南野陽子(54)の「はいからさんが通る」やSMAPの「がんばりましょう」など、多くのヒット曲を手がけた作詞家小倉めぐみさんが9月14日に死去していたことが12日、分かった。61歳だった。関係者が明かした。 「はいからさん-」は87年に発売。翌年には南野主演で映画化もされ、同曲は主題歌にもなった。南野の楽曲は他に87年「楽園のDoor」などを手掛けている。 SMAP楽曲の作詞も多く、94年発売の「がんばりましょう」「たぶんオーライ」などを世に送り出した。
スクウェア・エニックスは、『ドラゴンクエスト』シリーズや『亜麻色の髪の乙女』で知られる作曲家のすぎやまこういち氏が、敗血症性ショックのため9月30日に逝去したことを伝えた。90歳だった。 なおスクウェア・エニックスによると「ご遺族のご意向により、 ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他は辞退申し上げます。 後日、皆様とのお別れの会を行う予定としておりますが、日程等につきましては未定でございます」としている。 作曲家のすぎやまこういち氏(本名:椙山 浩一)が、2021年9月30日、逝去されました。90歳でした。すぎやまこういち氏の生前のご功績に対する心からの敬意と感謝とともに、謹んで哀悼の意を表します。 — ドラゴンクエスト宣伝担当 (@DQ_PR) October 7, 2021 すぎやまこういち氏は1931年4月11日、東京都生まれ。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズをはじめとして、『亜麻
俳優の千葉真一さんが19日午後5時26分、新型コロナウイルスによる肺炎のため千葉県・君津市の病院で亡くなった。82歳。同日、千葉さんのマネジメントを手掛ける事務所が発表した。 【写真】似てる?ドラマでも活躍、千葉真一さんの息子・眞栄田郷敦 事務所によると、千葉さんは8月8日より新型コロナによる肺炎が悪化したため入院。酸素吸入を続けている状態だったが、回復に至らず息を引き取ったという。 千葉さんは1939年生まれ、福岡県出身。1968年、TBS系ドラマ『キイハンター』で人気を得る。その他、映画『キル・ビル』、『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』、フジテレビ系ドラマ『影の軍団』シリーズ、NHK大河ドラマ『風林火山』などに出演。日本を代表するアクションスターとして海外でも人気を獲得し、「サニー千葉」の名で知られた。 私生活では1973年、女優・野際陽子さんと結婚し、1994年に離婚
【読売新聞】 声優やラジオパーソナリティーとして人気を博した若山弦蔵(わかやま・げんぞう)さんが5月18日、心不全のため死去した。88歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻、安子さん。 渋い低音の声の持ち主で、「007」シリー
漫画家の富永一朗さんが5月5日に老衰のため96歳で亡くなっていたことが分かりました。これを受けて、「お笑いマンガ道場、大好きでした」「鈴木先生とのやり取りがとても楽しく印象的でした」など、ファンから悼む声が多数寄せられています。 老衰のため亡くなった富永さん(画像は吉備川上ふれあい漫画美術館 - 高梁市公式ホームページから) 『チンコロ姐ちゃん』『一朗ミステリー』など、独特の絵柄と作風で人気を集めた富永さん。“マンガ文化による町づくり”のためにオープンした「吉備川上ふれあい漫画美術館」の名誉館長に就任し、愛媛県・西予市で行われている「全国かまぼこ板の絵展覧会」の初代審査委員長を務めるなど、漫画/イラスト文化の発展にも尽力しました。 また、富永さんは1976年から1994年にかけて放送されたバラエティー番組「お笑いマンガ道場」(日本テレビ系)にレギュラー出演。大喜利の回答として漫画を作成する
三浦は1966年7月11日、千葉県生まれ。1985年に週刊少年マガジン(講談社)にて「再び…」でデビューした。1988年には月刊コミコミ(白泉社)で読み切り作品「ベルセルク」を発表。「ベルセルク」は翌年の1989年に月刊アニマルハウスで連載がスタートし、その後は後継誌であるヤングアニマル(ともに白泉社)で連載されていた。単行本は40巻まで刊行中。また同作はTVアニメ化や劇場アニメ化も果たした。2019年からは、新増刊ヤングアニマルZERO(白泉社)にて「ドゥルアンキ」の“原作&プロデュース”を担当していた。 なお告別式は家族のみで執り行われたとのこと。白泉社の公式サイトには、ヤングアニマル編集部一同から「この受けいれがたい事実をどのように捉えたらいいのか。正直、言葉が見つかりません。思い出されるのは、編集部の人間に会うと、いつも朗らかにご自分の好きな漫画やアニメ、映画の話などを楽しく語って
92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が24日、死去した。53歳だった。 【写真】古賀塾の前で取材対応する長男の颯人 関係者によると、昨年からがんの闘病中で24日朝に亡くなった。 福岡県久留米市生まれ。福岡・宮ノ陣小1年で柔道を始めた。名門・講道学舎へ入門し、東京・弦巻中-世田谷学園高と進み、86年に日体大入学。卒業後、同大学院に進学した。 弦巻中3年時に全国中学大会で優勝し、世田谷学園高ではインターハイ個人戦2連覇。高校3年の17歳の時に、史上最年少の日本代表(フィンランドオープン)に選ばれた。 代名詞ともいえる鮮やかな背負い投げは、弦巻中2年から。兄元博さんのアドバイスがきっかけだった。日体大の卒業論文(90年)のテーマは「背負い投げの魅力を探る」だった。 五輪には88年ソウル大会に71キロ級で初出場するも3回戦で敗退。92年のバルセロナ五輪で悲
3月12日~15日まで池袋で開催されてきたTAAFこと東京アニメアワードフェスティバル2021の授賞式が、15日にとしま区民センターで開催。アニメ功労賞やコンペティション部門の各賞が発表されたなか、アニメ功労部門顕彰者である鈴木敏夫プロデューサーや富野由悠季監督ら多くの受賞者が登壇した。鈴木プロデューサーは、本日逝去したという「ルパン三世」シリーズなど、数多くの作品で一緒に仕事をしてきたアニメーターでキャラクターデザイナーの大塚康生への哀悼の意を示した。 【写真を見る】鈴木敏夫プロデューサーと富野由悠季監督が語り合う、貴重な一幕も 「僕がアニメに携わったのは1978年5月からで、そのころは『アニメージュ』というアニメーション雑誌にいました。気づいたら実際に製作に関わってから、もう40何年も経っていたことを改めて実感した次第です」としみじみ挨拶。 また「一番お世話になったのが、大塚康生さんで
映画『紅の豚』のポルコ・ロッソの声などで知られる、俳優で声優の森山周一郎さんが8日午後9時10分、肺炎のため埼玉県内の病院で亡くなったことが9日、所属事務所への取材で分かった。86歳。葬儀は家族葬にて執り行う。 ■森山周一郎さんのプロフィール・主な出演作 森山さんは1934年7月26日生まれ、名古屋市出身。俳優としてNHKの連続テレビ小説『エール』や大河ドラマ『徳川慶喜』などに出演。またジブリ映画『紅の豚』主人公のポルコ・ロッソ役や、『刑事コジャック』の吹き替え、テレビ朝日系ドラマ『TRICK』のナレーションを務めるなど、幅広く活躍した。 所属事務所は「芸能生活63年の間、皆々様には永い間大変お世話になりました。この場を借りて心より御礼申し上げると共に、ここに謹んでお報せいたします」とコメントしている。
2018年8月のあつぎ鮎まつりで、ミストシャワーを手に熱中症への注意を呼び掛ける厚木市の佐藤明副市長(厚木市提供) 神奈川県厚木市の佐藤明副市長が25日、急性心筋梗塞で58歳で急逝した。旺盛な行動力と気さくな人柄で知られ、庁内の信望が厚かった。目下の重要課題である新型コロナウイルスへの対応で多忙を極める中だった。市職員は悲しみに打ちひしがれた。 【写真で見る】急逝の副市長はドローン活用でも… 市によると、25日午前9時5分ごろ、佐藤副市長が市役所近くの路上で倒れているのを通行人が見つけ、病院に搬送されたが亡くなった。この日は新型コロナの影響で休園した保育園の代替保育が行われた市内の公民館に立ち寄ってから登庁予定で、市役所に向かう途中で倒れたとみられる。 机を並べた市職員は悲嘆に暮れた。「判断力や行動力に優れ、部下思いだった」「まわりからは親しみを込めて『あきらさん』と呼ばれていた」。涙があ
声優の並木伸一さんが、12月22日に亡くなった。所属事務所の81プロデュースが28日、公式サイトを通じて訃報を伝えた。 並木健一さんのプロフィール サイトでは「弊社所属俳優 並木 伸一 儀 令和2年12月22日 50歳にて永眠致しました」と伝え「尚、葬送の儀につきましては、ご遺族の意向により親族のみにて執り行われました。ここに生前中の御厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます」記した。 並木さんは、神奈川県出身。アニメ『ムチッ子物語』ゲンゴロウ・シマキ、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX』テリー、『はじめの一歩』松田などの声をはじめ、『NHK高校講座ベーシック国語』のナレーションや『ひとりでできるもん!』パオ太郎(CGアニメの声)を務めた。
NHK「おかあさんといっしょ」で“10代目うたのおにいさん”を務めた歌手で俳優の今井ゆうぞうさんが21日に脳内出血のため亡くなった。43歳だった。同じ徳島出身のシンガーソングライター・KEiが27日、自身のツイッターで明らかにしており、デイリースポーツの取材に対し、今井さんの関係者も事実を認めた。21日に自宅で亡くなったという。 【写真】みんなに愛された笑顔 12年前の今井さん はいだしょうこと2ショット 関係者によると、今井さんは今月6日に徳島でクリスマスコンサートを行ったが、その最中に意識を失って倒れ、救急搬送されていた。その後、最後の投稿となった15日のブログでは、目(結膜)が真っ赤になり、「免疫力が落ちている」など、体調の異変を訴え、病院に行くことを記していた。 KEiは27日、「ご遺族に代わりまして、僕からご報告させていただく事をお許し下さい」とツイッターに記し、21日に脳内出血
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