはナポレオンの支配下に置かれ、多くはナポレオンの一族によって統治された。デンマーク、プロイセン、オーストリアは屈辱的な条件の同盟への署名を余儀なくされた。 この暴挙は、17世紀からのフランスの台頭によるヨーロッパの形成のクライマ
〔富裕層は、人生で成功できるかどうかを左右する要因として、生まれ育った環境や運よりも、向上心(勤勉さ)や知性を重視しがちな傾向にあるが、〕向上心(勤勉さ)だったりIQだったりの個人差が生み出される原因を当人の「選択」(の積み重ね)だけでなく、先天的な要因(「遺伝子」)にも求める傾向が顕著だった――どちらかというと、先天的な要因(「遺伝子」)に帰しがちだった――のは、富裕層の中でも上位1%の富裕層だけだった。すなわち、上位1%は別として、それ以外の富裕層(上位20%のうち上位1%を除く富裕層)に関しては、他の層よりも「環境」説――向上心(勤勉さ)だったりIQだったりの個人差が「環境」要因(外的な要因)によって生み出される可能性――に冷ややかな傾向にあるとは言えないようなのだ。興味深いことに、一般層(所得下位80%層)の間では、向上心(勤勉さ)だったりIQだったりの個人差が生み出される原因を内
私には「庇護者」がいた。時間を食う割に何の役にも立たない学内の委員会の委員の候補として私の名前が挙がるたびに、「フランシスには他にもやらなきゃいけないことがたくさんあるんです。誰か他の人に声をかけてみましょう」と(私の知らないところで)発言してくれていたのだ。そんなふうにして私を庇(かば)ってくれていたなんて、つい最近まで知らなかった。面倒な委員会に出なくちゃいけない義務から突如として解放されて、研究に割ける時間が不思議と増えたのには気付いていたのだけれど。 『Lean In』(邦訳『LEAN IN(リーン・イン):女性、仕事、リーダーへの意欲』)を読んでいたら、シェリル・サンドバーグ(Sheryl Sandberg)が似たような経験について「庇護者」としての側から想起していた。 Google社にいた時に一緒のチームで働いていた仲間の一人に、若くて才能豊かな女性がいた。その女性には目をかけ
画像の出典:https://www.silhouette-ac.com/detail.html?id=159937 チャルディーニ(Robert Cialdini)が手掛けた実験の一つでは、被験者たちにグリゴリー・ラスプーチン(Grigori Rasputin)――ロシア皇帝であるニコライ二世の相談役も務めた怪僧――の短い伝記を読んでもらった後に、ラスプーチンについてどう思うかが尋ねられた。その伝記では、ラスプーチンのことが嘘つきで人を操るのが上手い悪党として描かれている。ただし、被験者の半数に対しては、ラスプーチンの誕生日が書き換えられたバージョンが手渡された。ラスプーチンの誕生日とそれぞれの被験者の誕生日が同じになるように書き換えておいたのだ。さて、どういう結果が得られたかというと、ラスプーチンと「同じ誕生日」の被験者たちは、ラスプーチンに対して好意的な評価を下す可能性が圧倒的に高かっ
今や誰もがキャンセル・カルチャーについて論じるのに飽き飽きしている。そろそろ私たち研究者が議論に参加してもいい頃だろう。最近、イブ・ンの“Cancel Culture: A Critical Analysis”『キャンセル・カルチャー:批判的分析』を興味深く読んだ。この本はキャンセル・カルチャーにそれほど批判的というわけでもなかったが、この現象の歴史を提示している点で有益だった。ただ残念なことに、この本は事例を豊富に載せているだけで、キャンセル・カルチャー現象の明確な定義や説明は提示していない。そこで本エントリではこの空白を埋めるために、根底にある社会的ダイナミクスの分析に基づいて、キャンセル・カルチャーのシンプルな理論を提示したい。 議論を始める上でまず明確にしておくべきは、キャンセル・カルチャーの起源が政治的なものでも文化的なものでもないということだ。キャンセル・カルチャーは、ソーシャ
本稿では、ナイジェリアでキリスト教徒とムスリム(イスラム教徒)との間で続いている宗教間対立の根底にあるのが何なのかを探るために、理論的に精密に設計されたフィールド実験をナイジェリアのジョス市で試みた。具体的には、キリスト教徒とムスリムにペアになって協調ゲーム [1] … Continue readingをプレイしてもらったが、協調しなかったケースの76%が(相手がこちらに危害を加えてくるのではないかという)「恐怖」ゆえであり、残りの24%が(相手を痛めつけてやれという)「憎悪」ゆえであることが判明した。さらには、外集団(よそ者)に属する相手への恐怖ゆえに協調しなかった被験者たちは、自分が属する集団(内集団、身内)に対して外集団のうちのどのくらいの割合が憎悪を抱いているかについて過大に見積もりがちだった。すなわち、思い過ごしで相手に恐怖を抱いていたわけである。次いで、フィールド実験で得られた
クリス・ディロー(Chris Dillow)のブログエントリーより。 “Prospect theory & populism” by Chris Dillow: イギリスでEUからの離脱(ブレクジット)に支持が集まっていて、アメリカの大統領選でドナルド・トランプに支持が集まっているが、その理由をプロスペクト理論を使って説明できないだろうか? プロスペクト理論によると、「負け」ている人はリスクをとるのに積極的になると予測される。失地を挽回するために、一か八かの賭けに出るわけだ。・・・(略)・・・投資家が値下がりした株を持ち続けたり(pdf)、スポーツの試合で負けている側が細かい戦術をかなぐり捨てて一か八かの総攻撃に出たり――アメフトだと、ヘイルメリーパスを出したり――、損を取り返すために危ない橋を渡ってかえって損を膨らます荒くれトレーダーが後を絶たなかったりとかいうのがその例だ。 ブレクジッ
オマー・アリ(Omer Ali)&クラウス・デスメット(Klaus Desmet)&ロマイン・ヴァクジアル(Romain Wacziarg)の三人の共著論文より。 「怒り」は、ポピュリズムの台頭に一役買っているのだろうか? 怒りという感情は、世の中の問題を引き起こしている元凶とされる個人なり集団なりへの反発を生んで、選挙でポピュリストの政治家に票を投じるのを助長しがちだと思われている。そこで本稿では、2008年から2017年までの間に米国内の大勢の有権者がどんな感情を抱いて日々を過ごしていたかを探った独自のデータを利用して、怒りの感情とポピュリストの政治家の得票率の間に郡単位で何らかのつながりがあるかどうかを検証した。その結果はというと、2016年の米国大統領選の予備選挙および本選挙のいずれに関しても、怒りを感じている有権者の割合が高い郡ほど、ポピュリストの政治家の得票率が高くなる傾向にあ
ハーバード大学に籍を置く経済学者のダニ・ロドリック(Dani Rodrik)――おそらくは我々の世代で最も秀でた政治経済学者――が自らのブログでつい最近取り上げていた〔拙訳はこちら〕が、同じくハーバード大学に籍を置く同僚の一人(アンドレイ・シュライファー)が過去30年を「ミルトン・フリードマンの時代」と謳(うた)っているという。 その同僚氏の言い分によると、ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、鄧小平の三人がそれぞれの国(アメリカ、イギリス、中国)を動かす指導者として権力を握った結果として、人類に大いなる自由と大いなる繁栄がもたらされたという。首肯できる面もあれば、首をひねる面もある言い分だ。 フリードマンが終生にわたって固執した5つの基本的な原理がある。①金融政策は、断固たる姿勢でインフレの根絶を目指すべし。②政府というのは、国民から委託を受けた存在であって、アメをばら撒く装置で
年をとるにつれ、周りの人が覚えていないことを思い出せる機会が増えていく。私がアイデンティティ・ポリティクスを巡る昨今の議論を真面目に受け取る気になれない理由の1つはこれである。私は既に同じことを経験してしまっているのだ。この映画は前に見たことがあるし、結末だって知ってる。 言い換えれば、私は1990年代のことを生き生きと思い出せるのだ。実際、私は90年代からこの仕事に就いているが、全く同じ考えについて(提示の仕方まで全く同じであることも多い)、人々がどれほどの熱量で議論していたかを覚えている。マキシム誌のような90年代後半の文化製品を取り上げて、「なんてこった、こいつらはセクシストだったんだ」と言ったり、「となりのサインフェルド」 [1]訳注:アメリカの国民的なコメディドラマ。 のジョークの一部には「問題がある」と不満を述べたりする若者を見るのは、愉快であるとともにゾッとする経験だ。若者は
数年前に,ノーベル賞経済学者のアンガス・ディートンがこう宣言しだした――現代経済学はなにもかも間違っている.ディートンの主張はようするにどんなものかっていうと,近年,アメリカで平均寿命が減ってきた理由は資本主義経済システムでつくりだされた絶望にあるんだ,という話だ.このアイディアを展開した本や数多くの論文を彼は発表している. 実は,かくいうぼくは「絶望死」説に好意的ではある.ただ,絶望よりもストレスの方が問題なんじゃないかと思ってる――たとえば過食や薬物・アルコールの濫用みたいな行動は,〔苦しみへの〕対処機構みたいなもので,中毒になったり長期的な健康を害したりしてしまうことがあるんだろう.ただ,これはたんなる推量でしかない.実のところ,平均寿命が短くなっているのを示すだけでは,ディートンが資本主義に関して提示した壮大な説はちっとも証明されない. 骨子を言えば,ディートンが言っている説はこん
通説では,1990年にかの不動産バブルがはじけてから日本は「失われた○十年」に苦しんできたという話になっている.実のところ,一人あたり GDP を見ると,他の豊かな国々にくらべて日本の実績が見劣りしはじめた起点は1990年ではなく1997年に思える.97年といえば,アジア金融危機のあった頃だ. この「失われた○十年」論に対して典型的に向けられる反論では,こう語られる――日本が停滞しているように見えるのは,大半が人口の高齢化によるものであって,実際の生産性で見ると日本は2000年頃から問題なくやっている.新しく出た Fernandez-Villaverde, Ventura, & Yao の論文は,こう主張している: 多くの先進諸国では,この数十年で,高齢化にともなって,一人あたり GDP成長と労働年齢の成人一人あたり GDP 成長のちがいは大きくなってきている.日本のように一人あたり GD
「経済自由化の評価:合成コントロール法による検証」(“Assessing Economic Liberalization Episodes:A Synthetic Control Approach”)――ワーキングペーパー版はこちら(pdf)――と題された論文で、アンドレ・ビルマイヤー(Andreas Billmeier)&トマソ・ナンニチーニ(Tommaso Nannicini)の二人が経済自由化政策の効果を検証している。具体的には、1963年から2005年までの間にあちこちの国で断行された「市場の拡大――とりわけ、(貿易障壁の軽減・撤廃を通じた)市場の開放――を後押しする包括的な改革」が検証の対象となっており、「処置群」たる国々(経済自由化に踏み切った国々)の1人当たりGDPの軌跡と「合成対照群」の1人当たりGDP(処置群たる国々が経済自由化に踏み切らなかったと想定した場合の1人当たり
「(私たち)は、ドイツと同じく、敵国に出産を忌避させようとしたのです。敵国で子供が生まれたとしても、死んでしまうような極貧状態を作り出そうとしました」。イギリスの経済封鎖行政官であり、熱烈な国際主義者だったウィリアム・アーノルド・フォースターが、第一次世界大戦時のドイツへの経済封鎖を振り返って述べた言葉だ。 今、経済制裁が話題となっている。アフガニスタン、イラン、シリア、ロシアなどを思い浮かべられるだろう。 こうした状況で、ニコラス・ミュルデルは、新著『エコノミック・ウェポン:現代的戦争の道具としての制裁の台頭』(イェール大学出版)〔訳注:『経済兵器 現代戦の手段としての経済制裁』として邦訳〕を刊行した。本書は、歴史家以外にも必読の書籍だ。 ちなみに、著者ニック(@njtmulder)とはツイッター上での親密なフォロー関係であり、率直に言って親友でもある。以下は、批評というより顕彰だ。私は
オランダの総選挙でヘルト・ウィルダースが圧勝した.世論調査でも,10月7日時点よりいっそう支持を集めている.昨日はダブリンで――比較的に〔移民に〕開放的な都市で――反移民の暴動があった(アルジェリア系移民が数人を刺したと見られている).オーストリアの「極右」政党はすごく人気を集めているし,ドイツでは「ドイツのための選択肢」党 (AfD) が堅調で,フランスでも状況が入れ替わってもおかしくない.イタリアはすでにそうなっていて,実際の統治はメロニ首相の下でもそんなに大きく違っていない.スウェーデン民主党は連立与党の一角を占めている.いま挙げた国々は EU グループの中核の多くを占めているし,そこにアイルランドとスウェーデンも加わる.もしかすると,名前を挙げ忘れた人物もいるかもしれない. メディアへの一言:こうした人たち〔反移民・右派系ポピュリスト〕が選挙で勝利し続けているか,少なくともかなりの
ChatGPTをはじめとする生成AI(人工知能)の目覚ましい成功は、機械の台頭が労働者にどのような影響をもたらし、最終的に我々の社会をどう変えるのかについて沸騰していた議論にさらに火をくべた。破滅派は、ロボットが人間に取って代わり、人類文明を滅ぼすだろうと予測している。楽観派は、成長に伴う苦しみは避けられないが、乗り越えれば、新たなる知的機械によって我々社会はもっと良くなるだろうと主張している。なんだかだいっても、人類は、過去の技術革命を特に悲惨な結果とせずに、うまく消化してきている。 しかし、歴史から学ぶのは、簡単ではない。AIによる革命は、我々社会に新たな予期せぬストレスをもたらすだろう。現在、技術のシフトのもたらす勝者と敗者について議論されているが、これは重要な側面を欠いている。技術シフト後に社会・政治的な混乱がどれだけ生じるかも重要だ。 この原理の極端な例として、ある特殊な労働者階
1990年代、ジョン・ローマーは、“Equality of opportunity”『機会の平等』(1999)という著書を発表し、その後の不平等研究で盛んに研究されるようになった「機会の不平等」という分野の土台を作った。ローマーの重要な洞察は、個人の所得に影響する要因を3つに分解したことだ。その3つの要因とは、「環境」(ジェンダー、人種、親の所得、教育など、当該個人にはコントロールできない外的な要因)、努力によるもの、「気まぐれな運」(episodic luck)によるもの、である。「気まぐれな運」というのはローマーの用語で、ようするに私(ミラノヴィッチ)が良い職に就けたのは、その職に募集がかかっていたタイミングでたまたま応じられたからに過ぎない、ということだ。 ローマーはこのアプローチに導かれて、非常にラディカルな賃金システムを提案するようになった。ジェンダーといった外的な特徴で区切られ
ラント・プリチェット(Lant Pritchett)が1997年に執筆した「国家間の分岐がグングンと進行中」(“Divergence, Big Time”)と題された論文は、学界に大きなインパクトを与えた。プリチェットは、この論文で以下のような推計結果を明らかにしている。 ・・・(略)・・・最も豊かな国の1人当たり所得を分子にとり、最貧国(最も貧しい国)の1人当たり所得を分母にとった比率の値は、1870年から1990年までの間におよそ5倍の大きさになっている――最も豊かな国の1人当たり所得の水準は、1870年の時点では最貧国の1人当たり所得の水準のおよそ9倍の高さだったが、1990年の時点ではおよそ45倍の高さになっている――。最も豊かな国の1人当たり所得の水準と「発展途上諸国」の1人当たり所得の水準の平均値の差は、1870年から1990年までの間に桁(けた)が一つ違う大きさにまで膨れ上が
ウェンディ・ブラウンの『いかにして民主主義は失われていくのか 新自由主義の見えざる攻撃』を読むことに決めたのは、ブラウンのLSEでの講義に関連するツイートを見たからだ。私は新自由主義なる概念について確固たる見解を持っていない。「新自由主義」が何を意味するのか分かっていないのだ。ラディカルな著述家たちは、「経済学のほとんど」を指してこの言葉をよく使う(フィリップ・ミロウスキの“Never Let A Serious Crisis Go to Waste”が好例だ)。そして、マルクス主義者や、間違いなく異端派と言える経済学者だけが例外とされる。私は、ヤニス・ヴァルファキスが新自由主義者ではないと分かる程度にはこの言葉を理解している。しかし、そうした例外を除く経済学の大部分を新自由主義だと切り捨ててしまうなら、私見では、この概念は全く役立たずなものになる。もちろん、イデオロギー的に右翼の経済学者
「開発経済学」なる分野が存在することに、これまでは疑問を抱いていなかった。豊かな国もあれば貧しい国もあるのは今もなお変わらないのは言うまでもない。しかしながら、貧しい国向けに特別に誂(あつら)えられた経済学の一分野としての「開発経済学」に今もなお依然として存在理由があるかというと、ないんじゃないかと思う。かつてはそれなりに存在理由があったかもしれない。20世紀を振り返ると、1人当たり所得で測った国家間の格差が大幅に拡大し――分岐が発生――、貧しい国が先進諸国のように発展軌道に乗れないでいるのはなぜなのかというのは差し迫った問いだった。しかしながら、1990年~2000年あたりから、1人当たり所得で測った国家間の格差が縮小する方向に転じた――収束が発生――〔拙訳はこちら〕。すなわち、多くの国々がぞろぞろと発展軌道に乗るようになってきているのだ。貧しい国も豊かな国もお互いに似通ってきているのだ
中国はどこへ向かうのだろう? 欧米でのインフレ劇(あるいは物価ショックと言うべきか)がほぼ一段落した今、世界経済の最重要問題は、中国の将来問題だ。 中国を取り巻く雰囲気は、この18ヶ月で劇的に変化した。ほんの少し前までだと、中国への印象は、畏敬の念というべきものだったが、今ではネガティブな見通しが支配的だ。こうしたネガティブな見通しは、データ、中国政府による公式報道、中国の内部通報者からもたらされる断片的情報、経済と政治の進捗についてのある程度までの妥当な仮説からなっている。これは、ブリコラージュ(間に合わせによる判断)かもしれない。しかし、現状ではこれが限界で、これ以外に見通しを形成する方法はない。もっとも、こうした状況下では、まず自身が偏見を抱いているのかをチェックしてみるのが良いだろう。 ポッドキャストの最新回では、カームと一緒に、中国の現状を理解することに挑戦している。 ポッドキャ
ブルームバーグ通信での「FRBは何をすべきか?」というインタビュー(ここでは記事になっている)で、私は以下のように答えた。 「利上げは頭がおかしい」 これは文字通り受け取っていただきたい。 事実はいかなる時も理論に勝る 私が最初に言及したのは、起こってきた出来事を誰も予測できなかった事実だ。インフレは、認知できる雇用の減少やGDPを低下させずに、劇的に低下した。我々が今できる最善のことは、事実に特段の注意を払いながら、暗中模索を続けることだ。最悪の対応は、事実と矛盾している教科書的分析への依存に回帰することだろう。 事実は何を示しているのか? インフレの低下水準と低下速度の両方から、インフレ率が目標水準の2%に、2、3ヶ月以内に達する可能性がある。 もし、FRBが目標水準での安定を真剣に考慮するなら、今すぐにでもインフレの低下ペースを緩める必要がある。 不確実性についてはどうだろうか? た
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