※ かなり前置きが長いのですが我慢して読んでください 広島に原爆が投下された8月6日から2日後の夜、福山市上空にB-29爆撃機が91機飛来。 合計180,000発もの焼夷弾が投下され福山市の中心部は1時間10分で焦土と化した。 終戦後、占領軍による統治が始まり福山も復興を目指してみたものの、 「経済安定九原則」によって国庫の支出は制限され戦災で産業が衰退した福山市は慢性的な財源不足に悩まされる。 昭和23年当時、福山市長だった藤井正男氏(以下市長)は市議会議員と共に「福山競馬場」の建設のために奔走していた。 この競馬場建設が財政の立て直しと福山市の復興に欠かせないという決断だった。 福山市は「戦災都市の開催権」を持っており、国から競馬開催への指定をうけていた。 工事が順調に進んでいたある日、突如としてGHQより工事中止命令が下った。 「一体何が起きたのか」市長と他の市議会議員、通訳など総勢