キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。
どうも、わかばルームです!ご閲覧、ありがとうございます! まずは、「かきくけこ」から構音の練習を始める場合が、なかなかの頻度であります。だから、ここで構音の練習は面白い…と感じてもらえるかなあと願いつつ子どもと向き合うことが多くあるものです。 特に、まだ文字に慣れないお子さんの場合、いよいよ!と「文のれんしゅう」を出すと、ちょっと心配になっている気配を感じることがよくあります。やったことのない課題なので「できるかな、できなかったらどうしよう」…みたいな感じです。 でも、取り組むうち、次第に「文のれんしゅう」が楽しみになり、自信をつけていってくれるものなので、私の方も一緒に楽しくなっていきます。なんとなく文を途切れ途切れにでも覚え始めると、楽しくなってくるようであります。 ①は、導入として、なかなか良い文となっているようで、子どもがスムーズに復唱してくれる場合がほとんどです。モーラ数(あるい
お化け・・・人間以外が変化したもの 参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%8C%96%E3%81%91 お化けは器物や動物の変化(へんげ)したものである。物を粗末に使い、捨てることによって後で化けて出てくる。これがお化けである。無下に殺生され、恨みを抱いて死んだ動物などが違う姿をとって現れるのもお化けと言える。 幽霊・・・死後の人間の霊 参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E9%9C%8A 幽霊(ゆうれい)は、ヒトが死亡して肉体が消滅した後も、この世(娑婆)に未練や恨みがあるために成仏できず、浄土にゆけない魂がそれらしき姿と声を持って、因縁のある人物の前に出現するものである。 妖怪・・・「お化け」や「幽霊」とは違う存在 参考URL:http://ja.wikipedia.org/
疑う人の信じ方 まるで疑いを持たない人は、信じることはできません。「疑い」が無いなら、彼は「理解」したり「了解」したりするだけです。 しかしながら、「理解」や「了解」も、実は根本的にはそう「信じて」いるのです。そのとき、疑うことは忘れられています。 「ここにコップがある」「1+1=2である」ということを、人は普通「わかっている」とは言うでしょうが、「信じている」とは言いません。 ところが、この「コップがある」の、「ある」とはどういうことか、と一たび考え出したら、ことはそう簡単に「理解」できなくなります。 「1+1=2」にしても、別々の「1」をまとめて一つに見る意識作用が無ければ、「2」にはなりません。人はどうして、別なものを一緒のものとして見ることができるのか。「+」とは何か。なぜそれが、ただの「1と1」ではなく、「2」になるのか。考え出したらキリがありません。 こういう「無駄な」考えや疑
がちがちに堅い敬語は使わなくても、目上の人やお客様宛のメールはやはりある程度敬語を使って書くものだと思います。 よく お待ちしています。 とメールの文章にありますが、 これは お待ちしております。 と書くほうが丁寧できちんとした印象で伝わります。*1 × お待ちしています。 ○ お待ちしております。 × よろしくお願いします。 ○ よろしくお願いいたします。 × うかがわせていただきます。 ○ うかがいます。 × いかがいたしますか? ○ いかがなさいますか? × ご覧になられましたか? ○ ご覧になりましたか? × お目にかかりますか? ○ お会いになりますか? 細かいことですが、メールを受け取ったあと気にする方は気にされます。一通りおさえておくとよいかと思います。 また上から目線にならないように気をつけたいというのもあります。 例えば「特に問題ありません。」「別に構いません。」というの
■縄文のノコギリクワガタ、ほぼ完全な形で出土 (読売新聞 - 05月24日 19:02) http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1612828&media_id=20 凄いねこのクワガタの写真。こんなにキチンと残るんだね… ところで、2800~2500年前って、縄文時代の末期も末期、ほとんど弥生時代だよね… 一口に縄文時代って言うけど、2万年近く前から2500年前ぐらいの1万8000年近い長い長い期間を言う訳で、あまりにも一緒くたにされちゃってるんだよね。 なんか、この辺り凄く政治的作為的な物をすごく感じる辺りで、どうあってもこの頃日本はほとんど原始人のような暮らしをしていた…って事にしたい連中が要るらしくて、ちゃんと研究して無い…というか研究している人を排除する風潮があるんだよね。 たとえば「竪穴式住居」とかイロイロ発掘されてるけど、なんか凄く原始人的な
238 音速の名無しさん sage New! 2009/01/28(水) 05:47:21 ID:c82jBkYi0 1993年、日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。 それまでアメリカ、イギリス、オーストラリアにしかなかったセンターが 日本に設置されることになったのは、なぜか。 インフルエンザ・ワクチンは、毎年、WHOの専門家会議で、データをもとに今年流行しそうな インフルエンザを決定し、それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。 それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集し WHOに送付する仕事だけをやっていた。 担当していた根路銘国昭氏は、これだけの仕事をやってるのに、 日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。 それに対する返事は 「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。 よって日本は入
話の変え方 「たとえば坐禅について、君は小難しい理屈を言うかと思うと、頭を冷やすためにするだの、リラックスの方法だのと、妙に簡単な話をする。方便と言えばそうかもしれないが、悪く言えば二枚舌じゃないのか?」 「対機説法という言葉があるのを知っているか?」 「ああ。お坊さんが相手に合わせて、つまり相手の立場や理解力に合わせて教えを説くことだろう」 「ぼくはね、相手に合わせて説くんじゃないの。相手の問題に合わせて言うの」 「どう違うんだ」 「『悟り』とか、『身心脱落』とか言い出す相手なら、小難しい理屈で話せばいいじゃない。だけど『最近煮詰まってて、頭を空っぽにしたい』とか、『職場のストレスがひどくて、何とかしたい』とか言う人に、『悟り』もへったくれもないでしょ。坐禅がそれなりに役に立ちそうだと思ったら、問題の範囲内で紹介すればいいだけさ」 「なんだか不誠実だなあ」 「そう思うのは、君が仏教の『真
「仏教は科学」ではない あるものがそのようなものであることの根拠、これを「実体」と言うなら、仏教はそれを認めません。その「実体」を「我(アートマン)」と呼ぶとすれば、すべての存在は「非我」だと言うことは、人間はいかにしても「我」を認識できないという意味になり、認識できないならそれを論じることは全く無意味でしょうから、もはやそれは無いも同然、すなわち「無我」ということになるでしょう。 この「非我」「無我」「空」という考え方は、仏教のごく初期、ゴータマ・ブッダの言葉にも表現されている教説ですが、この教説が陥りやすく、かつ最もわかりやすい解釈は、要素分割主義的なアイデアです。 すなわち、「車」そのもに「実体」はなく、部品の寄せ集めで「車」になっているように、この世のあらゆる存在は、五蘊(色・受・想・行・識)の寄せ集めに過ぎない、と考えるのです。この考え方は、ゴータマ・ブッダの弟子とされる者もすで
僕はなるべく穏やかにブログを書きたい、という方針で継続的に記事を書いている。そのために、普段からいくつか気をつけていることがある。 前提今までに自分のブログを書いたり、他の人のブログを読んだりして、どうすればもっと穏やかに記事を書き続けられるのか考えてきたけど、この言い回しは失敗したなとか、こういうのはリスクが高いなとか、だんだん知見が溜まってきた。 穏やかに書くとはどういうことかというと、楽しく日記書いてたら、どこからともなく文句言いたい人がやって来て、ごちゃごちゃ文句言って帰っていくみたいなことをなるべく避けたい、という意味。炎上まではいかなくても、四方八方から突っ込まれて荒れてる状態は、ブログ著者にとってきびしい状態なので、穏やかな気持ちになれない。きびしい気持ちにならない突っ込みだったらいいけど、意図しない風に誤って解釈されたり、揚げ足をとる意味で突っ込まれるのは、個人的には避けた
2014-05-26 頭がいいと思われたい人にありがちな特徴 考え方 頭が良い人ってどんな人?〜学歴=頭が良いとも限らない〜 - 心がよろけそうなときに読むポンコツ日記頭がいいということがどういうことか、議論が盛り上がっているようです。 頭がいいかどうか論って「どういうカレーが美味しいか」論と似ていて、主観の違いを楽しんでたまに共感できると嬉しいのかなーと思いながら見ていました。 「ジャガイモは入れるべきだろ」「チョコレートが鍵」みたいな。 結局は自分の観測範囲内でしか語れず、食べたことの無いカレーはコメントできないので、「お前のカレーは間違っている!インドに行ってカレー食ってこい!」という雄山みたいな人はちょっと違うなあと思います。 ひよこ豆カレーが美味しいとという人がいてもいいし、星の王子様が大好きですという人もいていいし、一般論では語れないものですよね。 定義の個人差が面白
24兆円を誇る外食業界において今期、その勢力図が大きく変わろうとしている。長年トップを走っていた日本マクドナルドホールディングスがその座を追われ、代わりにトップの座に就くのが牛丼「すき家」を中心に約20の業態を展開するゼンショーだ。 ゼンショーはこの10年で売り上げを20倍に伸ばし、今期3686億円の売り上げを達成する見込みだ。その原動力となったのは生産効率への飽くなき執念、そして社員、パート、アルバイトまでをも1つにまとめ上げる統率力。 こうした仕組みを作り上げたのは、革命家出身の経営者、小川賢太郎社長だ。小川社長にとって日本一は通過点に過ぎない。あくまで狙いは“フード業世界一”。 日経ビジネス9月20日号の特集「外食日本一 ゼンショー」では、その経営の仕組みの詳細に報じた。その関連インタビューとして、これまであまりメディアに出ることがなかった小川社長に秘めた思いを聞いた。 (聞き手は飯
ブログで飯を食う ただそれだけのことが麻呂にとって 恐怖であり、同時に存在の証明でもあった ・一昨日のことなんだけど、嫁に「会社を辞めてブログで食べていく」と告げました 先日、このブログが燃え(ボヤ程度)その後いろいろ展開した。 ヲチしていたのだけれど、打つ手打つ手がどれも悪手で辟易とした。 そこで彼の手筋を振り返り、何が悪手だったのか?を考える。 ※長くてめんどくさい人は「 Opening Trap ~悪手~」「Blunder ~敗着~」まで跳ばすのがおススメ Open Game ~始まり~ sosukeblogは2013年10月28日に開設。 ガジェットが好きだが、知識はまだまだ初心者。 そんな理由で最近はもっぱらネットでガジェットに関して調べ物をする日々が続いています。 そんな中、ガジェット好きな先人たちのブログを拝見していて『自分でもちょっとやってみたいなぁ』といった 思いが芽生え
通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日本の「ひきこもり 」界隈を取材。東日本大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書) 他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会本部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ 東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない
発熱最中 ずいぶん久しぶりに風邪をひいて寝込んでしまいました(寝込むのは20年ぶりくらいか?)。インフルエンザでもないのに情けない話です。 こうなると手も足もです、ただ寝ているだけです。すると、子どもの頃からの習慣で、発熱した頭のまま、様々な妄想・追想が出てきます(私は熱に強いです。なんの自慢にもなりませんが)。その中で、ずいぶん昔のことをひとつ思い出しました。 中学生で京都に修学旅行に行った時のことです。私は初めて、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像という、有名な仏像を見ました(確か、国宝彫刻第一号だったでしょうか)。 私はこの時、像を見ているうちに、ほかの生徒が全部移動してしまい、探しに来た教師にえらく怒られてしまいました。 「お前はこういうのに感動するのか」 教師は聊かあきれてそう言いましたが、実は私にはそのとき何を感じていたのか、まったく記憶がありません。結構長い時間見ていたのでしょうが、
言葉と体験 「仏教とは根本的に言葉の問題だ」という言い方を時々していると、必ず「体験主義者」的人物から、同じような反論を繰り返し聞かされます。いわく、 「あなたは空の青さを言葉で言い尽くせますか? 無理でしょ。仏教の真理や悟りもそれと同じです。体験しない限り決してわからないのです」 たとえ上を向いて空の青さを見ていても、彼がそれきり何も言わなければ、「空の青」を見ていたかどうかさえわかりません。彼が「ああ青いねえ」と言い、別人が「そうだねえ」と言わない限り、「空が青い」かどうか、誰にも(本人にも)わかりません。 何をどう体験しようと、体験それ自体は、徹頭徹尾、無意味なのです。「意味」を作り出すの言語であって経験ではありません。 他方、言語はそれが語ろうとする当の対象に原理的に届きません。「私」という言葉が、自分以外のすべての人物にも使われていることを考えれば、一目瞭然でしょう。「今」「ここ
さて、この小さな連載の最終回です。 前回は、聖書の奇跡の話は比喩であり、 言葉の発生順でいえば 直喩の前に暗喩があったということを お伝えしました。 そして、さらに、暗喩の前には 虚喩という概念があったと 吉本さんは付け加えています。 ちょっとむずかしく聞こえるかもしれないけど、 ぜひ、ついてきてくださいね。 吉本さんのおっしゃっている虚喩は、 「たとえになる前の状態」を指すのだと思います。 ですから、それは、 ほんとうは名づけようのないものです。 あきらかに何か、 感情や心や経験や概念のもとがあるのに 何にも比喩されていない状態です。 黒澤明さんの映画『七人の侍』で、 長老が「やるべし」と言う 決断のシーンがあるでしょう。 あの人の「やるべし」というひと言には、 いろんな虚喩が入っています。 喩の根っこにドーンとしたものがあるのがわかるから、 村人が立ち上がり、 あの映画のお話が成り立つ
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