四股名変遷[編集] 力道山 信洛(りきどうざん のぶらく)1940年5月場所 - 1942年1月場所 力道山 光吉(りきどうざん みつよし)1942年5月場所 - 1944年5月場所 力道山 光浩(りきどうざん みつひろ)1944年11月場所 - 1950年9月場所 プロレスラー時代[編集] 日本プロレス界の父[編集] その後二所ノ関部屋の後援者新田新作[注 5]が社長を務め、当時横浜市本牧に本社があった新田建設に資材部長として勤務。次男の光雄によれば「建築現場の監督をしていた」という[6]。ナイトクラブでの喧嘩が元でハワイ出身の日系人レスラーのハロルド坂田(トシ東郷)と知り合い意気投合した(「プロレス修行」の項参照)[3]。1951年9月30日から、アメリカのフリーメイソン系慈善団体「シュライン(英語版)(フリーメイソン#関連団体も参照)」が、当時日本を占領下に置いていた連合国軍への慰問