朝日新聞出版が発行する『週刊朝日』。毎号12万部を発行し、毎週火曜日の朝には全国の書店や駅の売店に並ぶ週刊誌だ。政治経済から芸能人の話題までバラエティに富む記事が、ネットで大きな反響を呼ぶことも多い。ネットで無料で記事を読める時代に人々が「お金を払っても読みたい」と思う記事を作り続けるためには、どのような努力が必要なのだろうか。週刊誌作りのおもしろさ、やりがいについて、現場をリードする二人にお話を伺った。 ニュースの背景に隠れた「真実」と「人間ドラマ」ネット時代だからこそ「信頼できる情報」を提供 株式会社朝日新聞出版 週刊朝日 専属記者 吉﨑 洋夫 (よしざき ひろお) 1984年 東京都生まれ 2003年 東京都 私立 京北高校卒業 (現:東洋大学京北高校) 2009年 早稲田大学 社会科学部卒業 2012年 早稲田大学大学院 社会科学研究科 地球社会論専攻修士課程修了 2012年 NP
さっき又聞きで聞いたんですが、さるさる日記が6月30日をもって閉鎖されるとのことです。日記とかすべて削除されるそうです。 別にさるさる日記に何の恩も仇もないのですが、「ネットにアップした日記は未来永劫残るから末代までの恥」みたいな笑い話を昔よくしてたのにそれがいざこうやって末代どころか自分の目が黒いうちに削除されるんだから、ほっとした一方で結局なんにも残らないんだという寂しい思いがあります。 僕が書いてたさるさる日記「Not Found」が何の挨拶もなくある日急に始まってるのは、それ以前に書いていた日記がすべて削除されたからです。削除されたのはその当時さるさる日記で一番人気のあった、凛という女が書いてた「叶わぬ恋」とかいう間抜けな恋愛日記みたいのに対して毎日誹謗中傷し続けたからです。朝から晩まで、寝ても覚めても、誹謗中傷してました。さるさる日記の管理人から直接メールがきて「内容が酷い」「凛
スタジオジブリ鈴木敏夫が語る“3人の監督”の「決定的な違い」《宮﨑駿は「映画を観ない」》《押井守は「正直者」》《高畑勲は「やってはいけない」をやる》 スタジオジブリの代表取締役プロデューサー・鈴木敏夫と、日本のアニメーション界を代表する巨匠・押井守──二人が“忖度一切なし”の対談を重ねた記録が『鈴木敏夫×押井守 対談集 されどわれらが日々』(DU BOOKS)として一冊にまとめられ、注目を集めている。映画という芸術の奥深さや、その背景にある人間関係に迫るこの書籍は、日本の映画文化の一端を垣間見ることができる貴重な資料となっている。今回は本書の刊行を記念して、隠れ家「れんが屋」にて鈴木氏にインタビューを行った。 庵野秀明が語っていたこと ―「これだけ世の中にいろんなものが出ちゃったら、今『ものを作る』っていうのは、映画に限らずあらゆるものがコラージュになる」と鈴木さんは本書でお話されています
電気自動車のアリアで東海地方から関西地方に向けてぐるっと遠出をしました。4泊5日の旅です。 連合三田会(慶應の同窓会組織。定期的に寄付を募っていて、寄付者の中からたまになにかが当たる)の抽選で当たった1泊2日のホテルのディナー付きの券を使うために豊橋に行ったり、友人が取ってくれたなかなか予約の取れないお店の食事をするために京都に行くためです。 まあ、別に新幹線で行ってもいいし、どうしても車で行きたいのであればガソリン車で行っても良かったのですが、まぁ、時間に余裕もあるし、面白いからアリアで行ってみようと思いました。 そうしたらまあ、思いのほか厳しかったです。まず、航続距離が気温が高い時期の大体7割ぐらいに落ちます。1kWhあたり、普通の時期であれば5キロから6キロぐらい走るのですが、気温が1桁台の前半になったぐらいでだいたい4キロぐらいしか走りません。 なのでアリアの場合満充電ですと、だい
今から22年前の2002年に、11歳の脳障害児である日木流奈が話題になった。 俺は彼が本当に奇跡の詩人であり、自分の言葉で話していると信じていた。 NHKで放送され、ネットなどの批判によりNHKは謝罪したが、俺は彼を信じていた。 彼の話法は、母親が彼の手を取り、50音が書かれた紙を指差して話をするというものだ。 「実は母親が指差しているだけでは?」と指摘されていたが、俺は違うと思っていた。 「そのまんまでいいよ」「心配しなくていいよ」という彼の詩に感銘を受けていたからだ。 そこから20年経った2022年に、俺はなんとなく再度彼の動画を見直してみた。 すると、どうだろう。これは明らかに、母親が彼の手を故意に動かしているではないか…? なぜ俺は気付かなかったのだろう。 その時俺は、コロナ禍で危うく反ワクになりそうなほど、陰謀論に傾きそうになっていた。 しかし大人になった俺はなんとか陰謀論を逃れ
人情が度を超して発動された場合、それはわれわれの眼に滑稽として映りはしないだろうか。より平易に言い換えれば、「臭すぎて笑える」ということである。 滑稽にまで至ってしまうその種の人情は、典型的なケースのひとつとして、自分の本心とは逆の態度をとることによって、自らの本当の気持ちを隠し通そうとするが、端から見ればバレバレであるといった情景の中に展開される。 本稿の目的は、そうしたキャラクターの実例として海原雄山を取り上げ、その人格の有り様を考察することにある。 海原雄山が読者の感情を高揚させる最大のポイントは、「表面的には憎しみを抱いてるように見せて、実は最愛の息子士郎がかわいくてかわいくてたまらない」という彼の態度にあると言って良いだろう。 まずここでは、初期における軽薄な悪玉キャラを抜け出し、臭すぎて爆笑型キャラクターの頂点を極めた海原が、やがて栗田ゆう子に手玉に取られるようになる過程を、時
野生の蚕「野蚕」を死なせずに糸をとる方法を考えた岡谷市の小学生が、全国規模の科学コンクールで最高賞を受賞しました。 岡谷市の長地小学校4年の八並伸之介さんは、「全国児童才能開発コンテスト」の科学部門・高学年の部で、最高賞にあたる文部科学大臣賞を受賞しました。 岡谷市でも盛んだった製糸業では、繭を煮てから糸をとるのが一般的ですが、八並さんは5歳のころから「野蚕」を育てるなかで、死なせることなく糸をとる方法を考えるようになりました。 去年は8種類の「野蚕」の飼育に取り組み、このうち「ウスタビガ」の繭は、上部に穴が空いていることを発見しました。 そこで八並さんは、穴から幼虫を取り出したうえで薬品を加えた水で繭を煮て、2メートルほどの糸をとることに成功しました。 別の場所で育てた幼虫も無事、成虫に育ったということです。 さらに八並さんは、ウスタビガの繭が黄緑色の外側と紫色の内側の2層構造になってい
おだやかな時間をこよなく愛して生きてきた。そんな自分が、55歳にもなって週刊誌記者に初直撃されようとは。ちっともメロウじゃないなぁ。短い、でもそこそこ長い人生には、時として想像もつかぬ場面が待っていることを思い知った。 きっかけは、先週土曜(1日)のツイートだ。 「15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました。私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です。今までのサポートに感謝します。バイバイ!」 これがバズった。3日間で表示は何と2800万回を超えた。関心の矛先が向けられたのはまず、スマイルカンパニー(以下、SC)とジャニーズ事務所(以下、J)の関係だったようだ。次が達郎さんだろうか。 ツイートから24時間以内に、ぼくのもとには10社を超えるメデ
超マニア向けのシューティングゲーム「超連射68K」。開発したのは、ファミベのよっしんさん(以下、よっしんさんと表記)。音楽は柏木るざりんさんが担当しています。最近だと、「X68000 Z」に最新バージョンの「超連射68K」がバンドルされています。 「超連射68K」のゲーム性については、別の方が詳しいと思うので、自分はそれ以外の魅力について書きたいと思います。 (その1)「爆発が凄い」 「超連射68K」は爆発が芸術的です。破片は回転。爆炎は白→黄色→赤→茶色と色彩が変化します。 ボスキャラが爆発した場合、疑似的なレンズフレア、衝撃波、光条、露出オーバー/アンダーなどで「実写のカメラっぽさ」を表現しています。光条が回転するあたりはアニメっぽいかもしれません。 超連射68Kにレンズフレアが実装されたのは、Ver.0.25あたりでしょうか? Ver.0.10だと爆炎だけでした。 疑似レンズフレアの
信じ難いが、本当だ。「アップル」の共同創業者スティーブ・ウォズニアックは午前中、一度も携帯電話を見なかった。2度ほど、時間を確認するかのように手首を動かしはした。少し“カンニング”したのかもしれないが、それでも携帯電話そのものをポケットから出すことはなかった。 【画像】 若かりし頃のジョブズとウォズニアック 70年代末のギークで、世界初のパーソナルコンピュータを開発したとされ、スティーブ・ジョブズと仲違いするまでは親友で、かつてSFだった世界を日常にした技術革新の立役者の一人。その人物が、2時間あまり携帯電話を見ずに過ごしたのだ。 「ボトルから直接飲むよ」と言って水をオーダーしたウォズニアックは、物腰の柔らかな人物だ。 孤独で内気で、周囲に理解されにくい子供だったという彼は、人ごみが嫌いだ。大勢の人がいる場所は避けるという自らの習慣を、これまで一度だけ破ったことがある。それは、ミラノでコー
東京・山谷地区は、大阪の釜ケ崎、横浜の寿町と並ぶ労働者の街だった。1960年代に1万5000人がひしめき合った山谷はいま、「都市型限界集落」と呼ばれるほど高齢化した。一方では、しゃれたゲストハウスも増え、国際化が進む。宣教師として来日したカナダ人のルボ・ジャンさん(74)はここで40年近く、生活困窮者らを見守ってきた。その目に映った山谷の人々と街の変遷、そして日本とは。(文・写真:後藤勝/Yahoo!ニュース 特集編集部) JRや地下鉄が交わる南千住駅から南へ10分ほど歩くと、漫画「あしたのジョー」で有名な泪橋交差点に着く。さらに路地に入ると、いつも男たちが集まっている一角がある。建物には「山友会」「クリニック」という古い看板。たいていジャンさんもここにいる。
私は高校卒業時に「大学には行かしてやれんかもしれん」と父に告げられた。当時、母が大病し、死に病と宣告されていた。しかも借金だらけ、父は事情あって無職、アルバイトでくいつないでいる状態。経済的にも最悪で、進学どころではなかった。家賃も滞納、食べるのがやっと。 たまたま母は手術してみると死に病ではなく(しかし2,3日手術せずに放置していたら危なかった状態)、助かった。それで大学に進学することを再び真剣に考えたのだけれど、その時以来、「もし大学にあのまま行けなかったら」を常に考えて生きている。 大学に行けず、高卒で勤め始めたらどうだったろう?高校卒業してしまってからだと、高校によるあっせんもないので条件が厳しい。きっと仕事探しも苦労していただろう。しかしそうであっても、私は私。どんな仕事をしているかは外側の話。今の私と高卒のままの私、どちらも私。 学歴のないことを理由に見下したり、社会的地位がな
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