タグ

ブックマーク / manba.co.jp (6)

  • 【コメントあり】マンガ原作界の巨匠・狩撫麻礼氏の追悼本がいよいよ双葉社より発売! | マンバ通信

    2018年の1月に亡くなったマンガ原作者、狩撫麻礼(かりぶ・まれい)氏。 漫画原作者の狩撫麻礼(土屋ガロン、ひじかた憂峰)さんが逝去されました。弊誌では、漫画アクション50周年にお祝いのコメントを頂いたのが最後の原稿となりました。担当になってから22年、沢山の事を教えていただきました。感謝の言葉しかありません。当にありがとうございました。(編集長・H) — 漫画アクション編集部 (@manga_action) January 15, 2018 1979年『East of The Sun, West of The Moon』(画・大友克洋)でマンガ原作者としてデビューして以降、『青の戦士』(画・谷口ジロー)、『迷走王ボーダー』(画・たなか亜希夫)、『ハード&ルーズ』(画・かわぐちかいじ)など多くの作品の原作を手がけてこられました。90年代半ばには「マンガ原作者、狩撫麻礼」の名前を捨て、土屋

    【コメントあり】マンガ原作界の巨匠・狩撫麻礼氏の追悼本がいよいよ双葉社より発売! | マンバ通信
  • ピッコロさんのダンディズムについて | マンバ通信

    年をとってから『ドラゴンボール』を読み返して気づくのは、ピッコロという男の不思議な魅力である。この男は作品世界のなかですこし特殊な立ち位置にある。ピッコロというのは「大人の男」なのである。 永遠の子供である孫悟空を中心に、どちらかといえば子供っぽさが魅力になっているキャラクターが多いなか、ピッコロの魅力は得がたいものである。そこには「男がホレる男」という雰囲気がある。だれのことを兄貴と呼びたくなるかといえば、私はピッコロのことを兄貴と呼びたい。 たとえば高校生の自分が運動部に入ったとして、三年の先輩にピッコロがいてくれると嬉しい。もちろん入部当初は一人だけ顔が緑色の先輩がいることに面喰らうだろうし、「あの人、腕がもげても自力で再生できるらしいよ」という噂をきいて、一時的に距離を置くこともあるだろう。しかしピッコロ先輩の引退試合では、後輩の全員が自然と涙をながしている。ピッコロというのは、そ

    ピッコロさんのダンディズムについて | マンバ通信
    hanamizuruzuru
    hanamizuruzuru 2019/01/04
    ピッコロさん
  • 遠回りが実ったマンガ家への道「王様ランキング」goriemonインタビュー – マンバ通信

    今年8月にSNSで突然ブレイク、今もっとも更新が待たれるWebマンガ「王様ランキング」。その作者・goriemon(*当時。現在のペンネームは十日草輔)にインタビューをおこなった。 「たぶんこれがデビュー作だと思うけど、いきなりこんなクオリティの作品を描けるって、いったいどんな人物なんだろう?」と思っていたら、取材場所に現れたのは……。 「王様ランキング」とは… 耳が不自由で非力な王子ボッジが多くの人と出会い、成長していく物語。投稿サイト「マンガハック」にて更新中(ほか「ニコニコ静画」「マンガボックスインディーズ」でも公開)。「次にくるマンガ大賞2018」Webマンガ部門ノミネート作品。 40代で会社を辞め、マンガ家の道へ ──(あれ? 思ってたよりも……) 意外と年取ってて驚いたでしょう(笑)? 僕、43歳なんです。 ──HPに「2016年に会社を辞めてマンガを描き始めた」と書いてありま

    遠回りが実ったマンガ家への道「王様ランキング」goriemonインタビュー – マンバ通信
  • 孫悟空とは何者だったのか? | マンバ通信

    ベジータについて書きはじめた時、孫悟空は空白だと書いた。その意味を考察しなければならない。「空白」とはどういうことなのか。孫悟空という男は、いったい他の人間となにが違っているのか。孫悟空とは何者だったのか。 孫悟空について考えるには、「この男には何があるのか」ではなく、「この男には何がないのか」を見たほうがいいと私は考える。普通の人間がもつ色々なものが悟空には欠けており、その欠落こそが悟空という男の個性を形作っているからだ。 (悟空とは何者なのか。『ドラゴンボール』35巻3ページ) 悟空には「帰属意識」がない ベジータは悟空に、「サイヤ人の生き残り」としての同胞意識を持っている。ピッコロが神と融合してすさまじい力を得た時、ベジータは心のなかで悟空に語りかける。 「どいつもこいつも…!! 宇宙一の超サイヤ人をあっさり出し抜きやがって…!! アタマにくるぜ…!! なあカカロット…」 非常にベジ

    孫悟空とは何者だったのか? | マンバ通信
  • 劣等感は切ない ベジータの孫悟空コンプレックスについて | マンバ通信

    上田啓太さんによる、大人気シリーズ “『ドラゴンボール』に登場するベジータについての考察” 中編です。(まずは「前編」をどうぞ。) 悟空とベジータは永遠のライバル。なんとなく、そんなふうに思われている。しかし私はこれほどアンバランスな関係をライバルと呼んでいいのかわからない。当にこの二人をライバルと言っていいんだろうか? 要するに、ベジータが悟空を思うほどには、悟空はベジータのことを思ってないんだが、それでも二人は「ライバル」なのか? そこにあるのは「互いに刺激しあう二人の男」なんてものじゃなく、「勝手に強くなっていく悟空と、それを見てジタバタするベジータ」なんだが、そんなものが「ライバル」なのか? 悟空とベジータの関係を象徴するセリフ。(『ドラゴンボール』33巻p.92より) ありもしない悟空の内面を読んでしまうベジータ 初登場時、ベジータは悟空より強かったと言っていい。最後は敗北する

    劣等感は切ない ベジータの孫悟空コンプレックスについて | マンバ通信
  • 残忍だった頃のベジータの圧倒的キャラ立ちについて | マンバ通信

    ベジータについてならばいくらでも書ける。そんな確信がある。 孫悟空については書けない。孫悟空は空白だからである。内面がないからである。無について何かを書くことはできない。しかしベジータについては書ける。ベジータほど作中において変化していった人間はいないからだ。その変化を追っていくだけで文章は生まれる。 (『ドラゴンボール』22巻p.131より) 我々はベジータのことを何だと思っているか? 妙なハゲ方をしたサイヤ人だろうか? そうかもしれない。しかし今は髪型にはふれない。私が考えるのはベジータという男の内面である。そのためにベジータを前期・中期・後期に分ける。 それはベジータが「人間性」を獲得していく過程である。しかし焦るのはよそう。とりあえず今回の記事では前期だけを扱う。作中でいえばサイヤ人編における初登場からフリーザ編中盤あたりまでのベジータ。この時期のベジータには一切の「人間性」がない

    残忍だった頃のベジータの圧倒的キャラ立ちについて | マンバ通信
  • 1