wikiとlaborに関するsymbioticwormのブックマーク (3)

  • 来学期から東京大学非常勤を辞めることになりました - Commentarius Saevus

    今年で東大駒場の非常勤講師を辞め、1年間実施した英日翻訳ウィキペディアン養成セミナーは来年から務校の武蔵大学に移すことになったのですが、この辞職とクラス移動の経緯について皆さん興味があるらしいので、学生に迷惑がかかるなどの差し支えが無い範囲で簡単に説明しようと思います。めちゃめちゃ長いので、イントロのあと3つの節に分かれています。 ・イントロ まず、私は2013年に留学を終えて日に帰ってきてからずっと東大駒場で英語の非常勤をしており、最初の二年は英語一列、今年は実験的な科目としてウィキペディアン養成セミナーをやっていました。学部から博士の一年まで東大駒場に所属していたので、英語一列には院生の時からTAとして関わっていました。去年からは武蔵大学に専任講師として就職したので非常勤先は辞めても良かったのですが、図書館とデータベースが使えること(これは研究者にとっては大変大事で、給料なんかより

    来学期から東京大学非常勤を辞めることになりました - Commentarius Saevus
    symbioticworm
    symbioticworm 2015/12/22
    大学周りのお金絡みの話題はこのところ世知辛いものしか出てこないのう……。向こうも向こうで合理的に動けない理由があり、玉突き的に非常勤その他の不利な立場の人間にしわ寄せが来てるということなんだとは思うが
  • 常紋トンネル - Wikipedia

    常紋トンネル(じょうもんトンネル)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)石北線にある単線非電化の鉄道トンネルである。生田原駅と金華信号場の間にあり、遠軽町と北見市とを結ぶ常紋峠下を通る。トンネルの金華信号場側には2017年(平成29年)まで西留辺蘂側坑口付近に常紋信号場が存在した。 概要[編集] 1912年(明治45年)3月に湧別線常紋隧道として着工された[1]。常紋という地名は、北見側(旧留辺蘂町)の常呂郡と遠軽側(旧生田原町)の紋別郡からつけられたものである[1]。 同じ石北線の石北トンネル(北見峠)同様、人気の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約347 m、全長507 mのトンネルを掘るのに36ヶ月を要し、1914年(大正3年)に開通した。 タコ部屋労働と現代の人柱伝説[編集] 殉職者追悼碑 トンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。州から集められた

    常紋トンネル - Wikipedia
    symbioticworm
    symbioticworm 2014/08/12
    “施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという。”
  • 摩天楼の頂上でランチ - Wikipedia

    摩天楼の頂上でランチ(1932年) 『摩天楼の頂上でランチ』(まてんろうのちょうじょうでランチ、Lunch atop a Skyscraper)は、ビルのクロスビーム(横桁)に腰かけ、地上256メートルで足をぶらつかせながら昼をとる11人の建設作業員をとらえた白黒写真で、ニューヨーク市のロックフェラー・センターにあったRCAビル(2015年にコムキャスト・ビルディングと改名)の建設中に撮影された[1]。勇壮な風景と牧歌的な日常とが同居したこの写真は、アメリカ史の一時代を切り取ったと称され高い人気を誇る一方で、2000年代に入っても撮影者やモデルなどに謎の多い作品である[2]。 作品[編集] マンハッタンの上空で安全ハーネスを身につけずに昼を楽しむ作業員の姿は、人々が安全に問題があろうともただ職を得ただけで喜んでいた大恐慌という時代をよくとらえている[1]。写真家のジェシー・ニューマンは

    摩天楼の頂上でランチ - Wikipedia
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