思潮に関するfilinionのブックマーク (90)

  • 売春が悪とされてきた本当の理由と非モテ童貞の真の敵 - 地下生活者の手遊び

    単純売春は禁止されていない 例えば僕が金持ち父さんで、とある♀とねんごろになり、しかもその♀に経済的な援助をしていたとしますにゃ。いわゆる愛人というやつにゃんね。これは少なくとも法的にはまったく問題にゃーよね、純粋に私的な関係での話ですにゃ。 警察権力というのは民事不介入が原則なので、私的な関係において性関係があるとか経済的に援助しているとかについては介入しにゃー。介入されたら困りものにゃんな。 で、この♂と♀の私的関係にゃんが、例えば僕がある♀にヒトメボレして、しかも向こうもまんざらではにゃーようで、デート誘ったらオッケーで、飯代もホテル代も僕がもって、しかも♀が経済的に困っているのを見かねてカネをだしたとしても、愛人のケースと同じようなものだよにゃ。法で禁止するような話ではにゃー。 性関係において金銭の授受があることそのものは単純売春などといわれるけれど、この単純売春を法的に禁止するこ

    売春が悪とされてきた本当の理由と非モテ童貞の真の敵 - 地下生活者の手遊び
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    filinion 2008/09/30
    で、今後どうすれば。男女の賃金格差の撤廃と性の解放を推進すれば、今の非モテ男性にとっても幸福な社会になる?/田舎の農民も月に数日の労働で食えてたのかなあ?江戸の豊かさは地方を踏み台にしてたのでは?
  • ホロコーストとトリアージは呪われた双子(追記アリ)(再追記アリ) - 地下生活者の手遊び

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p3#cコメント欄でのSayokというお方の発言を引用。 >CloseToTheWall あなたはここの他の人に比べるとだいぶましな反論をしてきますね。しかし、「優生学がもし学問的に正当なものとして認められるようになっていたとしても、ホロコーストは批判されなければならないんです。」というあなたの主張は私には到底認めることができません。もし仮に今、優生学が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。私たちは今ここにいるからホロコーストを批判できるのです。当時、優生学の正当性、そしてホロコーストの正当性を信じていた人間にホロコーストを批判することなど不可能です。逆にいえば、ホロコーストを批判するには優

    ホロコーストとトリアージは呪われた双子(追記アリ)(再追記アリ) - 地下生活者の手遊び
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    filinion 2008/08/24
    科学との正しい距離の取り方はどのへんなんだろう。「科学的に正しいからそうすべきだ」という主張に(たとえ科学的に正しいのが本当でも)無批判に従ってはならない、ということかな。
  • 「やればできる俺」という欲望:日経ビジネスオンライン

    アニメーションは、頭の中で望んだことを描き動かすもの。作り手の嗜好を忠実に映像化することができる。そして作り手は、視聴者の欲望をいかに捉えるかに常に腐心している。だったらアニメを通して時代の欲望が見えるのではないか? そんな仮説を手に、日々アニメ制作に臨む監督たちにインタビューを申し込んでみた。まずは「コードギアス 反逆のルルーシュR2」の谷口悟朗監督にうかがってみよう。 ●作品紹介● 超大国ブリタニア帝国に占領された日=エリア11。そこに生きる二人の少年、ルルーシュとスザク。 「ギアス」の力を手に入れ、世界を壊そうとするルルーシュ。 ナイトメアフレーム「ランスロット」を操り、世界に理想と真実を求めるスザク。 二人の対照的な生き方は、やがて帝国を揺るがす大きなうねりとなっていく。 【上記は「コードギアス 反逆のルルーシュ」公式サイトより引用 2008年8月現在、続編の「コードギアス 反逆

    「やればできる俺」という欲望:日経ビジネスオンライン
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    filinion 2008/08/22
    「事実は才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ」(山月記)/待ってるだけで技術革新が色々可能にする昨今。いずれ、誰でも簡単に高度なサッカー技術が、とか。
  • 愛国心について:アルファルファモザイク

    高校生を恐喝した上、制止しようとしたその父親を車から振り落とし意識不明の重体にさせる…18歳少年ら3人逮捕…千葉

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    filinion 2008/08/19
    愛国心は国を滅ぼす。愛国的言動は非難されるべきだ…っていうのは愛国心なのかしら。\国を良くしたい、という思いを持つのは大切だけど、自国への批判を許さないとか他国を蔑むとかは「溺愛国心」とでも呼ぶべき。
  • 【コラム】独り善がりな「コリアン・スタイル」(上) | Chosun Online | 朝鮮日報

    これは、数年前にある外国の空港で遭遇した出来事だ。外国の航空会社の旅客機が滑走路から引き返し、飛行機に問題があるということで乗客を一度降ろすことになった。数時間たっても、航空会社側からは特に説明もなかった。その時、大きな声が上がったので振り返ってみると、数人の乗客が航空会社の社員らと争っていた。よく見てみると、韓国人だった。あちこちに散っていた韓国人が集まり、一人が「黙っていると損をする。騒ぐべきだ」と言った。さらに何人かが争いに加勢したことで、韓国人が集団でデモを起こしているようなありさまになった。筆者も、勇気がなくてデモができなかっただけで、頭にきていることに関しては彼らと変わらなかった。 しかし周囲を見回してみると、ほかの乗客はいすに座ったりカバンを枕にして床に寝たりしたままで、この騒がしい見せ物を見守るばかりだった。そうやって待機中だった乗客が、いつの間にか半分以下に減っていたの

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    filinion 2008/08/13
    熱狂的な愛国者の行動こそ、しばしば国辱そのものである、ということ。韓国を笑う人は鏡を見たほうがいい。(下)も必読。
  • 【コラム】1988年、日本が見たソウル(上) | Chosun Online | 朝鮮日報

    9日付の日の新聞を読み、北京オリンピックを冷静な目で見ていることに驚いた。読売新聞は社説でチベット弾圧・聖火リレー騒動・報道規制などを並べ、中国を批判した。毎日新聞は1面のコラム欄で「中国はまだ“世界が理解できる国”になっていない」と書いた。 日ではあらゆる分野がそうだが、メディアもめったに興奮しない。20世紀初めに戦争をあおり痛い目に遭ってからは、少なくとも主なメディアは感情的な論調や表現を排除する慣行を身に染み込ませているという。 だが、こうした日メディアが感情を込め、好意的に受け取ったオリンピックがある。それはソウル・オリンピックだ。開催地選定の際、ソウルが名古屋を破ったため、日の視線は冷たかったと思うかもしれないが、実は全く違っていた。 開会式当日の1988年9月17日、日の新聞各紙が報じたソウル・オリンピック関連記事は150件以上。かなりの量だ。この日、日経済新

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    filinion 2008/08/12
    韓国内向けに過剰な民族主義の害を説いた記事。民族主義は民族を孤立させる。/「中国が嫌いだからオリンピックも嫌い」という人がいる時点で、中国は間違っているというか中国の思惑にはまってる気も。
  • 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教と「水からの伝言」 - 玄倉川の岸辺

    いまさら言うまでもなく、というか言わなくても済むような世の中になってほしいが、「水からの伝言」は悪質なニセ科学でありエセ道徳である。 私はああいう愚劣な代物を売り広めている連中を軽蔑する。「売り広める」のなかには自分の意思で口コミ宣伝する消費者も含まれる。 私は水伝をそのまま信じているビリーバーよりも、水伝がニセ科学として批判されていることを知りつつあいまいに受け入れ、感染拡大に手を貸す人たち(フォロワー)のほうが嫌いだ。「インチキでもいいじゃないか、いい話だもの」とわかったようなことを間抜け面で言う輩には腹が立つ。意図的に二重思考をし、ごまかしを恥じない人間を信じることはできない。 「水伝の怪しさを認めながらもそれを問題にしないという態度を取り、このいわばニセ道徳から『エッセンスを汲み取っ』たり『良い所を有効に利用』できると考えているらしい」お友達を持ち、悩んでいる方のブログから引用する

    空飛ぶスパゲッティ・モンスター教と「水からの伝言」 - 玄倉川の岸辺
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    filinion 2008/07/20
    「事実に反すると知りつつ疑似科学を広めるのはテロ」はっとした。/社会のデバッグはコンピュータと違い民主的手続きが必要。間違いを広める人も駄目だが、「奴らはテロリストだ!」的なラベリングもバグの一種。
  • ふたたび自由について - やねごんの日記

    前回の記事について、いただいたコメントには きほんてきに おへんじしませんと かきました。しかし、気が かわりましたので、やっぱり かきます。 ひじょうに きょうみぶかいことに、わたしの文章を誤読した(と あえて いいます) ひとたちの ほとんどが、おなじポイントを みおとしているようです。ですから、全員には おへんじいたしませんが、わたしに たいする もっとも ていねいな反論記事を こちらで えらばせて もらって、わたしのかんがえを あらためて せつめいします。 ●他者がどこにもいない自由 - 地下生活者の手遊び tikani_nemuru_Mさんは、わたしは前回の記事のうち、つぎの ぶぶんを引用しています。太字にしているところは、元記事でも わたしが太字にしたところです。強調の意図を こめました。 いっぽう、ほんとうに こわいのは、反対に「ひとをころす自由」を否認するような かんがえか

    ふたたび自由について - やねごんの日記
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    filinion 2008/07/11
    人間の行為は全て各自の自由意思によるものであり、「禁止されているからやらない」「命令だからやった」というのは責任転嫁である、と読んだ。…でもそれって、むしろ「自由は責任を伴う」って話では?
  • 「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog

    もちろんトリアージを拡大解釈するなってことは大事なんでしょうけど、どうして人はトリアージみたいなものを拡大解釈したがって、しかもそういうエントリには賛同ブコメがいっぱいつくんだろうってのも大事では。いや、「誰かを切り捨てなければ誰かを助けることはできない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話なのですが。 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200308.html#02 なぜこんなに「月宮あゆが助かる〜」という考えを僕が憎むかというと、「誰かが助かることで、他の人は助からない」という考えというのが、ある種の奇妙な「社会性」みたいなものを他人に押し付けるために使われることが多いからなのかも。 倫理的な問題を考えるときに、「思考実験を構成して、選択肢のどれを選ぶかについ

    「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - hokusyu’s blog
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    filinion 2008/05/26
    「オメラス」は「歩み去る人々」=“必要な犠牲”の存在に納得できない人々、が主役なのでは。「革命前夜」(「オメラス」と同じ本に入ってる)の著者解説とか見る限り、オメラス≠ユートピア、が作者の認識かと。
  • 「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html 善良な市民さん(以下、宇野さんと表記)がSFマガジン上で書いた「決断主義」に関して、Masaoさんが「時代遅れだ」「現実は軽くなってるじゃん」と反論しているのが上記リンク先の記事だ。しかしMasaoさんの感覚のほうがむしろ時代遅れというか、時代に逆行していると思う。娑婆はますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況に若い世代は対応を済ませている、と宇野さんは言いたいんじゃないだろうか。そして「現実を軽くする」ことで娑婆に対応出来たと思いこむ感性に対して、「そんなんでサバイブできるの?」と疑問を投げかけているのではなかろうか。 流動性・多様性をきわめた現実をサバイブするには、分からないものは分からないと留保しつつ

    「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。