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エヴァとコミュニケーションに関するBigHopeClasicのブックマーク (2)

  • End of Evangelionの惣流アスカと「赤い海の21世紀」について - シロクマの屑籠

    両価的な他者性が描き出す可能性――エヴァとエロゲと赤い浜辺と - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地 上記リンク先を読んで、End of Evangerlion*1の惣流アスカのことを思い出した。リンク先の人は「End of Evangelionのアスカは、シンジにとって都合の良い相手」という表現をしていて、美少女恋愛ゲームのキャラクター達と同じ役割を与えられていると解釈しているようだが、強い違和感を禁じ得ない。 この機会に、1997年のEnd of Evangelionで描かれた惣流アスカと、「萌え」に供されるような美少女キャラクター達との対照的な姿を再確認したうえで、今後のヱヴァ劇場版シリーズが描き出すであろう「他者とのコミュニケーション」について若干の考察を付け加えてみようと思う。 「キャラ萌え」に突入した時代と、End of Evangelionという作品 新世紀エヴ

    End of Evangelionの惣流アスカと「赤い海の21世紀」について - シロクマの屑籠
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/07/25
    真正面から式波を語れないシロクマ先生もまた、そうすることでどこか心の傷を読み手に感じさせているのか。それが誤配であるとしても。/id:kyo_juさま。その流れがRE-TAKEを産んだので盛り上がらなかったとは思いません
  • 僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい | 某氏の戯言

    一般論という極論(404 Blog Not Found)をよんで、「僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい」という人種は考慮されていないような気がした。 「僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい」と思ってるのは、私自身だ。たぶん、一般的には自己愛のゆがんだ形なんだと思う。弾氏とかは、自分が大好き人間だから、その方法で解決できるかもしれないけど、そうでない人たちは解決できないと思う。 「非コミュ」「非モテ」のジレンマというのはこういうところにあろうと思う。このジレンマにマチョな人の考え方を導入してもあまり意味がないのである。 私は人とかかわったら他人を傷つけてしまうという恐怖をいつももってるし、同時にそのことによって自分自身が傷つく事にも恐怖を抱いている。でも、人とかかわる限りは、人を傷つけないことは不可能なので、傷つけてしまったらそのときに考えようという考えを導入している。 それで

    僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい | 某氏の戯言
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/01/01
    エヴァから13年、宇野常寛がどう言おうが、ぼくらはここからまだ抜け出せていないのだ。この問を世間にばらまき、それを表に出していいものにした庵野が、いかなるブレイクを『破』で作るのだ?
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