慶応3年の夏から三河で神符の降下を瑞祥として「ええじゃないか」の熱狂が始まった。 この熱狂は三河から東西に広がり、関東、中国、四国地方に達した。特に東海地方では ペリー来航以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、唯念行者の除災儀礼が各地で 行われ安政5年にはコレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。そうした中で民衆は、 敏感に世の変革を兆しを感じ、重くのしかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への 世直しに熱狂した。 農村にあった御蔭参りを基盤として、「ええじゃないか」のはやしをもった唄を 高唱しながら集団で乱舞した。 いわゆる大衆的狂乱である。 ええじゃないかの歌は有名なので次が挙げられる。 日本国のよなおりはええじゃないか、ほうねんおどりはお目出たい、 おかげまいりすりゃええじゃないか、はぁ、ええじゃないか