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ブックマーク / haikyolove878.blog.fc2.com (2)

  • 廃れゆく部屋 福山競馬場

    ※ かなり前置きが長いのですが我慢して読んでください 広島に原爆が投下された8月6日から2日後の夜、福山市上空にB-29爆撃機が91機飛来。 合計180,000発もの焼夷弾が投下され福山市の中心部は1時間10分で焦土と化した。 終戦後、占領軍による統治が始まり福山も復興を目指してみたものの、 「経済安定九原則」によって国庫の支出は制限され戦災で産業が衰退した福山市は慢性的な財源不足に悩まされる。 昭和23年当時、福山市長だった藤井正男氏(以下市長)は市議会議員と共に「福山競馬場」の建設のために奔走していた。 この競馬場建設が財政の立て直しと福山市の復興に欠かせないという決断だった。 福山市は「戦災都市の開催権」を持っており、国から競馬開催への指定をうけていた。 工事が順調に進んでいたある日、突如としてGHQより工事中止命令が下った。 「一体何が起きたのか」市長と他の市議会議員、通訳など総勢

    aoven
    aoven 2022/03/20
    いまなき #福山競馬 について
  • 廃れゆく部屋 伝説の糸崎病院(探索遍)

    明治時代も終わりにさしかかる頃、ある男性が福岡県と岡山県を汽車で往来していた。 汽車が広島県糸崎町鉢が峰山麓の「六松」にさしかかった時、 彼の目に芸予諸島の美しい景色が飛び込んできた。 男性はその景色を「世界一美しい眺め」と感嘆し、温暖な気候も決め手となって弟子であった松和夫氏に 結核療養所を造らせた。 男性の名は「桂田富士郎」。 当時、彼は岡山医学専門学校(現岡山大学医学部)教授と福岡医科大学(現九州大学医学部)教授を兼務し、 「日住血吸虫」の発見者、および研究者でもあった。 糸崎療養所の跡地に昭和9年に建てられた石碑の一文には、 「(桂田富士郎先生は)糸崎の自然美は実に天下に其比を見ざることを高唱し且つ病者並びに虚弱者の健康創造に向って絶好の 適地たることを力説せられたり而て、門下松和夫氏を督して鉢が峰山麓を拓いて病院を創建せしめ之を糸崎療病院と名け 自ら指導の任に膺りて大いに

    aoven
    aoven 2022/03/20
    糸崎にあった結核療養所について
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