発着国の韓国人とアメリカ人の乗客が多くを占めたが、ソウルで乗り継ぎ自国へ向かう日本、台湾、フィリピン、当時はイギリスの植民地であった香港の乗客も多かった(なお、フィリピン人のうち、4人は在日者で、そのうちの1人は横浜市のセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに通学する小学生であった。また、カナダ人のうち1人は鹿児島市のラ・サール中学校・高等学校の関係者でもあった。)。 日本人乗客の多くは、日本航空やパンアメリカン航空の直行便に比べて航空券が安価な大韓航空を使い、金浦国際空港を経由して日本へ帰国する観光客や留学生であった。特に九州をはじめとする西日本在住者にとっては、成田経由で移動するよりも安価で利便性も高いため、アメリカとの移動においてソウルを経由するケースも少なくなかった。 撃墜までの経過[編集] 予定航路(破線)と実際の飛行航跡(実線)の地図 ※時刻は東京/ソウル時間 (UTC