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人と音に関するida-10のブックマーク (13)

  • 追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA

    2023年4月2日、坂龍一がこの世を去ったことを知ってから、言葉にならない喪失感を抱え続けている。ただ呆然とするほかないなか「Ars longa, vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」という人が好んだ一節に触れ、残された自分にできることがあるかもしれないと思った。氏が長きにわたり発表してきた膨大な音楽作品を振り返り、書き残すことで、またわたしたちは新たに音楽家・坂龍一に出会いなおすことができるかもしれない。そんなことを考えた。 さまざまな書き手の方に「坂さんの音楽について書いてくれませんか」とメールを送った。非常に多岐にわたる活動を展開し続けたからこそ、どこから、何から書くべきかは難しいのではないかと考え、「あなたが選ぶ、坂龍一の『永遠の一枚』」というお題とともに。届いた原稿はさまざまだった。個人の記憶とともにひとつの作品について書いた人、ひとつの作品からさまざまな

    追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代 | CINRA
  • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂

    記事:平凡社 坂龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎佳嗣 書籍情報はこちら バッハの「マタイ受難曲」を聴くと、まさに「音楽に救われる」という感じがする ――東日大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂さんはどうお過ごしでしたか。 坂龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。 ――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。 坂:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。 ――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。 坂:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「また

    特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂
    ida-10
    ida-10 2023/04/07
    「やっぱり人間、生きていると悲しいことは起こりますから。だからそういうときのために音楽はあるみたいですね」
  • 坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日人初快挙

    坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
  • 坂本龍一ロング・インタビュー。あるがままのSとNをMに求めて

    龍一ロング・インタビュー。あるがままのSとNをMに求めて坂龍一の新アルバム『12』を記念し、雑誌『美術手帖』2017年5月号の坂龍一特集より、冒頭を飾った坂龍一のロングインタビューを公開。坂龍一が考えるS(サウンド)とN(ノイズ)、そしてM(ミュージック)とはなんなのか? 17年のアルバム『async』の制作のほとんどを行ったというニューヨークで坂が語った言葉に注目。 聞き手・文=松井茂(詩人・情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授) All photos by GION ──ワタリウム美術館での展覧会が始まります。展示の中心は、8年ぶりの新譜『async』による5・1chのサウンド・インスタレーションです。 坂 『async』でしたかったことは、まずは自分の聴きたい音だけを集めるということでした。あまり家から出ないので、雨の音が鳴っていると嬉しくて、毎回録音してしまい

    坂本龍一ロング・インタビュー。あるがままのSとNをMに求めて
  • 静岡の高校生の部屋からドイツ巨大フェスまで―「電気グルーヴ」破天荒な2人の30年 - Yahoo!ニュース

    2019年、結成30周年を迎える電気グルーヴ。90年代以降の日に「テクノ」「クラブ」というカルチャーを根付かせ、音楽シーンに大きな影響を与えた。「Shangri-La」などのヒット曲を生み出したほか、海外進出を果たし、ヨーロッパのテクノ・シーンでも知られる。石野卓球はDJ、ピエール瀧は俳優と、個人でも活躍してきた。30年、破天荒な2人が共に歩める理由は――。(取材・文:兵庫慎司/撮影:三浦憲治/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    静岡の高校生の部屋からドイツ巨大フェスまで―「電気グルーヴ」破天荒な2人の30年 - Yahoo!ニュース
  • 日本のテクノシーンを牽引し続ける男、石野卓球インタビュー

    — なるほど。今この場で実際に声を大にして言ってくれたわけですね。 こういう場でしか中々言えないからさ (笑)。知ってる人の前で言ってたら、あいつ頭おかしくなったって思われちゃうし。こういうことは自分を知らない人達とか、初登場の媒体のところで言っておくっていうね。 — 逆に知り合いレベルじゃなくて、近い人との間でこういう話はされないんですか? 近い人とはそういう話しかしない (笑)。そういう話しかしないっていうのは大げさだけど、そういう話のできる人だから親しくできるんじゃないかな。 — ある種の共感覚というか。 うん。今回ジャケットをやってくれた宇川 (直宏) 君とはそういう話はしないけど、アーカイブしてきたサブカルチャーで共通するものがあったりとか。必ずしもそういう話ができる人達が音楽も同じ趣味だとは限らないから、自分の中にも色んなチャンネルがあるというか。 — 少なからず共通言語がない

    日本のテクノシーンを牽引し続ける男、石野卓球インタビュー
  • Perfumeに限界は訪れるのか 〜年齢と「女性アイドル」の期限〜 - ループ ザ ループ。

    4月にPerfumeのニューアルバム「COSMIC EXPLORER」が発売されてもうすぐ3ヶ月が経つ。 COSMIC EXPLORER アーティスト: Perfume 出版社/メーカー: Universal Music =music= 発売日: 2016/04/06 メディア: CD この商品を含むブログ (12件) を見る アルバムの発売にあたり特別プログラムが放送されたり、各雑誌にもいろいろとインタビューが掲載された。 世間へ向けての露出は少し落ち着いている今日この頃ではあるが、現在彼女たちはアルバムを引っさげて国内ツアーを開催中で、私もようやく明日そのステージを体感してくる。 国内ツアーが終われば次はそのアルバムを引っさげてアメリカへ。北米ツアーを開催し、秋には国内3カ所のドームで追加公演も決まった。 アルバム発売に絡んだメディア露出の中で、私がいちばん印象に残ったのはのっちがイン

    Perfumeに限界は訪れるのか 〜年齢と「女性アイドル」の期限〜 - ループ ザ ループ。
    ida-10
    ida-10 2016/06/27
    パフューム
  • コムアイが語る、音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」とは?

    都会の方が性に合うと気付いた高校生活―1992年生まれ。どんな子供だったんですか? 高校生の頃は畑や農業に興味があって、いずれは自給自足の生活をしたいと考えていました。ずーっと都会で育ってきたからこそ、モノが多すぎる都会の雰囲気にすごく疲れていたんです。私のことはほっといてくれないかなと思ってもそこに居るだけで情報を浴びせられ、消費を煽る都会の生活が心底嫌だったんですね。それで、高校生のときにいくつかのNGOやNPOに関わったんです。サルサダンスに魅了されてキューバを旅してみたり、茨城で田舎の暮らしを体験をしてみたりと、当時は人口密度が薄く大量消費や資主義じゃないイデオロギーが根付いた場所を欲していました。 ―茨城の体験について詳しく教えてください 18歳のときに1カ月間ほど、事・宿泊場所と力(ちから)を交換するWWOOF(ウーフ)を通じて「やさと農場」というところで生活しました。作物

    コムアイが語る、音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」とは?
    ida-10
    ida-10 2015/03/15
    水曜日のカンパネラ コムアイ
  • next33 blog | 90年代テクノと電気GROOVE,SHOP33 それにまつわる愛憎 高野政所

    2012年9月26日 17:51 今回、next33.com presents "shop33"に参加させて頂くにあたって、コラムをって事なので、自分との関わりについて語ろうかと思う。 自分の高校時代はマジで暗黒時代という他なかった。日々、学校生活を楽しんでる奴らと同じ空間に居ながらも、なんで自分がその楽しめてるグループに居れないのか、入っていないのか、という自問自答を繰り返す日々が続いた。 イケてるグループには当然入れない。かといって、筋金入りのゲーオタやアニオタの連中はそれはそれで同好の者同士、楽しそうにやっているが、自分はどうしてもそこにも馴染めなかったし、かといってヤンキーの仲間に入れるわけでもない。 もちろんインターネットなんて物は無いし、オンラインの世界なんていうのもまだ知らなかったから、特に所属するトライブも無く、ただただ日々ダークエナジー(SUBURBAN KNIGHTみた

    ida-10
    ida-10 2012/09/26
    アシパン政所さん/DJ JETBARON・高野政所
  • FesLab|INTERVIEW-04|dj KENTARO -DJ-

  • DJ KATO (Sendai Balearic)

    SENDAI BALEARIC主宰1996年、PUNK・ROCK DJとしてDJ活動をスタート。が、その後、半年ほどでHOUSE MUSICの魅力に引き込まれ、HOUSE DJへと道を変える。HARD HOUSE、DEEP HOUSE、GARAGE、DANCE CLASSIC、NU HOUSE、DISCO DUB、ITARO DISCO、COSMICと常に新しい方向、独自のスタイルの確立を実現すべく様々なジャンルをプレイし、ITARO DISCOやEURO DISCOなどの独特な音色からTRANCEという選択肢を見出し、BALEARIC TRANCEに行き着いたのが2006年の冬。そして1999年あたりからリスペクトしていたDJ Marbo氏が2006年、夏に創造したTOKYO BALEARICに出会い、新たな方向性を確信、新しい価値観の創造へ向かう。その後のTOKYO x SENDAI

    DJ KATO (Sendai Balearic)
  • 石野卓球 - Wikipedia

    石野 卓球(いしの たっきゅう、1967年12月26日 - )は、日のテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、グルーヴ歌手、音楽プロデューサー。名は石野 文敏(いしの ふみとし)。愛称は「クリ坊」、「フミトシ」、「卓球さん」。 略歴[編集] 静岡県静岡市(現:同市駿河区)生まれ。小学生の時、縁日で祖母に買ってもらったイエロー・マジック・オーケストラのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に衝撃を受け、あまりに毎日聴きすぎたため母親から『イエローマジック禁止令』を出されてカセットテープを隠されてしまったほど。中学生時代にクラフトワークやニュー・オーダー等の他、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのようなアヴァンギャルドでコアなノイズ等にも傾倒し始め、挙句には勉強部屋で電気ノコギリやドラム缶の音まで鳴らすようになる。この当時、石野の実妹は彼の部屋から聴こえる音がうるさいという内

    石野卓球 - Wikipedia
    ida-10
    ida-10 2008/12/10
    「豆知識」が詳しく、石野卓球の人となりがよくわかるようで面白い
  • ITmedia +D LifeStyle:「補償金もDRMも必要ない」——音楽家 平沢進氏の提言 (1/4)

    録音・録画補償金やDRMのあり方など、著作物の意義や対価システムが見直されようとしている。消費者にしてみれば、もちろん補償金もDRMもいやだということだけははっきりしているわけだが、権利者の団体はそれによって著作権者の利益が守られるのだと主張する。 だがちょっと待って欲しい。権利者といっても、いつも議論の舞台に登場するのはJASRACを始めとする権利団体だ。当の意味での著作権者である音楽家達は、補償金やDRMなどのことをどう考えているのかという話は、ちっとも伝わってこないのである。 これはどう考えても、議論の席に座る人のバランスとしておかしいだろう。その権利者団体が、果たして正しくミュージシャンなど芸術家の総意を代表していると言えるのかがはっきりしないことには、権利者団体と話し合いをして意味があるのかも、実はわからないのではないか。 実際のプロの音楽家が今日の状況をどのように考えているの

    ITmedia +D LifeStyle:「補償金もDRMも必要ない」——音楽家 平沢進氏の提言 (1/4)
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