ことし10月5日で、亡くなってから10年になるスティーブ・ジョブズ。 マッキントッシュ・コンピューターからiPhoneまで、IT分野のフロントランナーとして世界を変えたジョブズは、禅や和食などの日本文化に深い関心を持っていた。 そして、時折、家族と古都の京都を訪れていた。 ジョブズに京都はどう映っていたのか。その素顔に接した人たちを取材した。 (国際放送局 World News部記者 佐伯健太郎)
【2017/10/25追記】 久しぶりにバズッたので、ナイチンゲールの呪いにかかっている私としては戦々恐々としながらはてなの通知欄をみております。 はてぶで、今回指摘したSONYのハンディカムのCMに、高篠氏のエピソードが使われていることを教えてくれた方がいました。情報提供ありがとうございます。みんな知ってるものですね。新しい項に追記しています。 私の好きな『それ町』の石黒正数さんのtweetを最近フォローしているのですが、こんなジョブズの逸話を紹介していました。 技術者「アイフォンの試作機です。この機能でこれ以上小さくするのは無理です!偉い人にはそれが分からんのです」 おもむろに試作機を水没させるジョブズ。 ジョブズ「あぶくが出たな。まだ隙間があるという事だ、工夫しろ」 この話が好きでなぁ。 ネームを描く時の指針になったものよ。 — 石黒正数 (@masakazuishi) 2017年1
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1983年に米コロラド州アスペンで開催された「International Design Conference」において故Steve Jobs氏が行った講演の全録音が公開された。同氏は30年近く前に「iPad」を予見していたのだろうか? 2012年8月、9to5Macは1983年にアスペンで開催されたInternational Design ConferenceにおいてSteve Jobs氏が20分にわたってスピーチを行った際の貴重な音源へのリンクを公開した。また、米国時間10月2日には9to5MacのJordan Kahn氏が、Jobs氏の20分におよぶスピーチと、その後の質疑応答を完全に含む、54分以上からなるJobs氏のビンテージものの講演を公開した。 このカンファレンスの音源は、InlandesignのJohn Celuch氏がカセットテープの形態でLife, Liberty, an
プレゼン動画60本以上 故スティーブ・ジョブズがアップル時代に行った基調講演、特別イベントなどについて60以上の記事を書きました。この記事はそのまとめです。イベント毎に概要とYouTube動画、画像と参考リンクなどを用意しました。 ジョブズが行うプレゼンの評価は高く、比較的聞き取りやすい英語なのでプレゼンの参考にもなると思います。一部動画がないもの、ジョブズ不在のイベントもあります。 オススメ動画5選 60本以上の動画のお勧めは?という人に。ジョブズに興味を持ったばかりの人にオススメの動画5つを選んでみます。 1. アップル年次販売会議 1983 : CM「1984」初披露 ジョブズ28歳。若くしてこれだけのプレゼンを行う風格がありました。 2. Macworld Boston 1997 : ジョブズ復活 復帰したジョブズ(42歳)が実質トップに。ビルゲイツも登場。 3. Macworl
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs BY Mona Simpson, New York Times - in Japanese 私はシングルマザーのひとりっ子として育ちました。家は貧しく、父親はシリアからの移民だと聞いてオマール・シャリーフみたいな人を想像していたものです。お金持ちで優しくて私たちの人生 ―そしてまだ家具も揃ってないアパート― にやってきて、どうか助けてくれますように、そう願っていました。 後で父に会ってからは、電話番号を変えて郵便転送先の住所も私たちに残さなかったのはきっと父がアラブ新世界構築を企む理想に燃える革命家だからよ、そう信じようと努めました。 フェミニストながらに私は生まれてからずっと自分が愛せる男の人、自分にも愛情を注いでくれる男の人が現れるのを待っていました。それは父親だと何十年も思っていましたが、25歳のとき会ったその人は、兄
アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズさんの追悼式が10月16日(現地時間)、米スタンフォード大学で行われました。ジョブズさんの実妹が追悼式で述べた弔辞の内容が、ニューヨーク・タイムズのサイトに掲載されています。はてなブックマークでは、この弔辞を日本語訳したエントリーに注目が集まっています。 ▽ A Sister’s Eulogy for Steve Jobs - NYTimes.com ▽ 妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞 ジョブズさんの妹で作家のモナ・シンプソンさんによる弔辞は10月30日(現地時間)、ニューヨーク・タイムズの「The Opinion Pages」に掲載されました。母子家庭で育ったシンプソンさんは、25歳の時に初めてジョブズさんと対面したとのこと。弔辞には、シンプソンさんが27年にわたってジョブズさんから学んだという”生き様”が記されています。 10月31日には
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs モナ・シンプソン (Mona Simpson) 2011年10月30日 私は母子家庭の一人っ子として育てられました。 貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、 父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。 裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。 のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、 だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。 私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。 二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。 25歳になってその人に出会いました。 それが兄でし
Over a million people from all over the world have shared their memories, thoughts, and feelings about Steve. One thing they all have in common — from personal friends to colleagues to owners of Apple products — is how they’ve been touched by his passion and creativity. You can view some of these messages below. And share your own at rememberingsteve@apple.com
禅に傾倒するなど日本びいきで知られたスティーブ・ジョブズは、日本食も好きで、米アップル本社内のカフェには「刺身そば」なるお気に入りのメニューもあった。しかし「刺身そば」とは?? 食事情に詳しいライター・編集者の松浦達也氏がニュースと話題の人に関係する食べ物を紹介する「日本全国縁食の旅」、今回は「刺身そば」を作って食べてみた。 * * * スティーブ・ジョブズの訃報に凄まじい数の追悼メッセージがWeb上にあふれた。そのなかで「おや?」と私の目をひいたのが、「そばの専門学校 築地そばアカデミー」という手打ちそばの教室だ。 この「築地そばアカデミー」、およそアップルとはかけ離れたデザインのトップページに「【謹んで哀悼の意を表します】Appleスティーブ・ジョブズ会長のご冥福をお祈り申し上げます」というメッセージを掲げていた。実はこのアカデミーには、大の和食党のジョブズのためにアップル社の厨房の
アップルは10月5日(現地時間)、同社の創業者で前CEOのスティーブ・ジョブズさんが亡くなったと発表しました。56歳でした。アップルの公式サイトには、ジョブズさんの写真とともに追悼文が掲載されています。 ▽ Apple(日本) ▽ Remembering Steve Jobs - Apple ▽ 追悼 Steve Jobs - Apple(日本) ジョブズさんの死去を受け、アップルは公式サイトに以下の追悼文を掲載しました。 Apple has lost a visionary and creative genius, and the world has lost an amazing human being. Those of us who have been fortunate enough to know and work with Steve have lost a dear fri
アップルの前CEOであるスティーブ・ジョブズさんが亡くなったことを受け、NHK総合が放送する番組「クローズアップ現代」は10月6日、2001年にジョブズさんが出演した回のインタビュー部分を公開しました。約18分にわたる動画の中で、ジョブズさんが製品開発にかける当時の思いを語っています。 ▽ http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=1403 ▽ NHK_onair (@NHK_onair) | Twitter 2001年3月29日に放送された特集「パソコン界の先駆者 そのベンチャー精神に迫る」のうち、ジョブズさんのインタビュー部分が公開されました。放送されたのは、「iPod」がまだ登場していない時期でした。 ジョブズさんはインタビューで、ベンチャー精神やパソコンの今後について語っています。「何か新しいことを始めるとき
スティーヴン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)が亡くなった。悲しいことだなと思った。遠く、彼の泣き声を聞いたようにも思った。 8月に出た英語版Newsweek Sept 5号の表紙は、ジョブズを思わせる黒いシルエットだった。「ああ、これはあまりに強烈なカバーデザインだな。近く亡くなるということを、こう暗示しているのか。日本だと、こうもいかないだろう」と思っていた。案の定、日本版の表紙は差し替えになっていた。 ジョブズは、シリア人でイスラム教徒の大学院生アブダルファン・ジョン・ジャンダリ(Abdulfattah John Jandali)を父とし、大学院生ジョアン・シンプソン(Joanne Simpson)を母として、未婚の子供として1955年、カリフォルニアに生まれた。 晩年の彼の相貌はシリア人らしさのようなものを感じさせる。父がイスラム教徒という点では、オバマ大統領と
春は新しいことがスタートする季節、 入学、就職、あるいは進級など 環境が大きく変わる人も たくさんいるのではと思います。 きょうは、 そんな人にぜひ聞いてほしい スピーチです。 ニューヨークで生活していたとき、 通勤の途中に アイポッドでよく聴いていたスピーチがある。 有名なスピーチのひとつに数えられているので、 触れたことがある人も少なくないだろう。 2005年6月、 アメリカのスタンフォード大学の卒業式でのことだ。 ゲストとして招かれたスティーブ・ジョブズが、 卒業生たちに向けて、 感動的なスピーチを行った。 スティーブ・ジョブズについては もう説明する必要はないだろう。 大学を中退後、スティーブ・ウォズニアックとともに 20歳でアップル社を設立、 歴史を変える画期的な パーソナル・コンピューターを開発した。 アップルのパソコンは何より美しいことで知られ、 クリエーターなどから熱狂的に
松井博 Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。 詳細プロフィールを表示 Steve Jobsが亡くなってしまいました。 なんというか本当にショックです。 私はアップルで16年間働いていました。そのうち半分以上はカリフォルニアの本社で管理職でした。Steve Jobs と話をしたこともあります。そんな体験を振り返ってアップルにおけるSteve Jobs ってどんな感じの存在だったのか私なりに綴ってみたいと思います。 Steveがどんなふうな人なのか、という話をするには、まず彼がアップルに復帰する前の社内の様子を書いてみたいと思います。 その頃のアップル社内というのは、船頭のいない船、とでも
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