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マンガと追悼に関するtweakkのブックマーク (7)

  • 特集ワイド:絵で漫画の魅力復権 江口寿史さんが語る鳥山明さんの功績 | 毎日新聞

    1日に亡くなった漫画家、鳥山明さんとともに「週刊少年ジャンプ」の全盛期を支えた漫画家が江口寿史さん(67)だった。2人は同学年。表現こそ違えど、ともに「絵」で漫画を改革した。江口さんは「早過ぎじゃんかよ。あまりに突然で、ショックが大きいです。鳥山さんご人が一番悔しいと思う」と悼んだ。 ジャンプ全盛期 読者人気に「悔しかった」 鳥山さんは1955年4月生まれ。江口さんは56年3月。週刊少年ジャンプでは、同時期に連載を持っていた。江口さんの方がデビューは1年早かった。鳥山さんは80年から「Dr.スランプ」を連載し、江口さんが81年に「ストップ!!ひばりくん!」の連載を開始した。「それから彼の存在は、人気の面で常に意識していました」 週刊少年ジャンプの読者アンケート。鳥山さんが常に1位で、「それが悔しかった」と振り返る。江口さんが「ストップ!!ひばりくん!」で久しぶりに1位を奪還したときは、「

    特集ワイド:絵で漫画の魅力復権 江口寿史さんが語る鳥山明さんの功績 | 毎日新聞
  • 鳥山明逝去、に寄す - king-biscuit WORKS

    ● 今こそ、ドラゴンボールを集めに行かねばならん――わが国のみならず、世界中がそう思ったようです。 鳥山明急逝の報がweb環境を介して瞬時にかけめぐりました。享年68。急性硬膜下血腫とのことでしたが、その衝撃は国内もさることながら、むしろそれ以上に世界規模での反応の大きさが伝わってくることによって、戦後の過程で高度経済成長の「豊かさ」を原資として結実させていった、でも、実はそれらについて気でそう深く考えてもこなかったある種の「文化」が、知らぬ間に持ってしまっていた現実的な力量について、われわれ日人に思い知らせることにもなりました。 鳥山明というと、自分などは、どうしても「まんが家」としてまず認識してしまっています。「ドラゴンボール」以降の、ジャンルも国境もかろやかに超えたすさまじい確率変動ぶりと共に育った若い世代にとってはそんなこじんまりした印象ではないらしいのですが、さりとてこちとら

    鳥山明逝去、に寄す - king-biscuit WORKS
  • 追悼 宮谷一彦:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    追悼 宮谷一彦 宮谷一彦さんが亡くなった。2022年6月28日。心よりご冥福をお祈りいたします。 お会いしたことはない。むしろ遠ざける心理があった。それだけ大きな存在で、厄介な存在でもあったということだろう。 2000年3月「BSマンガ夜話」で、たまたま刊行された宮谷『肉弾時代』を契機に放映することになった。僕はもう自分一人で一時間喋りまくる覚悟で準備を始めたが、どう考えても彼の果たしたことを『肉弾時代』だけで語り切れないと思い、スタッフを通じて宮谷さんにお伺いを立てた。「自分の持っている単行にもなっていないスクラップの作品も含めて、『肉弾時代』以外の作品も触れたいが、お許し願えないか」と。直後、宮谷さんから直接FAXをいただき、「そのほうがありがたい。君とはいずれこうした形で出会えると思っていた」とあった。じつは、大学生の頃僕は宮谷さんに手紙を出しており、その中で彼の作風が変化したこと

    追悼 宮谷一彦:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
    tweakk
    tweakk 2022/07/03
    BSマンガ夜話見直そう。
  • 吾妻ひでおさんが晩年語った「発禁になるような美少女エロマンガを」 | AERA dot. (アエラドット)

    ひでおさん (c)朝日新聞社 漫画家の吾ひでおさんが、東京都内の病院で死去していたことがわかった。69歳だった。 1969年に漫画家としてデビューした吾さん。「ふたりと5人」「不条理日記」「オリンポスのポロン」など、ギャグ漫画からマニアックなSF、少女漫画まで幅広いテーマの作品を手がけた。 吾さんの作品を担当した早川書房編集者の阿部毅さんはこう語る。 「吾さんの作品はいつも、『こういうものが読みたかった』というもので、SF、エロチックも含めて、毎回、新しいものを提供してくれる作家さんでした」 アルコール依存症に苦しみ、2度失踪し、路上生活を送った実体験を描いた『失踪日記』(2005年出版)は、文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞に選ばれた。この作品を担当したイースト・プレス編集者の堅田浩二さんは、吾さんの人間性についてこう語る。 「失踪したり、依存症になったりと破滅的な印象を

    吾妻ひでおさんが晩年語った「発禁になるような美少女エロマンガを」 | AERA dot. (アエラドット)
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    tweakk
    tweakk 2017/02/14
    泣ける
  • 海外「本物の芸術家だった」世界的な漫画家・谷口ジローさん逝去に対する海外の反応 : すらるど - 海外の反応

    2017年02月12日20:23 海外物の芸術家だった」世界的な漫画家・谷口ジローさん逝去に対する海外の反応 カテゴリ漫画 sliceofworld Comment(94) credit:Facebook.com 先日、『神々の山嶺』や『孤独のグルメ』、『「坊っちゃん」の時代』等で知られる漫画家の谷口ジローさんが逝去されました。享年69歳でした。谷口ジローさんは海外、特にヨーロッパで高い評価を得ており、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエも受勲しています。谷口ジローさんの訃報を知った海外の反応です。 引用元:Facebook.com、2、3 スポンサードリンク ●男性カルト的な人気を持った作家だった!日の、引いては世界の漫画界に残る人物だ。 ●フランスの映画『神々の山嶺』製作チーム谷口ジローさんの訃報当に辛いものです。我々は彼と近しい関係で『神々の山嶺』の映画化に向けて一緒にプ

    海外「本物の芸術家だった」世界的な漫画家・谷口ジローさん逝去に対する海外の反応 : すらるど - 海外の反応
  • TORI MIKI'S BLOG: 小山田いく氏のこと

    僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ

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