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裁判とネタに関するkammのブックマーク (4)

  • 木村剛および日本振興銀行からの訴訟が取り下げられたようでござる - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    過去さまざまなネタで面白おかしく論じさせていただいた件・木村剛および日振興銀行関連の事案でありますが、先方や私らの間で訴えたり訴えられたりと愉快に紙魚雷を打ち合っておりまして、このたび無事に先方が訴訟をすべてお取り下げ賜られたこととなりましたので、報告いたします。 後になって日振興銀行の役員の皆様方と親交させていただいた折の話で、日振興銀行が私どもを訴えていたことそのものを知らなかったという不思議状況まで知らされ、まさか代表権のない執行役が正当な手続きなく事案を進めていたんじゃないでしょうね疑惑があったりと、最後の最後までとても楽しく過ごさせていただきました。 一番晴れやかだったのは、弁護士同士の交渉の席で、こちら側から論拠として提出させていただいた資料が、先方会社の決算資料と官報と取締役会議事録のセットだったことでありまして、公益性も高く、内容も間違いないということでしばらくソナ

    木村剛および日本振興銀行からの訴訟が取り下げられたようでござる - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    kamm
    kamm 2010/07/05
    オープンリーチに爆笑
  • 金完燮 - Wikipedia

    金 完燮(きん かんしょう、キム・ワンソプ、김완섭、1963年 - )は、韓国人評論家・作家・教育家・言論人。 光州広域市生まれ。サレジオ高校-ソウル大学中退[3]。光州事件の市民軍に参加した。 来歴[編集] 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2013年12月) 1980年 - 光州民主化運動(→光州事件)に市民軍として参加し、全羅道庁に篭城。のちに、国家偉功者として顕彰される。 1982年 - ソウル大学物理学部に入学。 1989年 - 雑誌編集記者になる。 1995年 - 「娼婦論」出版、韓国でベストセラーとなる。 1996年 - オーストラリアに移住して、以後対日観が変わる[4]。 1998年 - 韓国に帰国。『コスタク新聞』を創刊、編集主幹になる。 1999年 - 親日関連著

    kamm
    kamm 2009/08/24
    検察と裁判所の存在がギャグだな
  • minyu-net ニュース

    kamm
    kamm 2009/05/19
    『21日の裁判員制度開始を前に、法廷での被告人質問や証人尋問のやりとりを自動的に文字化して記録する「音声認識システム」が、「うっと(とても)」など一部の津軽弁を識別しない可能性』 笑ったw
  • 「裁判Showに行こう」 : nikkansports.com

    コンテンツエリア メインコンテンツ 告別式が営まれた曙太郎さんの祭壇 [記事へ]

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