●7日の日記に引用したことと関連することを吉本隆明が喋っているのをみつけた。古い日本の歌と現代詩の関係。吉本隆明はこういう分析の仕方が面白い。《ふたつの非常に類似した言葉を並べることによって、あいだに想定したポエジーの空間》。「枕詞の空間」(吉本隆明の183講演)。 https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a039.html 《(古い日本の詩のなかで) 例えば、「瀧」っていう言葉を詩の中に歌い込みたいっていう場合には、大昔においては、「しらいと」なら「しらいとの」っていうような言葉を上にかならずくっつけるっていうような、そういう習慣があったと、それから、例えば、「海人」っていう、漁師ってことですけど、「海人」なら「海人」っていう言葉を詩の中に織り込みたい場合には、かならず、その前に、「なみしなふ」なら「なみしなふ」っていう、そうい
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傘[karakasa] presents 佐藤雄一ロングインタビュー10,000字 佐藤雄一、詩人。この現代詩手帖賞作家は、ゼロ年代の詩壇に登場した若手詩人のなかでも、ひときわ異彩を放つ活動を行っています。特にそれを示すのが、昨年4月からスタートした、詩歌の朗読パフォーマンスイベントBottle/ Exercise/ Cypher。HIP HOPにヒントを得たというこの詩歌の朗読イベントは、詩歌を詩の世界の外部にひらく試みであり、詩人・歌人・俳人はもちろんそれ以外のジャンルからも多くの著名人が参加。回を追うごとにその開催地域も広がりを見せ、昨年末には世界11都市同時開催するイベントにまで発展しました。今回、傘[karakasa]は、話題のサイファーの仕掛人としての佐藤雄一さんに、現代詩との出会いから今後の展望まで、たっぷりとインタビュー。もしかしたら10年代は、「詩歌の時代」になるかもしれ
表紙へ ドイツ詩の鑑賞へ 著作権とモラルを守り、引用、参考資料にされる場合には、著者名、タイトル、このページのサイトアドレスを明記して下さい。 ミニヨン ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター修業時代』より Johann Wolfgang Goethe 訳、記述 渡辺美奈子 ページ公開2003年1月30日 ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター修業時代』には4つの「ミニヨンの歌」があります。1815年に出版されたゲーテ詩集では、最初の"Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn" は「バラード」の項の中に "Mignon" というタイトルで収められ、他の3つのミニヨンの歌 "Nur wer die Sehnsucht kennt", "Heiß mich nicht reden, heiß mich schweigen", そして "S
詩の韻律において、カエスーラ(中間休止、休止、句切れ、caesura or cesura, 複数形:caesurae)は、詩行の中間にある、耳で聞き取れる休止のこと。ほとんどの場合、カエスーラは朗読の中で休止を引き起こす約物(コンマ「,」、セミコロン「;」、句点「.」、ダッシュ「-」など)によって示される。しかし、カエスーラを起こすのに必ずしも句読点は必要ではない。 カエスーラには2種類ある。男性休止(masculine caesura)と女性休止(feminine caesura)である。近代語の詩において男性休止は強いアクセント(強勢のある)の音節の後ろにあるカエスーラで、一方、女性休止は弱いアクセント(強勢のない)音節の後ろにあるカエスーラである。 それとは別に、行のどの位置にカエスーラがあるかによる分け方もある。Initial caesuraは行の始まり近くにあるカエスーラで、me
酔っぱらった船 アルチュール・ランボー 宇佐美斉訳 平然として流れる大河を下っていくほどに 船曳きに導かれる覚えはもはやなくなった 甲高く叫ぶインディアンが色とりどりの柱に 彼らを裸のまま釘づけにして弓矢の標的にしてしまった フランドルの小麦やイギリスの綿花を運ぶ船である私は あらゆる乗組員どものことにもはや無頓着だった 船曳きがいなくなるのと同時にあの喧噪も収まってしまい 大河は私の望むままに流れを下りゆかせた たけり狂う喧噪のなかを ある年の冬のこと 子供の脳髄よりも聞き分けのない私は 疾走した 纜をとかれた半島といえども これほど勝ち誇った大混乱に身を委せはしなかった 嵐が海上での私の目覚めを祝福した コルク栓より軽々と波の上で私は踊った 遭難者を永遠に転がし続ける者と呼ばれるその波の上で 十夜にわたって 角灯のまぬけた眼を惜しむこともなく 子供らが囓る酢っぱい林檎よりもなお甘い 海
2015年12月(6) 2015年11月(23) 2015年10月(17) 2015年09月(18) 2015年08月(13) 2014年11月(2) 2014年10月(15) 2014年09月(17) 2014年08月(15) 2014年07月(22) 2014年06月(46) 2014年05月(47) 2014年04月(43) 2014年03月(36) 2014年02月(14) 2014年01月(9) 2013年12月(4) 2013年11月(10) 2013年10月(44) 2013年09月(36) Urworte. Orphisch 原 詞 。 オ ル フ ォ イ ス 風 デ ー モ ン Δαιμον, Dämon Wie an dem Tag, der dich der Welt verliehen, Die Sonne stand zum Gruße der Planeten,
名詩の林◆出身別 ◆1960〜 ◆参考リンク ◆没年順 北村透谷 1868-1894 永野用無 1877-1898 ■1900-1919 大西 祝 1864-1900 松岡荒村 1879-1904 末吉安持 1887-1907 国木田独歩 1871-1908 山川登美子 1879-1909 表 棹彰 1891-1909 大和田建樹 1857-1910 大塚楠緒子 1875-1910 一色醒川 1877-1910 大塚甲山 1880-1911 前田翠渓 1880-1911 渡久山水鳴 1884-1911 石川啄木 1886-1912 大貫晶川 1887-1912 岩崎 正 1886-1914 平木白星 1876-1915 田中恭吉 1892-1915 草野民平 1899-1915 夏目漱石 1867-1916
> そもそも「平坦な戦場」って「THE FLAT FIELD」だったんだ… > 「僕らは現場担当者になった」って「WE BECAME FIELD OPERATORS」だから、ここでいう「現場」って「平坦な戦場」のことだったんだ。つまり「平坦な戦場」を自らの活動の舞台として生きる人間になったということ。 > 最後の4行で「HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN」と「HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD」は対を成しているから、「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は「干上がった噴水の中で風に吹かれた落ち葉が渦を巻くこと」と同じことなんですね。(←ホントかよ!?) [/quote] 「ArT RANDOM 71 Robert Longo」京都書院 - 日々の雑感 (tach雑記帳はてな版)http://d.hatena.ne.jp/tac
チラ見。ほのぼの淡々と昔の文学について語っている新聞掲載文が主体なのだけど、それに混じって結構disってる書下ろしが。 昭和の読書 作者: 荒川洋治出版社/メーカー: 幻戯書房発売日: 2011/09/01メディア: 単行本 クリック: 30回この商品を含むブログ (11件) を見る すぐれた詩をかなりの数書いた人、つまり詩人として力のある人、好き嫌いではなく公平にものを見る人、そして批評の力だけではなく判断力をもつ人。これが詞華集の編者の条件だ。この10年ほどの間に、40代、50代の若手詩人によって戦後・現代の詞華集が何冊か出た。名前はあるが(せまい詩の世界では)、実はすぐれた詩をひとつも書いたことのない人、ことば上の革新的な仕事を十分にこころみたことのない人、書く詩が凡庸で、代表作ひとつもたない人。そんな人たちが選ぶので、詞華集も奇妙なものになる。 詩の読者という立場でみると、詩の世界
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