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朝鮮と歴史に関するkammのブックマーク (3)

  • 長野の戦争遺跡訪問【1】松代大本営象山地下壕[絵文録ことのは]2008/07/15

    読み始めて不安になった。「日人の加害責任」だとか「朝鮮人強制連行」について強調されているが多かったからである(全部がそうというわけではないのだが、そういう論点が強調されているものが記憶に残った)。自分としては、小林よしのりだの新しい教科書を作る会だのの歴史観はあまりにも「自高・自大史観」が行きすぎていると思っているが、逆に一億総懺悔だのといった「日はすべて加害者、中国朝鮮はみな被害者」というのも受け付けない(などと言うと、右からも左からも攻撃を受けかねないのが現状なのだが)。いずれにしても、戦争遺跡を見学するだけで、「侵略戦争の反省の思いを込めて」というような背景を持っていると受け取られかねないということには、少々危惧を覚えた。 しかし、わたしは何でも実際に見てから感想なり評価なりをすればいいと思っている。もしかしたら、案内の人とは全く違った感慨を抱くかもしれないが、それはそれで行っ

    kamm
    kamm 2011/09/12
    素晴らしい訪問記だった。でもなんか読んだ記憶がある
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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  • 何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト:日経ビジネスオンライン

    (前回から読む) 宮崎県南郷村(現美郷町)は、明治、大正、昭和初頭と、林業で栄えた村だった。材木景気が去るとダム建設で口を糊した。公共事業にすがった一時代があった。それも過ぎれば、山の緑と蒼天が美しいばかりの、静かな村になった。村外に流出する人の数が増え続け、やがて過疎の村といわれるようになる。 村の所在地を聞かれれば“椎葉村の隣、若山牧水の生家のそば”と説明してきた「何もない村」の住民は、諦観に甘んじるようになっていた。同じ「何もない村」でも、椎葉は、ないことを逆手にとって「秘境」で全国に名を馳せた。観光客は秘境へ、椎葉へなびく。大型バスが、県外ナンバーの乗用車が、南郷村を素通りしていった。 「神門神社(みかどじんじゃ)の銅鏡は、どげんかならんもんじゃろか、祖母の話じゃと、昭和の初めころ神門神社の銅鏡を研究に来た広瀬都巽(とせん)という学者は、ご飯をべるのも惜しんで鏡を見つめておったそ

    何もない村が成し遂げた国家的プロジェクト:日経ビジネスオンライン
    kamm
    kamm 2009/06/19
    こんなところにも朝鮮との歴史が埋もれているとは。正倉院再現もすごいな。11億円なら安いもの。見てみたい
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