コンピュータには できることとできないことがあるんです。 でも、そういうことが、世の中では、 わりとちゃんと区別されずに語られるんですね。 そうだよなぁ。 たとえばスポーツ理論なんかでも、 選手次第みたいなところがあるから、 いちがいに 「こうするのがいいに決まっている」 といいきれる範囲は少ないだろうし。 あらゆることがそうですけど、 かならず「ボトルネック」といわれる いちばん狭い場所ができてしまって、 そこが全体を決めちゃうんですよね。 逆に、全体をどうにかしたかったら、 ボトルネックがどこなのかを見つけて そこを直しにいかないといけません。 ボトルネックより太いところを いくら直したとしても、 全体はちっとも変わらないんです。 けっこうそれを見つける前に なにか手を動かしていたほうが 安心してしまいがちで、人はつい 目の前の汗をかいてしまいがちなんですけど。 これは、さっきいった
だけど、話しあうテーマは全員ちがうんです。 話しあうプログラムのなかでは、 そのときにやっていた方法では、 唯一決まっているのが 「あなたはいまハッピーですか?」 という最初の質問でした。 わたしはもともと企業理念などと おこがましいことを いうつもりはありませんでした。ただ 「会社とはある共通の目的を持って みんながそれを分担して、 力を合わせるための場所だから、 共通の目的は決めたほうがいい」 と最初に面談したあとに考えたんですね。 それで 「商品作りを通して、 作り手であるわれわれと 遊び手であるお客さんを、 共にハッピーにするのが HAL研の目的だと決めよう」 といったんです。 そう宣言したんだから 「あなたはハッピーですか?」 ときくのは文脈にあっているんです。 で、そうしてきくとですね…… まぁ、いろいろなんです。 「毎日会社に来るのが たのしくて仕方ありません」 という人もい
女性から見た、オタク([観|感|勘])というか。 ネットに限らず、わりとよく見聞きする話のひとつに、 「自分のつきあっている男がすごいオタクで――」 っていうものがあります。 ところがホウホウと話をよく聞いてみると、 「……いやそれはちょっと詳しいだけのひとでは?」 というオチが待っていたりします。 わりと一般的な見方として、おなじオタクでも 男オタ→メカや特定スタイルの女子などに萌える 女オタ→人間関係に萌える という差があるようです。 (とりあえず、そういうことにしておく) これって、べつにオタクであるかどうかとは関わりなく、男女差という意味で、それぞれの関心の優先度の違いとしてありそうな話で、同じものを見ても関心の持ち方が違うとか、あるいは同じ映画を見ても印象に残っているところがそれぞれぜんぜん別だとか。 もしそうだとすると、非オタ女性の想定している男オタク像というのは 特定のなにか
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く