能登半島地震で大きな被害が出た石川県珠洲市の鉢ケ崎オートキャンプ場に、ボランティアが宿泊できるテント村が開設されている。被災地での宿泊先確保が課題となる中、金沢市からの日帰りに比べて活動時間を長く確保できる上、能登半島と金沢間の交通渋滞緩和にも一役買うと好評だ。静岡県裾野市の杉山要さん(66)は妻と3月、石川県輪島市の朝市通りの片付けを手伝うためにテント村に入った。2泊3日の予定で、金沢市から
災害時の情報収集はTwitterを使わんでも何とかなるよ。 あわせてよみたい 災害時の情報収集はTwitterを使わんでも何とかなるよ。 いやー、朝はちょっと焦った。朝のミーティングをしてる時に社内中のスマホが大音量で鳴り始めて、確認すると沖縄に津波警報が発生してるとの緊急アラートであった。 僕が勤めてる会社は那覇市内の企業であるけど、うちはそこそこ高台にあるから大丈夫であった。でも、道路の方を確認してみると、津波警報で避難してる人たちの車ですごい渋滞になっており、午前中はこんな感じで沖縄中が騒然としてた。 家族にもすぐさまLINEをしてみたけど、問題なさげであるね。やー、怖いね。沖縄は歴史的に地震は少ない土地ではあるけど、一応過去に津波などにやられた史書などはあったりするので警戒は怠らないようにしないとならない。そういえば防災バックの中身の点検がまだだったので、さっさと急いで終わらせとこ
いまから122年前の1902(明治35)年に起きた、八甲田山雪中行軍遭難事件。未曽有の荒天の中でいくつもの人為的なミスが重なったとされる。だが、その責任はほとんど追及されないまま、「無謀な行軍」の悲劇は「天災」として片づけられただけでなく、いくつもの「美談」に転化された。 その陰で事実は隠蔽され、多くの謎が残された。そこには、近づきつつあった日露戦争に全ての関心を振り向けようとする強い力が働いていた。210人が遭難し、199人が犠牲になった「日本山岳史上最悪」の遭難はどのように伝えられたのか。あるいは伝えられなかったのか――。 今回も当時の新聞記事や記録は、見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中にいまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。部隊名の表記は例えば「歩兵第五聯隊」「三十一聯隊」が当時の正式名称だが、新聞記事の見出し以外「歩兵第五連隊」「
NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイルの4社が18日、元日に発生した「令和6年能登半島地震」における携帯電話サービスの普及対応についての共同会見を行った。 【写真】その他の写真を見る 会見には、NTTドコモから常務執行役員・ネットワーク本部長の小林宏氏、KDDIから執行役員常務・技術統括本部・副統括本部長兼エンジニアリング推進本部長の山本和弘氏、ソフトバンクから常務執行役員兼CNOの関和智弘氏、楽天モバイルから執行役員・副CTO兼モバイルネットワーク本部長の竹下紘氏が出席。現状の説明と質疑応答に対応した。 会見では、各社が復旧状況を説明。活動の様子を写真で説明するシーンもあり、道路が亀裂して基地局に立ち入りできなくなった状況や、非常用電源による基地局の対応などが、各担当者から細かく説明された。 さらに今回の被害について、4社とも想定を上回った点があったと報告。ドコモの小林氏は「
あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。 だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。 被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。 あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。 怯えた人々の群が、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。 家の裏へ回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。 何を、どうしたらよいのか分からない。電話が身近に無い。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。 何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の
斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 精神科医。被災期間限定で参入しています。リプライ、メンション、DMは読んでいますが反応はしないと思います。あしからず。 bit.ly/2vZ9q6E 斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 東日本大震災の経験から学んだのは、多くの人が「その土地を離れたら、自分が自分でいられなくなる」という感情を共有していることだった。それは人間存在の根幹にかかわる感情で、ときに生命よりも優先される。彼らに「危険な土地を捨てて移住せよ」と勧めることが、いかに残酷な提案でありうるか。 2024-01-10 18:23:47
1月1日に発生した能登半島地震は、今のところ200名を超える死者を出している。 今回の地震は、能登半島においては数千年に1度の規模と言われている。 その1度が2024年1月1日だったのだから、これは不運としか言いようがない。 平地には大きな段差・隆起・陥没が生じ、港は海底隆起によって海岸線が海へ伸びたことで使えなくなる。 被災者が「もうここには住めない」と嘆くのも当然である。 ところで今回の大地震の特徴の一つと言えば、能登半島というのが日本有数の高齢化率(65歳以上の率)が高い地域だった、ということだろう。 被害の酷かった珠洲市などは、市全体で高齢化率51%。 集落や地域ごとに見れば、高齢化率70%台というのも珍しくないらしい。 日本は既に「超高齢化社会」(高齢化率21%超)に入っているのは誰でも知っているが、それが70%とかになると、私としては「重度高齢化社会」とでも呼びたいところだ。
元日に石川県能登地方で最大震度7を観測した地震。被災地では大規模火災や津波の被害が徐々に明らかになってきています。珠洲市周辺ではおよそ3年にわたって活発な地震活動が続いていて、珠洲市では2023年5月にも…
1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー) 前の記事:ロードサイド店舗の看板工事は考えることが多すぎる > 個人サイト 右脳TV 強い気持ち、強い押し 訪れたのは能美防災株式会社。本社1階にあるショールームでお話を伺った。 ご対応いただいた、能美防災株式会社 広報室室長の関口さん(右)と、同じく広報室の飯島さん(左) こちらがショールームの一部。防災センターもあります。 ショールームの中にある消火栓、あまりに溶け込みすぎていて「これ本物ですか……?」と聞いてしまいました(デモ用でした) 能美防災が創立したのは大正5年(1916年)のこと。防災業界のリーディングカンパニーである。 そんな歴史ある企業に「強く押させてください」なんて丸腰でお願いするのは恐れ
2023年9月1日で関東大震災の発生から100年目を迎えた中、NHKが「NHKスペシャル 映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」を前後編で、9月2日午後10時、3日の午後9時から2連続で放送する。災害発生当時の記録映像を高精細・カラー化することで、新たに判明した撮影場所、撮影時刻に加え、生存者の証言音声、科学的知見も駆使しながら、巨大災害を追体験する内容となっている。 関東大震災は、東京が被害を受けた大規模自然災害として多く語り継がれてはいるが、100年前ということもあり記録映像は少なく、しかも残っているフィルムは記録映画としてツギハギの編集が施されたものが多いという。このため、撮影場所の正確な位置や時間など不明なものが多く、災害発生後の街の様子と人々がどのように行動してきたかを振り返りづらかったという。 そこで、国内に1台しかない8K対応フィルムスキャン機で、国立映画アーカイブに保管さ
平成7年2月8日・・・当時の日記より 再び須磨区名谷と姫路に出張だ。陸路は途絶しているので、午前9時00分の天保山発神戸行きの高速艇に乗るべく8時前に大阪港に出向いたが、すでに満席。 【ニッチな話題かもしれないが、震災の後、凄く短い期間だったが、大阪港の遊覧船サンタマリアが大阪港を飛び出して、大阪・神戸間の定期航路船として勇猛果敢に働いていた。今では遠来の観光客を乗せて日がな一日大阪港内を周遊しているが、あのときは、ほんと必死の運用だったのだろう。よく運輸省が認可したなと思うほどの大胆な措置だった。】 仕方なく9時30分発のサンタマリア号に乗船することになる。 高速艇が40分で行くところを1時間半かかる。 あれこれ言っても仕方がないので、とりあえず船中の人となる。 定刻に出帆するが、そもそも遊覧船ゆえ、フラフラとよく揺れるし、とにかくのろい。 また、船内を眺めてみると、室内装飾の華麗さとリ
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