封筒のパラドックスにて一方の封筒の金額の倍入っているか、半分入っているかの場合の数をだして、確率分布とそれによる期待値をシミュレーションしてみた。 まず、胴元が用意する金額を同一紙幣のみとし、3N枚準備したとする。 その内の3t枚(t=1..N)抜き出して、t枚を封筒Aに、2t枚を封筒Bに入れる。 上記操作が行われるという条件付きで、封筒Aと封筒Bとを確率1/2で選択し、片方の封筒を開いたとき、x枚の紙幣が入っていたとする。このとき、別の封筒に入っている紙幣の枚数をyとしたとき、yはxの何倍になるかの期待値(以下、倍率の期待値)を計算した。 さて、結果は。。。 ※06/10/22 00:45:00 訂正 恥ずかしながら、式内でNCrとすべきところ、rCNとしていたので、訂正します。 ※06/10/16 06:45 補足 下記図中yは正確にはf(x):期待値です。 ※06/10/24 01:
みんな冷静に計算してほしいけど、東京都の新コロナ感染者数は現在171人。東京から無作為に200人をピックアップしたときに、その中に超有名人の志村けん氏が入ってる確率ってどのくらいだと思う? 現在の感染拡大ペースは我々の想像をはるかに超えてるよ。桁違いの感染者数になってるよ。— 森岡正博 (@Sukuitohananika) 2020年3月25日 このツイートと、 森岡正博 on Twitter: "みんな冷静に計算してほしいけど、東京都の新コロナ感染者数は現在171人。東京から無作為に200人をピックアップしたときに、その中に超有名人の志村けん氏が入ってる確率ってどのくらいだと思う? 現在の感染拡大ペースは我々の想像をはるかに超えてるよ。桁違いの感染者数になってるよ。" ブコメがひどい。水曜日のダウンタウンとやらによれば志村けんは日本の知名度ランキング15位。そんな人が感染してるなら、実際
「過度に性的」と批判された献血ポスター 昨年10月、日本赤十字社が人気マンガ『宇崎ちゃんは遊びたい!』のキャラクターを用いたキャンペーンを行った。そのキャンペーンで作成されたポスターについて、一部の人びとから「過度に性的だ」などと批判を受ける騒動となった。 同作品のキャンペーンは本年2月に第2弾が開始され、報道によれば、日本赤十字社は批判を受けてガイドラインを新たに策定したという。 去年、日本赤十字社が胸の大きな女性の漫画キャラクターのポスターなどを作成して献血を募ったことに対し「過度に性的だ」といった批判が寄せられたことを受け、日本赤十字社は広告のガイドラインを策定したうえで、同じキャラクターを用いた新たなデザインの謝礼品を作り、今月から第2弾のキャンペーンを始めました。専門家は「広告が炎上すると、ただ謝罪して取り下げるケースが多かった中で、今回、批判を受け違う形を提示してきたことは問題
米DARPA(国防高等研究計画局)は120万画素のカメラ、脳波スキャナ、視覚処理アルゴリズムと複数のコンピュータを組み合わせた「コグニティブ技術危険通報システム(CT2WS)」のプロトタイプ製造に成功したと発表した。 このシステムは、簡単に言えば戦場の様子を監視するための監視カメラ。特殊な機能としては、監視を行う兵士の脳波をモニターする機能を備えていることだ。人間の意識下では、カメラ上に敵戦闘員の気配があったとしても、本当にそれが敵なのか判断するのに若干の時間がかかる。しかしDARPAによれぱ、人間は違和感の検出に本質的に熟達しており、意識上での認知には時間がかかっても、人間の脳自体はこうした情報を検知することができるという(EXTREMETECH、DARPAリリース、本家/.)。 そこでCT2WSでは、兵士の脳にある潜在意識のパターンをチェックし、兵士が自覚する前に危険を察知、オペレータ
2013年に発売が予定されているソニーコンピューターエンタテインメントジャパンのプレイステーション3用ソフト『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』。2012年9月24日に行われたプレミアムセッション(プレミアムセッションの記事はコチラ)にて、ゲームの開発元であるNaughty DogのCommunity StrategistであるArne Meyer氏にお話を伺った。 ――『アンチャーテッド』シリーズで成功を収めたNaughty Dogですが、今回新しいジャンル“サバイバルアクション”にチャレンジした理由は? Arne 『アンチャーテッド』シリーズでは、銃を使って戦うアクションが中心でしたが、『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』では、崩壊した世界に残された物資を駆使して生き延びる、リアリティー溢れる世界を表現しようとしています。プレイヤーにスリルを感じてほ
「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。 格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。 どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。 だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。 「格差」とは何のことなのか? メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。 平たく言えば年収のことである。 年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。 とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。 パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。 そういう説明がなされている
われわれは、レヴィナスのヨブ記解釈(または、内田樹氏によるその解釈)を要約して、「主体が象徴界に生まれる時、主体は象徴界に遅れをとらざるを得ない」と記した。主体にとって根源的な遅れとは、言語への参入によって初めて主体が成立するものである以上、主体は象徴界に対して常に遅れを取ったものとして登場せざるを得ないという事である。 象徴界への遅れは、万人にとっての宿命であるにもかかわらず、それが何故私の責任の根拠(そして自由の根拠)となり得るのであろうか? それは、どのような象徴界といえども、その中への私の同定、「それが私だ」を必要とするからである。テクストの中の私の同定とその引き受けを通して、私たちは言語主体になるのだ。私のことは、私が主体として成立する前から、すでに語られてしまっていたのだ。だからこそ主体は、テクストの中にすでに語られてしまっている自分自身を認知しなければならない。象徴界(言語的
Miura Toshihiko's space-time 三 浦 俊 彦 の 時 空 間 1+1+1=1 不可能?
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