HistoryとCrisisManagementに関するCavalleriaRusticanaのブックマーク (8)

  • 「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース

    東京電力の副社長が泣いていた。2月3日、東京・内幸町の社応接室。福島の、ある被災者に話が及んだ時だった。「すみません…。上野さんの話をすると、つい込み上げてしまって」。福島復興社代表を務める石崎芳行副社長(63)は、鼻をすすって息を整えた。「上野さん」とは、上野敬幸さん(44)のことだ。南相馬市沿岸部の萱浜(かいばま)地区で農業を営んでいる。副社長はなぜ泣いたのか。東日大震災と原発事故から間もなく6年。加害者と被害者という立場だけでは計りきれない事情を知ろうと、人々を訪ね、福島を歩いた。(Yahoo!ニュース編集部) 石崎副社長は、上野さんに初めて会った時のことを鮮明に覚えている。震災から2年後の2013年3月。復興社の代表として、福島に居を移して2カ月が過ぎた頃だった。「知人からぜひ会って欲しいと言われまして」。萱浜を訪ねると、自宅前に上野さんが立っていた。1階は津波で破壊されて

    「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で - Yahoo!ニュース
    CavalleriaRusticana
    CavalleriaRusticana 2017/03/10
    現代社会と科学技術と大災害と巨大事故の、誰も答えの出せない矛盾を、たったひとりひとりの個々人が結んでいると言う話。 これこそが人の世、なんだなぁ、と。 そしてこの記事こそがジャーナリズム…。
  • 海外記事 - 法隆寺の五重塔が地震で倒壊しない理由 -: とりいそぎ。

    2012年01月(1) 2011年12月(5) 2011年11月(5) 2011年10月(9) 2011年09月(8) 2011年08月(6) 2011年07月(9) 2011年06月(10) 2011年05月(11) 2011年04月(6) 2011年03月(13) 2011年02月(8) 2011年01月(8) 2010年12月(10) 2010年11月(6) 2010年10月(9) 2010年09月(7) 2010年08月(6) 2010年07月(9) 2010年06月(9) 2010年05月(12) 2010年04月(14) 2010年03月(18) 2010年02月(17) 2010年01月(19) 2009年12月(17) 2009年11月(21) 2009年10月(22) 2009年09月(22) 2009年08月(22) 日は、あっさりと。 こちらから。 日最古の建物は

    CavalleriaRusticana
    CavalleriaRusticana 2011/10/14
     地震 建築物 塔 法隆寺
  • 復興へ遺跡が難題…高台に集落跡、事前調査必要 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災で被災した住宅や公共施設の移転用地として高台の開発需要が高まる中、岩手・宮城両県に約2万か所ある遺跡の存在が、復興を進める上での難題となっている。 両県では縄文時代の集落跡が高台に広く分布しているが、開発には教育委員会への届け出と事前調査が必要となる。1995年の阪神大震災の際には同様の事前調査に3年を要しており、「速やかな復興と文化財保護の両立は果たせるのか」と関係者は頭を悩ませている。 被災者の住宅建設予定地となっている岩手県宮古市田老地区の高台で、市教育委員会の長谷川真・主任文化財調査員(35)がスコップを手に土を掘り続けていた。 「あった」。土の中からは、縄文土器の破片が次々と出てきた。長谷川さんは「やっぱり事前調査は欠かせない」と話す。 文化財保護法では、遺跡として登録された土地を開発する場合、教育委員会への届け出が必要となる。各教委と事業者は、遺跡を保存するため計画

  • 過去の「津波石」が出現 大船渡・三陸町

    Tweet 大船渡市三陸町吉浜の吉浜川河口付近で「津波記念」と彫られた大きな「津波石」が見つかった。地元住民によると、明治か昭和の三陸大津波で海から運ばれてきた石で、かつては津波記念碑として置かれていた。しかし、道路工事の際、埋没したという。東日大震災の津波はその道路を破壊し、崩れたのり面から一部が露出。発見した住民たちは、偶然現れた津波の歴史を伝える貴重な石の保存を求めている。 津波石を発見したのは近くに住む※木沢(はのきざわ)正雄さん(82)、柿崎門弥さん(81)、木川田平三郎さん(78)、木村正継さん(64)。木村さん以外は幼い頃、津波石の周辺でよく遊んでいたという。 6月8日、津波石のことを思い出し周辺を訪れた。石の上にあった市道は今回の津波で無残な姿に。落下した橋より少し海寄りの砂から一部が出た石を見つけた。 3人の記憶から「この石に間違いない」と判断。2時間かけて周辺を掘った

  • 災害史は語るNo.139 天正の大地震 - 防災関連記事|防災情報、地震災害、被災地情報、官庁地方自治体情報を発信

    伊藤和明氏:NPO法人防災情報機構・会長。 元NHK解説委員。現在、中央防災会議「災害教訓の継承 に関する専門調査会」座長。主な著書:「地震と噴火の 日史」、「日の地震災害」 (いずれも岩波新書)ほか 1586年1月18日(天正13年11月29日)の夜11時ごろ、中部地方を中心に大規模な内陸直下地震が発生した。東北地方から九州まで揺れを感じたといわれるが、とくに東海〜北陸〜近畿にかけての広い範囲が、激しい揺れによって甚大な被害に見舞われた。 広域にわたる災害の発生から、この地震は、庄川断層帯とともに、阿寺断層、養老断層など複数の断層が、ほぼ同時に活動したものと考えられており、わが国の内陸直下地震としては、1891年濃尾地震(М8.0)に匹敵する最大規模の地震で、その規模はМ8.0〜8.1と推定されている。 越中では木舟城が倒壊し、城主の前田秀継夫など多数が圧死した。木舟城は、現在の高

  • 仙台平野、弥生時代にも巨大津波に襲われていた : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    約2000年前の弥生時代に仙台平野を襲った津波は、東日大震災の巨大津波と同程度まで内陸に浸水していた可能性の高いことが、東北学院大学の松秀明教授(地形学)の調査でわかった。 15日、仙台市で開かれた東北地理学会で発表した。 869年の貞観津波の浸水範囲もほぼ同じだったとみられ、松教授は「仙台平野では、ほぼ1000年周期で東日大震災と同規模の巨大津波が襲来していた可能性がある」と指摘している。 松教授は4月、今回の津波が内陸約4キロまで浸水した仙台市若林区で、津波が運んできた堆積物を調査した。その結果、海岸線から約3キロまでは砂だったが、その先はより粒子が細かい泥が堆積していた。

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

  • asahi.com(朝日新聞社):震災で崩落の祭畤大橋、一部保存で合意 岩手県と一関市-社会

    震災モニュメントとして残されることが決まった祭畤大橋。写っている部分は補強された上で残ることとなった=今年6月、一関市厳美町、朝日新聞社機から、戸村登撮影  昨年6月の岩手・宮城内陸地震で壊れた岩手県一関市の祭畤(まつるべ)大橋について、一関市と橋を管理する岩手県は7日、橋脚1と道路部分の一部を「震災モニュメント」として保存すると発表した。  祭畤大橋は全長約95メートル。地震で2ある橋脚のうち1が崩れ、道路部分も三つに折れた。県は当初、安全管理上の理由から橋脚部分だけ残し、道の部分は撤去する方針だったが、無事だった橋脚の根元と、道路部分の折れて地面に接している個所をコンクリートで固定すれば、洪水時の水流にも耐えられると判断した。市はひび割れた周辺道路も含めて整備を検討する。  祭畤大橋は被災直後、繰り返し報道に取り上げられ、震災を象徴する建造物になった。現在は近くに仮橋がかけられ、

    CavalleriaRusticana
    CavalleriaRusticana 2009/09/08
      2008.06 岩手・宮城内陸地震
  • 1