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人生と読み物に関するtuka8sのブックマーク (2)

  • 「人は33歳までの投資で残りの人生の配当を受ける」根本敬 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    タイトルは、根敬さんからいただいた『映像夜間中学講義録 イエスタデイ・ネヴァー・ノウズ』からの言葉の要約です。 映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ(DVD付) 作者: 根敬出版社/メーカー: K&Bパブリッシャーズ発売日: 2009/03/06メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 53人 クリック: 1,529回この商品を含むブログ (11件) を見る 正確に引用すると、 人は33歳までにつちかったもの、与えられたものが総てである。それ以降はそれらの応用力にどう磨きをかけるかでしか“配当”はない。 その他、この講義録には根さんの素晴らしい金言があふれています。 (この世界は神様プロダクションが作っている映画である)じゃあ、なら、自分の役割は何だろうというと、シナリオは足下に、今、立っている、で踏んづけているその足下にあるもんですよ。それこそ、「決定稿」がね。 (

    「人は33歳までの投資で残りの人生の配当を受ける」根本敬 - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
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