2024年5月2日(木)【論文】鶏の屠体給餌をしながら、鶏の福祉について解説をしたら、ジャガーのファンは、鶏の飼育環境に関心を示し、鶏のために【良い】鶏卵を買ってくれるようになるのかって話 京都市動物園で行った教育活動が、新たに論文になったので、 紹介させていただきます。 話は3年前に遡りますが、 ジャガーの採食エンリッチメントの一環として、 鶏の屠体を用いた給餌給餌プログラムを実施していました。 屠体給餌とは、 屠殺した大型動物等を毛皮や骨などが付いたほぼそのままの状態で 飼育動物に与える給餌方法(伴ら, 2021)のことで、 その動物本来の採食行動の発現や採食時間の延長を行うことができます(恩田, 2021)。 この様子はYoutube と展示の両方で、来園者の皆さんにご覧いただき、 いつもと違うジャガーの採食風景をご覧いただくことができました。 さて、この給餌プログラムの最中に、当園
夜はちょっと寝苦しくて、途中でフライシートはずしたり団扇つかったりしてたのですが、夜明けとともに起床。 隣の「天滝公園」の登山口まで車を動かして行ってみました。(それぐらい歩けよ。) 登山道をちょっとだけ登ってみましたが滝まで40分ぐらいかかるらしいので、軟弱に撤退。 朝食は道の駅で買ったブルーベリーと、 チーズをはさんだホットサンドで。 9時頃にはキャンプを撤収して、車でまた音水湖方面に若杉峠を越えてもどります。 日本最初の道の駅「道の駅 はが」で車を止めて自転車を組み立てます。 ここから「波賀森林鉄道跡」をたどってみます。一応サイクリングロードになっている、ということ以外あまり情報がありません。 川(揖保川の支流 引原川)沿いの国道の対岸の道を上流に向かいます。この道が廃線跡なのでしょうか?なんか違うような。 さっきの道の一段上の山沿いのこの道が廃線跡っぽいです。 この道を川下方向に行
10月30日 新戸倉トンネルの兵庫県側入口付近の旧道に自転車をデポ 音水集落の公民館まで行き 横に駐車 元国有林事務所の音水公民館 左は音水林道跡で 今はサイクリングロードになっている 入口にトイレがある ここを右手に行く すぐにインクラ橋 橋を渡るとすぐにインクラインの遺構 この斜面を登っていたらしいが かなりの勾配だ レールが転がっていた 林鉄の橋は 今のインクラ橋のすぐ上手にあったようだ 石垣は林鉄時代の物 林鉄跡は今は林道になっているが 落石や倒木が多く 使われているようには無い 紅葉はこれから 雌シカ この後左の斜面を下り 森に消えていった 林道終点 林鉄跡はここから下の方にあった 最初の鉄橋 往路は右下を通ったが 復路では上を歩いてみた 枕木の残るコンクリート橋 これは上を渡った 丸石の石垣 何かの跡 川を渡る鉄橋 上流側に傾いていて渡れなかったので 少し手前を渡渉 少し歩くと
■作品データ INTO THE BLUE 「イントゥ・ザ・ブルー」 1986年 1分44秒 「AVA’86 映像ソフト大賞」 受賞 ■制作 「Digital Animation Creators」(DAC) 1984年結成、東北大学の自主制作CGアニメーションの制作グループです。 中川 滋雄 (SF研) プロデューサ および シナリオ担当 森 健一 (アニメ研) ソフトウエア担当 小野寺 和彦 (アニメ研) 撮影ハードウエア担当 関連資料: ■本作品について 本作品はアマチュアCGアニメーションの黎明期(1985年~1986年)に制作されました。時代的にインターネット普及以前だったために書籍情報しか記録がありませんでしたが、このたびおよそ40年の時を経て「CGアニメARCHIVES」に収録され、自主制作CGアニメーションの歴史の一部に加わることができました。関係者の皆様に感謝いたします。
呉智英:やっぱり一番ヘンなのは水木さんだよ。普通会話って順序よく一、二、三、ってくるでしょ。でもあの人の場合はそうじゃない、もう自分しかないからさ(笑)。オレ、どうしたらこういう質問がでるのか、と思ったのはさ、三島由紀夫の事件の後、決行の前日、楯の会の会員たちと衆道のちぎりをしたので、三島と他の会員の肛門から精液が検出されたという噂ですよ、と言う話をしたの。 で、普通は「えっ、ホントかっ」とかそういう言葉が出るでしょ。でも、水木さんは「それで、キモチいいんですか」っていうんだよ(大爆笑)。普通質問ってそんな方向にいかないじゃない。もうベクトルが全然違う方向に行っちゃっている(笑) 同じような話でさ、74、5年のころね。死んだ戦友が眠る場所に行って酒を注いだりしたわけ。でさ、水木さんは「戦争を体験した人が皆、よく戦場跡に行ったりするけど、なんでそこに行くのか自分はよくわからんかったですよ。で
《一切の自分ていふものを捨てるのだ。》 しかしその後に自分の言葉を否定する。 《吾は死に面するとも、理想を持ちつづけん。吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する。》 芸術を志しながらも救いを仏教や基督教に求め、また哲学が芸術を支える杖となるのかと悩む。 《吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。》 《俺は画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。》 かと思えば 《前に哲学者になるやうな絵描きになるやうな事を書いたが、あれは自分で自分をあざむくつもりに違ひない。哲学者は世界を虚空だと言ふ。画家は、深遠で手ごたへがあると言ふ。(中略)之ぢや自分が二つにさけねば解決はつくまい。》 当時の水木さんは哲学書や宗教書を読みあさっていたようだ。
GPS軌跡(クリックで拡大されます。) 2023.9.10(日) 中音水(なかおんずい)森林鉄道遺構を訪ねる 行程:(往復)国見の森公園=R29=波賀町音水駐車地ー中音水林道ートンネルー宿舎跡ー揖保川源流碑ー幻の滝 1/25000地形図:『音水湖』 メンバー:宍粟50名山ガイドクラブ 最初、渡った橋の名は「いんくら橋」。音水川に架かっています。 *いんくらとは・・・ 『インクラとは、谷が多い山の中で傾斜面にレールを敷き、動力で台車を動かし貨物を移動させる装置です。』 とのことです。クラブの先輩のブログより参照させていただきました。 山の急斜面に石組みの水路??が設置されていますが、 この遺構も林業に関わる溝なのでしょうか。 歩きやすい水平の道を進みます。下方では瀬音が聞こえ、涼しかったです。 堤防から流れ落ちる水がとてもきれいでした。 早速、鉄橋が架かっています。 ここを森林鉄道が走ってい
大正から昭和にかけ、兵庫県宍粟市波賀町を走った波賀森林鉄道の復活に取り組む住民グループ「波賀元気づくりネットワーク協議会」が、同鉄道の歴史をまとめた冊子「波賀森林鉄道ものがたり-山がにぎやかだった頃」を発行した。 国有林の木材を運んだ同鉄道は1916(大正5)年に建設が始まり、蒸気やディーゼルの機関車が走った。最盛期は総延長約40キロに達し「大阪営林局のドル箱」と称された。やがてトラック輸送に変わり、68(昭和43)年に廃止された。 冊子では、建設された各路線の特徴を当時の写真とともに紹介。同鉄道で働いた営林署職員や、官舎があった貯木場で生まれ育った住民、職員を支えた妻たちのインタビューを通し、市民生活と一体化していた同鉄道の姿を伝える。今も山中に残る橋脚やトンネルなどの遺構の写真を載せるほか、同協議会が取り組む活動も紹介している。 同協議会の編集担当、蒐場(ぬたば)幸子さん(67)は「写
ゆるく付き合える人たちのコミュニティを増やしたい。 あわせてよみたい ゆるく付き合える人たちのコミュニティを増やしたい。 沖縄は完璧に梅雨に入ったんだろうな。連日雨が続いており、うんざりするような湿気である。この調子だとまた服が乾かなかったりとか、変なところにカビが生えたりする。黒松の植え替えだって雨天のためにまだである。困ったもんだ。 仕事はひとまず閑散期である。ちょうど良いことだ。このところメンタルが若干不調だったからね。この調子が戻ってくるまではゆるゆると仕事をすることにする。どうも、僕は自分の生きがいというのはなんなのか? と考えたりすることがあるのだけど、仕事が生きがいというのはあり得ない。 自分なりの生きる目的というのは「晴耕雨読で死ぬまで働きながら、余暇で小説を書いたりイラストを描いたりすることを楽しむ」人生を送ろうとしてる。 仕事も長すぎる一日の暇つぶしとしてはいいかなぐら
借金も明記する これらのプラスの財産だけでなく、マイナスの財産である借金についても記載しておきましょう。 借金があった場合、借金も法定相続人に相続されてしまいます。相続放棄をすれば借金の返済義務を回避できますが、相続放棄の手続きは原則として、「自己のために相続の開始があったことを知ったときから3か月以内」に行う必要があります。 また、相続放棄をする前に財産に手をつけると、法定単純承認が成立し、相続放棄が認められなくなってしまいます。 したがって、借金があるかどうかは、相続人が相続放棄をするかどうか判断するにあたって重要な事情ですので、借金について明記しておくことは非常に意味があります。 また、サブスクリプションサービスの契約もリストアップしておくと良いでしょう。知らぬ間に契約上の地位が、相続人に引き継がれて料金が発生してしまうことを防ぐことができるからです。 財産を譲りたい人を決める 財産
お待たせしました。ネットがつながり久々の更新となります。今回は少し長めになりますがお暇でしたらご覧ください。さて今回のターゲットは兵庫県の北西部、宍粟市に存在していた波賀森林鉄道の音水線と中音水線の4つのインクライン(レールが敷かれた斜面を上側からワイヤーで引っ張って昇り降りする装置)です。簡単に説明しますと上野の貯木場から引原川に沿って”大通り”というべき幹線があり、その途中の支流に”脇道”即ち支線が何本も伸びていました。その中でも初期に音水川に沿って作られた音水線と、その隣の中音水川で最後まで稼働していた中音水線には合計4つのインクラインがあったそうです。時に2015年4月、第2次音水アタックを開始・・・ちなみに第1次は2月に訪問しましたが雪で林道にすら入れませんでしたよコンチクショー。それとこの時点ではネットと書籍の情報から「(第1の)インクラの存在」と「中音水の奥にはいっぱい橋があ
穴と橋とあれやらこれやら初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。 2016年6月12日に参加させてもらった波賀森林鉄道中音水支線探索を、これからご紹介していく。 このネタ、なんとな~くずっと先延ばしにしてきて、結果やるタイミングを失ってた感じで、思い立ったが吉日、ここでやってしまおうと。前夜はyori-yanさんのおうちで素晴らしい前夜祭をさせていただいたのは懐かしい思い出…。 12日朝、「道の駅はが」にて改めて集合後、さっそく現地へ。わたくしには珍しく、このあたり全然写真を撮ってなかった。なにしとったんやろか? これ実は帰りに撮ったものだが、 ほぼほぼ中音水支線を下敷きにしたこの中音水林道を分け入っていく。現在地はここ。 その中音水林道の途上、 少し広いところで駐車、ここより
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