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人生と社会に関するhanamizuruzuruのブックマーク (7)

  • 虐待された私がアイドルになって 戦慄かなのさんのメッセージ | NHKニュース

    幼いころ、母親から激しい虐待を受けていた大阪出身のアイドル「戦慄かなの」さん(20)。今、虐待の傷を抱えた当事者として、メッセージを発信しています。

    虐待された私がアイドルになって 戦慄かなのさんのメッセージ | NHKニュース
  • 女の子なんだから勉強しなくていいよ、と言った父は死にかけるまで仕事を辞められなかった|はるちん|note

    2018年8月2日(木) わたしが11歳の頃、女の子なんだからそんなに勉強させなくていいよ派の父と女の子でもこれからは勉強して手に職つけなければダメでしょ派の母の間で一悶着あった。 この言い争いは圧倒的家庭内政治力を誇る母の勝利で決着し、わたしは中学受験用の塾に通って都内の中高一貫校に合格した。(母は、「勉強したらクーラーのある学校に通えるよ。」と言ってわたしを懐柔した。今振り返ると正確には「わたしたちが金を払うからクーラーのある学校に通え。」なのだが、こういうところが母の巧みなところだ。当時、学区内の公立中学校にはクーラーがなかった。) 6年後にはかつての父の第一志望だった大学がわたしの母校となったし、その後も、比較的勉強する人生を歩んでいる。あんなことを言っていた父も、今ではわたしの進路を積極的に応援してくれている。 時は流れてあの言い争いから早15年。残念ながら、いまだに女性が女性で

    女の子なんだから勉強しなくていいよ、と言った父は死にかけるまで仕事を辞められなかった|はるちん|note
  • 殺人予告|生活学習|note

    コミティアで発行した漫画を販売もしくは公開しています。日記も書いています。しかし、codocに移転。→ https://codoc.jp/sites/seikatsugakusyu ツイッター→https://twitter.com/seikatsugakusyu ここは跡地。

    殺人予告|生活学習|note
  • ロリコンを内在化させてしまった女たちへ|はましゃか

    物心ついてはじめて母親に年齢を聞いたとき、 冗談めかして「18歳」と言われたことを今もはっきりと覚えている。 そのときの自分は5歳かそこら、母親の年齢がわかってからも、なぜ18歳というのか、全然わからなかった。 自分が小学生、中学生と年を重ねるにもかかわらず、母親はずっと「18歳」のままだった。ついに自分が18歳になった時、「親の年齢になっちゃったわ」と冗談を言って、どうして18歳と答えてきたのか?と率直にきいてみた。 その時の私は、自分たちのことを「LJK(=ラストJK)」とか呼んでいて、 人間、若くいたいものなんだろうなとぼんやり思っていた。 母親はこう続けた。 「もし戻れるなら、18歳に戻りたいから。」 * いつの日からか、誕生日が来るのが怖くなった。 昔は誕生日が来るのが嬉しかったのに、今は怯えて逃げたくなるほど怖い。 誕生日を祝われました!ってSNSに投稿する人はみんなニコニコし

    ロリコンを内在化させてしまった女たちへ|はましゃか
    hanamizuruzuru
    hanamizuruzuru 2018/08/15
    若さ、若さってなんだ。
  • 支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐

    私は、発達障害とおぼしき大事な人をひとり、孤立無援なまま亡くしている。その人のことを突然思い出したので、思い出すままに書き留めておく。今回はなんの落としどころも役立つ情報もないが、興味のある方は少しだけおつきあいいただきたい。 ※後半に人の死をリアルに描いた描写があります。苦手な方はお気をつけください。 心に残る、ある発達障害者(たぶん)について 私の周囲には未診断も含め多くの発達障害者(またはその疑いのある人)がいるが、とりわけ心に残っている人がいる。 それは実の伯父(おじ)である。 自分が診断を受けて以降、彼のことを公の場で口にするのはおそらく初めてだ。 ずっと書きたいと思っていた。彼の鎮魂のため、私自身のグリーフケアのため、またひょっとしてどこかの誰かの役に立つかもしれないという気持ちで、ここに書き残しておく。 彼はいつもへらへらふらふらしていた 私が物心ついたときから、父方の伯父(

    支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐
  • asahi.com :教育 - いじめられている君へ 広い海へ出てみよう:東京海洋大客員助教授・さかなクン

    中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサをべる、同じ種類同士です。 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめ

  • 男の人にガンガン言われても、私は私よ 黒柳徹子さん:朝日新聞デジタル

    3月8日は国際女性デー。60年以上にわたりテレビや舞台で活躍し続けてきた黒柳徹子さんは「自分は自分、人は人。人と自分を比べないで」と語ります。 ◇ 25歳から30歳ごろは一番嫌だったわね。 テレビ放送が始まった1953年、NHK専属のテレビ女優1期生になりました。とても自由な家庭と学校で育ちましたし、女優という仕事は女性にしかできないので、あまり「女だから」と制約を感じることなく生きてきましたけど、20代後半はちょっと違った。 「そういうの知ってる」と言うと、「知ったかぶり」とか「生意気」とか言われる。「知らない」って言えば「かまとと」って言われる。ほんと嫌になっちゃう。30を過ぎたら言われなくなるだろうと思って、30歳になった時は「あー、せいせいする」って思いましたね。 「男の世界だなー」 40歳になる少し前、ニュースショーの司会を頼まれました。それまでニュースショーの司会といえば男性。

    男の人にガンガン言われても、私は私よ 黒柳徹子さん:朝日新聞デジタル
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