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歴史と災害に関するardarimのブックマーク (13)

  • 中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK

    記録的な暑さとなっている中国では、猛暑と干ばつにより水位が低下した川で、およそ600年前に制作されたとみられる3体の仏像が現れ、話題になっています。 ロイター通信によりますと、仏像が見つかったのは、中国内陸部 重慶を流れる長江の岩礁で、通常は水の底に沈んでいる場所だということです。 水位の低下によって、横に並んだ3体の像が現れ、このうち真ん中の1体は、座っているように見えます。 ロイター通信は、中国の報道を引用する形で「およそ600年前に制作されたものだとみられる」と伝えています。 仏像を見に来た男性は「水位が元に戻ったらもう見られないと思うので、見に来ました。私たちの先祖が残してくれた文化財です」と話していました。

    中国 長江 猛暑で水位低下し仏像現れる 約600年前の制作か | NHK
  • 古文書に記された『神津島の噴火の音が京都まで聞こえた』という記録が、トンガの大噴火でリアリティを帯びてきた

    人工衛星からの映像と各地から届く衝撃波の動画が、昔の記録に「そういうことか」という納得感を与えています。 後世になってからの「これってあれのことでは?」という読み解きはたまらないものがありますね。

    古文書に記された『神津島の噴火の音が京都まで聞こえた』という記録が、トンガの大噴火でリアリティを帯びてきた
  • 300年余前の富士山噴火で埋もれた家屋 発掘調査で初確認 静岡 | NHKニュース

    300年余り前に富士山で起きた宝永噴火について新たな発見です。噴火による火山灰で集落全体が埋まったとされている静岡県小山町の須走地区で、当時の家屋の一部が初めて見つかりました。黒く焼け焦げていたことなどから高温の軽石によって燃えた可能性が高く、専門家は「富士山の噴火対策を考えるうえで重要な発見だ」としています。 富士山のふもと、静岡県小山町の須走地区には江戸時代に須走村の集落がありましたが、1707年に発生した宝永噴火で火山灰が3mほど降り積もって埋没したとされています。 さらに現在はその上に街が作られているため、須走村の集落が埋まった記録は古文書などに残されるだけで、実際に家屋が見つかったことはありませんでした。 火口近くにあった須走村の集落がどのような被害を受けたのか明らかにしようと、去年6月、小山町と、考古学や火山の専門家で作る研究チームが初めての発掘調査を行いました。 調査は初めは

    300年余前の富士山噴火で埋もれた家屋 発掘調査で初確認 静岡 | NHKニュース
    ardarim
    ardarim 2020/07/06
    静岡のポンペイだ…。「昔から言い伝えで、地面の下には噴火で埋まった町があると聞いていて」って分かる。地面の下に昔の街が眠ってるって何かロマンあるよね
  • 「水や泥で汚れた歴史資料 捨てないで」研究者団体が呼びかけ | NHKニュース

    災害で被害を受けた文化財の救出活動にあたっている「歴史資料ネットワーク」は、台風19号で被災した人に向けて、水や泥で汚れた古文書などの歴史資料は捨てずに保管し、処置のしかたが分からない場合は相談してほしいと呼びかけています。 今回の台風19号の被害を受けてホームページに「歴史資料保全のお願い」というメッセージを寄せ、被災した人や片づけなどを行うボランティアに向けて、古文書や写真、古いふすまや農具といった歴史資料は捨てずに保管してほしいと呼びかけています。 この中では、水や泥で汚れた紙の資料はカビが生えるなど劣化していることがあるものの、適切な処置によって修復が可能な場合があるとして、処置に困ったら各自治体の教育委員会や「歴史資料ネットワーク」に相談してほしいとしています。 歴史資料ネットワークは「被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。長く伝えられてきた古い文書や記録などがなくなっ

    「水や泥で汚れた歴史資料 捨てないで」研究者団体が呼びかけ | NHKニュース
  • 徳川家康が利根川の流れを変える治水事業をやっていなければ台風19号でもっと大きな被害が出ていたかもという話

    ボヘカラ @BOHE_BABE 徳川家康が利根川付け替える治水始めなければ、台風19号による今夜の荒川二瀬ダム、利根川二俣ダム、渡良瀬川草木ダム、神流川下久保ダムの緊急放流は、全部今の荒川か中川か隅田川に注いで、水浸しになってた訳で、23区東部民は日光参拝して、家康に感謝した方がいいぞ。 2019-10-12 21:31:58

    徳川家康が利根川の流れを変える治水事業をやっていなければ台風19号でもっと大きな被害が出ていたかもという話
    ardarim
    ardarim 2019/10/15
    歴史ifは議論が紛糾してロクでもない事にしかならんので程々に
  • 崩落した熊本城の石垣に「観音菩薩」が出現 | NHKニュース

    一連の地震で大きな被害を受けた熊城で、崩落した石垣の石から戦国時代に彫り込んだとみられる観音菩薩が見つかり、インターネットで話題になっています。 熊城調査研究センターによりますと、この観音菩薩は、戦国時代に一般の人たちが先祖を供養しようと、「板碑(いたび)」と呼ばれる板状の石碑に彫り込んだものだということです。その後、江戸時代に、熊城の石垣を造る際、急いで石を集めたために、身近にあった板碑を石垣の石に転用したものとみられ、およそ400年の時を経て今回の地震で出現したのではないかということです。 発見した加藤神社の湯田崇弘宮司は、フェイスブックを通じて「永い時を経て現れたこの観音様に思いをはせると胸が揺さぶられる」と思いをつづり、13日までの3日間に1600人以上の反響がありました。湯田宮司は「地震の被害が大きく、悲しいことばかりでしたが、観音様を見て自然と手を合わせました。私たちのこ

    崩落した熊本城の石垣に「観音菩薩」が出現 | NHKニュース
    ardarim
    ardarim 2016/05/13
    災い転じて…って感じかな
  • 熊本城の瓦は落ちるべきなのか、懐古主義的業界的都市伝説 - ネットロアをめぐる冒険

    【追記】 はてブなどでご指摘頂いた、「樋口清之の著書が瓦の落下と地震に関する初出ではないか」ということに関して、記事をまとめたので、参考までにご覧ください。 ibenzo.hatenablog.com 熊を中心とした地震の大きな被害は、遠方であっても心を痛める出来事です。 そして、こういう災害に乗じて起こるのがデマや流言と言った類です。すでに、「井戸に毒を流した」レベルのくだらないデマがTwitterなんかを席巻しているようですが、その中でも私が気になったのは、以下のものです。 grapee.jp 熊城の天守閣の瓦が落ちている映像が随所で流れていましたが、それは「日建築」が、「地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ」ためにわざとそうしている、といった意味があるんだとか。 なるほど、調べてみるとそんな記述がネット上には転がっています。 瓦がズレ落ちるように、わざと瓦を固定してい

    熊本城の瓦は落ちるべきなのか、懐古主義的業界的都市伝説 - ネットロアをめぐる冒険
    ardarim
    ardarim 2016/04/19
    そもそも天守閣は近年に再建された鉄筋コンクリート製だから、古来の考え方があったとしてもそれに則ってるとは限らないのよね…
  • エラーページ - 産経ニュース

    ページが存在しません 指定されたURLは存在しませんでした。 5秒後に産経ニューストップページへ移動します。 産経ニューストップへ

  • 【産経抄】地名は警告する 8月27日 - MSN産経ニュース

    いわゆる「平成の大合併」で、全国の市町村の数は、半分近い約1700に減った。ひらがなやカタカナ、あるいは地理的な実態にあわない名前の市が生まれて、物議を醸したものだ。同時に、いくつかの由緒ある自治体名がなくなった。 ▼地名は「土地の精霊」だとする民俗学者の谷川健一さんは、「ほしいままの命名が横行している」と嘆いたものだ。もっとも、地名に対する日人の関心が高まったことも事実である。 ▼東日大震災の後、地名があらためて脚光を浴びている。大災害を経験した先人たちが、「ここは危ないぞ」とのメッセージを後世に残したというのだ。たとえば、地図情報コンサルタントの遠藤宏之さんは、岩手県の釜石や宮城県の塩竃にみられる『カマ』に注目する。「古語の『噛マ』に通じ、津波により湾曲型に浸された地形を意味する」(『地名は災害を警告する』技術評論社)。 ▼広島市北部の土砂災害で、とりわけ被害が大きかったのが、安

    【産経抄】地名は警告する 8月27日 - MSN産経ニュース
  • 地すべり災害を予防・軽減するための活動の手引き ―住民の皆さんができる地すべり対策― 農村振興局農村環境課

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  • 広島の土砂災害があった八木地区の昔の名前「八木蛇落地悪谷」だったことが発覚:ハムスター速報

    TOP > ニュース > 広島の土砂災害があった八木地区の昔の名前「八木蛇落地悪谷」だったことが発覚 Tweet カテゴリニュース 0 :ハムスター2ちゃんねる 2014年8月26日 15:15 ID:hamusoku 広島の土砂災害。一番酷かった八木地区の昔の土地名に驚いた。昔の人はここは危険なところだよ、て名前で伝えようとしてきたことがとても理解できる… 広島の土砂災害。一番酷かった八木地区の昔の土地名に驚いた。昔の人はここは危険なところだよ、て名前で伝えようとしてきたことがとても理解できる… pic.twitter.com/MdsSUVzL17— ぴろみ (@genmai2gou) 2014, 8月 25 1 :ハムスターちゃんねる2014年08月26日 15:16 ID:m8qHbFWm0 洒落にならない怖い話で出てきそうな地名だな。 2 :ハムスター名無し2014年08月26日

    広島の土砂災害があった八木地区の昔の名前「八木蛇落地悪谷」だったことが発覚:ハムスター速報
  • 『東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)』へのコメント

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    『東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)』へのコメント
    ardarim
    ardarim 2011/04/20
    被害を受けないところが整備されて街道の形に収束したという見方は正しいと思う。但しそういう暗黙知や経験則まで含めて「先人の知恵」と言うべき。どこかの時点でそういう知の断絶が起きたというのは疑いない。
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    ardarim
    ardarim 2011/04/20
    推測の域はでないといえ確かに偶然にしては鳥肌が立つほど綺麗すぎる一致…。歴史が語るものもある、のか。こういう研究だと都合のいい事実だけしか見(え)ていない場合もあるから今後の検証に期待したい。
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