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歴史とあとで読むに関するumiusi45のブックマーク (11)

  • ディダケー(十二使徒の教訓)

    カトリック小事典 ディダケ(『十二使徒の教訓』) Didache 1世紀の論文で、紀元100年以前に書かれたもの。書は1833年にギリシャ正教のニコメディアの大主教ブリュエンニオス(Bryennios)によって写の中に再発見され、それによって1875年に同大主教は聖クレメンス1世の書簡全文を発行した。『十二使徒の教訓』は3部に分けられる。1)二つの道、すなわち生命の道と死の道。2)洗礼、断、告白、聖体拝領についての典礼用手引。3)職務についての小論。教義上の論説が前提になっている。生命への道は神と隣人に対する愛である。死の道は避けるべき悪徳の列挙である。洗礼についての簡単な教え、使徒・司教・助祭への言及、キリストの来臨に注目しそのために準備するようにという勧告がある。 p.223 Wikipedia ディダケー、(12使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή) は、教えを意味す

  • Japanese - Didache | Page 1 of 1

    umiusi45
    umiusi45 2024/04/18
    十二使徒の教訓(ディダケー)日本語版
  • 「第5スタジオは礼拝堂~文化放送 開局物語」 | 文化放送

    第1章「それはチマッティ神父の買い物から始まった」はこちら 第2章「マルチェリーノ、憧れの日へ」はこちら 第3章「コンテ・ヴェルデ号に乗って東洋へ」はこちら 第4章「暴風雨の中を上海、そして日へ」はこちら 第5章「ひと月の旅の末、ついに神戸に着く」はこちら 第6章「帝都の玄関口、東京駅に救世主は現れた」はこちら 第7章:「東京・三河島で迎えた夜」はこちら 第8章:「今すぐイタリアに帰りなさい」はこちら 第10章:「大森での新生活がスタートした」はこちら 第11章:「初めての信徒」はこちら 第12章:「紙の町で、神の教えを広めることに」はこちら 第13章:「戦争の足音が近づいてきた」はこちら 第14章:「ベルテロ、ニューヨークに向かう」はこちら 第15章:「印刷の責任者に」はこちら 第16章:「イタリアの政変で苦境に」はこちら 第17章:「警察官と一緒にNHKに出勤」はこちら 第18章:

    「第5スタジオは礼拝堂~文化放送 開局物語」 | 文化放送
    umiusi45
    umiusi45 2022/07/20
    これ、いつになったら文化放送始まるのやらw
  • 「占領の子供たち」 - オーストラリア大使館のカルチャーセンター

    ジャーナリスト ウォルター・ハミルトン 2012年10月25日 オーストラリア大使館 今晩は。これは聖堂でしょうか。難破したUFOでしょうか。 これはかつて横浜郊外にあった競馬場の正面特別観覧席の一部なのです。 第二次大戦後、この以前競馬場であった場所は今でもアメリカ軍によって使用されています。 なぜこのような事を申し上げたかといいますとこの近くに過去の名残があるのです。今朝私は1880年に作られた根岸外人墓地に行ってきました。 ここには無縁墓地があり、その中には800人もの占領下に見捨てられた嬰児の墓地があります。この子供達の父親は外国の兵士でした。 NHKの朝のドラマ「純と愛」を始めテレビ娯楽番組ではハーフの芸能人が目立った活躍をしています。日の人口が横ばいの現在、国際結婚は増えています。今は、格好いい、可愛いと受け止められている「ハーフ」ですが、ずっとこうだった訳ではありません。

  • 十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十六世紀から十七世紀、戦国時代中期から江戸時代初期にかけて、多くの日人が海を渡り、東南アジアから東シナ海にかけて様々な活動を行った。海を渡った日人はどのような人々だったか、大きく(1)倭寇(2)武士・雑兵(傭兵・奴隷)(3) 商人・労働者(4) キリシタンの四つに分けられる。もちろん、分けられると言ってもその境目は厳密ではない。むしろ、その重なり合っている様がまた時代性を表してもいる。 (1)倭寇倭寇とは何か倭寇の活動は大きく二期に分けられる。前期は高麗で史料上倭寇という言葉が頻出しはじめる1350年ごろから十五世紀末にかけての時期で、1375年ごろから活動が頂点に達し、朝鮮半島沿岸を襲い、略奪・殺戮を繰り返した。最盛期には300~500艘の船団を形成し、千数百の騎馬隊と数千人の歩兵を乗せ女性や子どもを伴っていたという。1419年、倭寇の根拠地となっていた対馬に李氏朝鮮が大規模な討伐軍

    十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 荷役はかわる 通運のパレット作業(1958)|物流アーカイブズ|日本通運

    鉄道貨物輸送の現場におけるフォークリフト、パレット、ローラーコンベアなどを用いた荷役の機械化・合理化について紹介した作品。これらの導入が、荷役現場にもたらした革命的な変化を示すとともに、各地の作業現場における実情に応じたさまざまな新しい工夫の事例をわかりやすく紹介している。冒頭部分に登場する昔ながらの荷役風景をはじめ、当時の貨物輸送の現場を知る上で参考になる細かな見どころも多い。 製作年:昭和33年(1958) 製作:岩波映画製作所 企画:日通運㈱ <製作スタッフ> 脚・演出:岩佐氏寿 撮影:広川朝次郎 後援:日国有鉄道

    荷役はかわる 通運のパレット作業(1958)|物流アーカイブズ|日本通運
  • 「応仁の乱」の解説動画が熱意と工夫満点ですごい 「野生のNHK」「金払わせろ」と好評

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 応仁の乱をまるでNHK歴史番組のように解説してくれる動画シリーズ「戦国への道」が分かりやすいと評判です。 分かりづらい「応仁の乱」を分かりやすく解説(ニコニコ動画より引用) 「応仁の乱」といえば、よくゲーム漫画の題材となる戦国時代を生むきっかけともなった重要な出来事が起こった時代です。ところがその重要性の反面、高い人気を誇る戦国時代などに比べると影が薄い印象があります。 その理由としては「いろいろな勢力が入り乱れてややこしい」「最終的に『〇〇が全国を支配する』といったような区切りがない」ことなどが挙げられます。もっとストレートに言えば、応仁の乱はとても分かりづらく、楽しみづらいのです。 動画では、そんな応仁の乱のややこしさを象徴する「なぜこの人物同士の対立が起こってしまったのか」「誰と誰が手を組んでいるのか」といったポイントを、

    「応仁の乱」の解説動画が熱意と工夫満点ですごい 「野生のNHK」「金払わせろ」と好評
  • なにわの総統一代記

    なにわの総統一代記 Wiki新装版にあたって 2008年6月 「なにわの総統一代記」はNIFTY-Serve生まれです。当時、通信料金は非常に高く(電話代別1分10円)、投稿場所のリソースも貴重でした。自分だけの掲示板(PATIO)を持つ料金は、インターネットとの競争上どんどん下がっていきますが、当初は月額10000円を超えていた記憶があります。 当時は半角80字*25行がよくある環境。全角40字を使い切ると表示が乱れるので、37~38字で文節が切れようが切れまいが切ってしまうのがお作法。そんな時代に生まれたテキストデータでした。 SFフォーラム、特にRT(チャット)常連の皆様には当にお世話になりました。あまり愛想のいいキャラクターでもないものですから、フォーラム運営ではあまりお役に立てず、せめて評判のいいコンテンツはFSF限定にしておこうと、1998年に「欧州戦記資料」を立ち上げたにも

  • 元寇はどこまで日本の脅威だったか&モンゴル軍はどこまで強かったか

    #歴史オタクをどこまでイライラさせられるか選手権 という話題のハッシュタグの一つとして「元寇は武士のボロ負け、神風で偶然勝てただけ」が「イライラさせる言葉」の一例となってりました。 これは今、かなり払拭されたと思うのだけど、確かに一昔前そう言われてたのですよね。 しかし ・そもそも鎌倉武士はモンゴルに負けず劣らずヤバイ(笑) ・苦戦の記録は「だから恩賞たくさんくれ」と言う為に盛ってた? 続きを読む

    元寇はどこまで日本の脅威だったか&モンゴル軍はどこまで強かったか
  • 山本五十子の決断(如月真弘) - カクヨム

    臆病な未来人と優し過ぎる司令長官の、甘くて切ない架空戦記 如月真弘 源葉洋平は高校修学旅行の最中、呉の大和ミュージアムで10分の1大和模型を見た記憶を最後に意識を失う。目覚めると洋平の前には物の戦艦大和と、旧帝国海軍によく似た軍装を纏った少女達がいた。 光文17年4月、太平洋を隔てた大国ヴィンランド合衆国との大戦の最中にある帝政葦原中津国。未成年の女性を除きヒトが生まれつき海に出られない世界で、海で戦う使命を帯びた少女達は海軍乙女と呼ばれていた。男なのに海でも平気な洋平は「異世界未来人」であると認められ、連合艦隊司令長官・山五十子の特務参謀として葦原海軍の一員になる。 いつも元気いっぱいで甘い物が大好きな五十子、気難しい大艦巨砲主義者の参謀長・宇垣束、昼夜逆転ひきこもりの先任参謀・黒島亀子、女の子同士の禁断の関係に目が無い戦務参謀・渡辺寿子など、個性の強すぎる海軍乙女達に振り回されなが

    山本五十子の決断(如月真弘) - カクヨム
  • 現代音楽にかけられた呪い平均律

    リンク GIGAZINE音楽は世界共通の言葉」という通説が間違っていた可能性 音楽文化や言語の違いを超えて親しまれることからよく「音楽は世界共通の言葉」だといわれています。しかし、アマゾン奥地の先住民の音の聞こえ方を調べた研究により、音楽の聞こえ方にも文化の影響が確かに存在する可能性が示されました。 181 users 1108

    現代音楽にかけられた呪い平均律
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