ポカリスエット→アクエリアス 他に何かある?
プロクター・アンド・ギャンブルとか ジョンソンアンドジョンソンとか スタンダード・アンド・プアーズとか いろいろありそうだけど 日本にはなさそうだよな。 なんでだろ。
というより、差別発言をした瞬間に扱いが敵サイドになるというべきか メチャメチャな人種差別主義者で最悪だけど、主人公と目的はバッチリ同じだし、すげー協力的で優しくもある、みたいなキャラ造形はないのかな とくに映画、「味方キャラは全員リベラル、非リベラルなやつはクズで敵と内通していてやがて裏切る」みたいなパターン多すぎる 発言によってそのキャラの立ち位置をスッと見抜けちゃうの、ちょっとつまんないんだよな FE風花雪月のイングリットちゃんはその点よかったな 被差別部族みたいなのが登場して、歴史的経緯から「○○人は卑劣なカスばっか、腹の底で何を考えてるかわからない」みたいなことを言われてるんだけど、イングリットちゃんはがっつり味方キャラなのにも関わらずそっち側の発言を結構する 他のキャラたちが「○○人だからって性格を決めつけるのは良くないよ!」みたいなよくあるタイプの発言をする中、イングリットちゃ
なんか、そういう要素を少しでも入れると「深い!」って絶賛を受けるよね。ガンダムとかエヴァとかさ。 実際は深くもなんともなくて、それ入れると深いっぽく見えるから入れられているだけだよね。 「正義と思っていたやつが正義じゃなかった!ふ、深いー!!」みたいなさ。 しかもそういうフィクションに脳がやられちゃっているから、「森喜朗には森喜朗の正義がある!」「トランプにはトランプの正義がある!」みたいなプロパガンダにもすぐ転ぶよね。「そうだよなー!悪っぽいやつが悪だなんてそんな単純なことないよなー!ふ、深いー!!」って。「ナチスはいい政策をやっていた!ふ、深すぎー!!」って。実際は単なるプロパガンダで、深くもなんともないんだけど。
趣味で小説を書いているのだが、現代を舞台にした物語で日常を描いているときに、えーと…と一瞬悩んでしまうことがあって、それはコロナ禍をどう扱うかということだ。正確に言うと、コロナウィルスの影響で変わった日常の風景をどう描写するか、ということ。 例えばキャラクター同士がどこかで会食をする場面を描こうとするとき、実情に即して描写しようとすると、それが2020年以降の現代である限り、何かを口にするときはマスクを外す、さらに、衛生に慎重な人物ならばその都度マスクをつけ直す、というのがリアルな風景になる。 特に、「単なる普通の飲み会」ってのやつは、もう描くのが難しそうだな、と思う。現代を舞台にしている限り、複数人が集まって(5人以上? ですか?)、呑気に酒を飲んで食べて…というのは、リアルでは、もはや当たり前に許される風景ではなくなってしまった。 飲み会の様子を何も考えずに書くと、自動的に、意識の低い
舐めすぎている。野戦築城術といういうものは、単一機材によってのみ効果を発揮する物ではなく、地形を含めた総体を以て防御を行うにある。もちろん欧州大戦の塹壕戦を有刺鉄線が支えた側面は否定できない。しかし塹壕戦が戦車によって蹂躙されるまで誰にも突破できなかったのは、そのシステム全体が強固なものであったからだ。 有刺鉄線、というか鉄条網に期待されているのは敵歩兵の突撃妨害に過ぎぬ。あれで殺すのではない、あれで足が止まった連中を火力で薙ぎ払って殺すのだ。実際くぐってみるがいい。なるほど致命傷にはならないだろう。だが現実に痛みを前にすればそれが人間は死との二択であったとしてもなお怯む。肉体を痛めるという原始的な恐怖からは逃れられない。そして人間に覚悟があっても、人間に付随する衣服だベルトだ銃だ雑嚢だには覚悟がない、トゲに引っ掛かって主人の行動を制限する。ソンムで、パッシェンデールで、フランダースでヴェ
物体が反射する光を感じ取ることができるってのは理屈ではわかるよ? でも反射した光を『見る』ことによって物体の3D構造や距離感を正確かつ瞬時に脳内で把握できちゃうって冷静に考えたら凄すぎないか? その点耳や鼻はしょぼいよ 聴覚だって嗅覚だってなんとなくの距離感くらいはわかるかもだけど、音とか臭いをどれだけ反射させたところで 目の前に置いてあるものがウォーグレイモンのフィギュアなのかフィリップスの髭剃りなのかすら判別できないわけじゃん? 目って当たり前にありすぎて皆気にもとめてないけどちょっと過小評価されてると思うんだよね、こんなんSFの世界の器官じゃん もしかしてイルカとかコウモリだと『見る』に近い感覚で聞こえてたりするんだろうか 不思議だなぁ
ニュースを見ていると、そんな疑問が浮かぶのだけれど、いくら空気を読まない私だって、それを口に出す勇気はなかった。これは、そんな私が一冊の新書によって、正義のために物を破壊するのにも、道徳的・理論的根拠があるのかもしれない、と知った経緯だ。 増田と正義論増田に入りびたっていると、世の中にはいろいろな立場があって、さまざまな正義があることがわかる。残念ながら、複数の正義の間でぶつかり合いがあることもまれではない。表現の自由と見たくないものを見ない権利で、レスバトルが毎日のように起きている。あるいは、外国人・移民の権利を尊重したら、女性の安全をないがしろにしてしまったケースもある。2015年のケルン大晦日集団性暴行事件なんかがその例だ。弱者をいたわろう、財産はみんなで公平に分けよう。そうした基本的な原理では同意できるのに、個別のケースでは意見の一致が見られることはめったにない。工学部出身の私とし
会社勤めをしていた時、ストレスから睡眠障害を引き起こした。 不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。 睡眠は恐ろしい程に大事だった。 家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。 病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。 結局、睡眠導入剤だけを渡された。 薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。 同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。 社長から
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