タグ

ブックマーク / onkou.com (13)

  • Interview_shima of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【ハガキ職人だった中学時代】 望月:元々はラジオがお好きだったそうですね。 嶋:ラジオに出れるなんて、嬉しくて心が高まりますね。スタジオの独特な雰囲気がたまらないです(笑)。僕は中学生の頃はハガキ職人だったんです。 望月:するとオールナイトニッポンにハガキを送ったりしていたんですか? 嶋:月曜日の中島みゆきさんから、木曜日のビートたけしさんまでしっかりと(笑)その頃、毎日読まれる職人はキング扱いだったんですよ。 望月:ハガキは採用されましたか? 嶋:それなりには読まれましたね。当時、中島みゆきさんが「面白いハガキをくれた人には、握手券をプレゼントします」と言っていたんですけど、僕はその握手券がどうしても欲しくて(笑)結局、握手券は 貰えませんでした。 望月:昔から、ラジオのようなメディアには興味がお有りだったんですね。 嶋:小学校高学年の頃から、ずっとラジオ好きでしたね。あと、雑誌が物凄く

    atashi9
    atashi9 2014/08/09
  • Interview_suda of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【自主製作映画について】 望月:須田さんは1985年にぴあフィルムフェスティバルで受賞されていますね。この時はまだ就職されていないですよね? 須田:まったく就職前ですね。当時はまだ18歳でしたから。高校三年の時に8ミリフィルムの自主映画を作って、インディーズ映画の登竜門だった「ぴあフィルムフェスティバル」に応募したんです。受賞の通知を貰ったのは5月で、多摩美に現役合格する事が出来ず浪人している時でした。大学不合格でがっくりしている時だったんですけど、この賞を頂けたおかげで何とかモチベーションを保つことが出来ました(笑)。この賞は自分にとって出発点ですね。 望月:元々は映画を作りたかったんですか? 須田:子どもの頃は漫画少年で、ドラえもんが好きで藤子不二雄に憧れて漫画を書いてました。そして小学高学年から中学生の頃にアニメブームがあって、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999、ガンダムなんかが流行った

  • Interview_sawamoto of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【表現への思い】 望月:澤さんは、昔からCMを作りたいとお思いだったのですか? 澤:高校生の頃から「なにか表現がしたい」と思って、日々悶々していたんです。高校生の時に森田芳光監督の「家族ゲーム」という映画を見たんです。その映画は文芸作品っぽくて、これまで見てきた映画とは全く違ったんですね。 ATG(映画)だったのですが、「こういったものに携わる仕事がしたいな」と思って。同時期に原田知世さん主演の「時をかける少女」という「家族ゲーム」とは真逆のアイドル映画もあったのですが、これもこれで良く出来ていて。 「これは映像(の世界)はいいな」と思うようになったんですね。しかし、残念ながら僕は昔から通信簿に「集中力に欠ける」と書かれるような子供で。映画となると、二時間なので辛いなと思ったんですよね(笑)そんな時に、サントリーのウイスキーのコマーシャルで詩人のランボオを扱った作品を見たんです。そのコ

    Interview_sawamoto of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告
  • Interview_fukusato of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【広告業界に入ったきっかけ】 望月:そもそもは、CMが作りたくて広告代理店を志望されたのですか? 福里:全然違うんです。元々僕は社会性が無くて、人とコミュニケーションが取れない人間だったんです。幼稚園の時なんて休み時間になると誰とも遊ばずに砂場に直行して、藤棚の柱の周りをぐるぐると回って、それで何とか時間を潰してやり過ごしていたぐらいで(笑)。そんな人間だったので、薄々と「自分は社会に出たら終わりだろうな」という自覚はあったんですよ。一方で「いまのままだと、自分はどうなってしまうのだろう」という気持ちもあって、とりあえず社会には出ようと思ったんです。そこで就職活動では、出来るだけ人と関わらずに済みそうな仕事なら自分には出来るのではないかと思って、調査会社や研究機関を中心に受けたんです。 ところが、暗い人間なので面接で次々と落とされてしまって。面接を通らないと就職できないというのは、日の就

  • Interview_ichikura of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【幼少期について】 望月:一倉さんは、どのような子供だったのですか? 一倉:別に草系という訳では無かったですけど、今にして思うとその頃から言葉に対する興味は強かったと思います。あと、背が低かったです(笑)。 望月:が好きな少年という感じですか? 一倉:父親が読書好きでして、その影響が大きかったですね。僕の親は商売をやっていたのですが、商売人の家にしては壁一面にがぎっしりあったんですよ。 【コピーライターを志したきっかけ】 望月:一倉さんがコピーライターを志したきっかけはどのようなものだったんですか? 一倉:元々言葉に関する仕事がしたいと思っていて、色々調べている時に「コピーライターという仕事があるらしい」という事を知ったのがきっかけですね。就職活動の時には、ずっと「コピーライター志望」という事を口にしていました。 望月:読者が好きな人は小説家や記者を目指すイメージがあるのですが、一倉

  • Interview_nakajima of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    音楽に打ち込んだ学生時代】 望月:中島さんは元々はミュージシャンになりたかったそうですね。 中島:幼稚園ぐらいの頃から女の子が気になりだして、小学生になると「どうしたらモテるのだろうか?」と考えるようになったんです(笑)。小学校というのは、一番足が早い奴がモテる場所な訳です。 ところが僕は足がめちゃくちゃ遅かったんですよ。「これはモテるためには別の事をやらなくちゃいけないな」と思い、グループサウンズの真似事をするようになって。そうして真似をしているうちに、ビートルズの存在を知る訳です。「モテるには、ビートルズにならないと駄目だ!」と思い込んで、以来ビートルズになる事だけを考えて人生を歩んできた訳ですが、今ではどうもあの4人になるには髪形的に不可能みたいで(笑)。 #THE BEATLES 望月:バンドを組んだりはされましたか? 中島:中学で「クリケッツ」、高校で「パンプキン」というバンド

  • Interview_yukimasa of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【広告業界に入ったきっかけ】 望月:行正さんは元々、広告代理店にいらしたんですよね。どちらの会社にお勤めだったんですか? 行正:望月さんと同じ電通です。 望月:やはり広告に興味がお有りで、電通に入られたんですか? 行正:広告に興味はありませんでしたね。元々福岡の田舎に住んでいて、そのあと今度はアメリカ田舎ホストファミリーのところに行ったので、広告がどのようなものかも全く分かっていなかったんです。電通がどういう会社なのかもよく分かっていなかったですね。 望月:電通に入られたきっかけはどのようなものだったんですか? 行正:そこそこお給料の良い、いい会社は無いかな?と思って父に相談したのがきっかけです。「電気の電に通ると書いて、電通と読む会社がある。そこに電話をしてみなさい」と(笑) 望月:実際に電話をされたんですか? 行正:ええ。そうして就職が決まったんです。だから電通は入るのがとても大変

  • Interview_takasaki of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    望月:実は高崎さんは僕の同期なんですよね。93年に(電通)入社ということで。その年は、実は電通史上最も沢山新卒社員を採った年で。その頃は電通にも地方支社があって、地方勤務をする社員も含めて新卒を採っていたんです。そして、93年入社の社員は辞めた人間が多いんですよ。僕も3年ぐらい前に電通を辞めて。その時に辞めた社員を数えたんですけど、既に50人は辞めていた(笑)。結構変わったやつが多かったんだよね。音楽系の人間で言うと、僕は4人目に辞めた人間で、最初に辞めたのがケン・イシイ。次に辞めたのがキャプテン・ファンクのオオエタツヤくん。その次に辞めたのがギルケイ。その次が僕。 高崎:皆、クリエイティブ職じゃないよね? 望月:そうなんだよね(笑)。まあ、電通と言うのは色々な人材がいる場所ですよ。 高崎:面白いね。 【大学時代の話】 望月:高崎くんは元々電通に入りたいと思っていた? 高崎:元々大学でずっ

  • Interview_taniyama of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【コピーライターを目指すきっかけ】 望月:元々は東大にお進みになられたんですね。そこからコピーライターを目指していたんですか? 谷山:そうです。漠然と何かものを作る人になりたいなとは思っていたんですね。ちなみに一番最初思ったのは、5歳の時にウルトラマンを作る人になりたいなと思った事でして(笑)。自慢でも何でもないんですが、普通の5歳って、ウルトラマンに「なりたい」って思うじゃないですか。でも、僕は5歳ぐらいの時に「このウルトラマンという面白い番組を作っている奴がいるはずだ。僕はこのウルトラマンという番組を作る人になりたい」と思ったんです。 望月:夢があるんだか無いんだか分からないですね(笑) 谷山:妙に現実的だったのかもしれないです(笑)。だから、漠然と何かものを作りたいなというのはずっと思っていたんですけど、これだ!というのは無かったですね。20歳の時に、今でも有名ですけど糸井重里さんと

    Interview_taniyama of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告
  • Interview_sugiyama of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    杉山恒太郎 (電通役員) 【広告への関心の原点】 望月:杉山さんはお若い頃から広告に興味がお有りだったんですか? 杉山:広告を特に意識していた訳ではないですが、後から振り返ると一番大きかった経験は東京オリンピックですね。あの時のポスターやドキュメンタリー、映画作品。市川崑のドキュメンタリーは今でも世界の映画学校で教材として使われていると聞きます。あれは全て「日」の広告ですよね。オリンピックは、初めて日の魅力を世界にアピールした広告と言えると思います。 市川崑 「東京オリンピック」 「ジャパン・プレゼンテーション」というを出させてもらって、今でも細々と売れているのですが(笑)、今でも「ジャパン・プレゼンテーション」というのが自分の目標ですね。東京オリンピックというのは、表現物もイベントそのものもまさしく「ジャパン・プレゼンテーション」だった訳です。戦後から、日はオリンピックで2歩3歩

    Interview_sugiyama of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告
    atashi9
    atashi9 2014/08/08
  • Interview_honda of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    【広告への関心のきっかけ】 望月:元々は広告をやろうと思って、電通に入社されたんですか? 田:そうですね。元々は広告をやろうと思って電通に入ったんですけど、その前は広告ではなくて写真家になろうと思っていた時期がありましたね。 望月:何をきっかけにして、写真家を目指そうと思ったのですか? 田:一枚の資生堂の格好いいポスターを見まして。こういうことが自分の将来の仕事として出来たら良いなと思ったことがきっかけですね。 望月:すると、やはり広告が最初のきっかけですか。 田:そうなんですよ。僕の場合は、非常に平凡な高校生だったので、市役所か何かに勤める人生なのかなと思っていたんですよね。うちの親父も東京都庁の職員なので。僕は割と普通の家庭に育っていて、将来広告のように芸能人を相手にする仕事をする世界に、自分が行くなんて思いもしなかったですね。 望月:なるほど。 田:実は高校三年生の夏に自分の

  • COMMUNICATION DESIGN LAB 望月衛介・音楽と広告

    「COMMUNICATION DESIGN LAB 望月衛介・音楽と広告」 ”伝える”ことより”伝わる”こと。広告界、音楽界のトップランナーをゲストに迎えたリアルインタビュー番組。MUSIC BIRDほか全国コミュニティーFM54局でオンエア。毎週日曜日 19時〜19時55分

    atashi9
    atashi9 2014/08/08
    面倒なものを見つけてしまった
  • Interview_wada of Communication Design Lab 望月衛介・音楽と広告

    ファッションへのこだわり】 望月:今日は一段と派手なファッションですね(笑)。和田さんは派手なファッションに関して、一言お持ちだそうですが。 和田:僕は「広告」をファッションで表現したいと思っていまして。広告はまず振り向いてもらうことですよね。そして、振り向いてくれた方の記憶に残ること。 そうして残る記憶こそが「ブランド」です。僕の場合は派手でハッピーな印象が残ればいいなと思っていて、そういったファッションをすることで人が集まってくるんじゃないかと考えています。 【広告代理店に入らなかった理由】 望月:元々、和田さんは宣伝がお好きだったんですか? 和田:小さい頃からコマーシャルを見ては歌ったり踊ったりしてましたね。特にサウンドロゴが大好きで、そういったものに惹かれていました。だから、幼心に「自分もこういった仕事がやれたらいいな」とは思っていました。 望月:普通、宣伝が好きなら広告代理店や

  • 1