覚書と考察系に関するlastlineのブックマーク (132)

  • 政治的な意図で根拠なく他人を非難するのが中傷 - novtan別館

    という言葉を「はじめての課長の教科書」で目にしましたよ。 はじめての課長の教科書 作者: 酒井穣出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2008/02/13メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 30人 クリック: 436回この商品を含むブログ (199件) を見るとなると、僕も中傷されてんのかなあ。言ってもいないことで非難されているように感じますし。 さて、コメント欄がわけわからなくなってしまったのですが、正直そのまま話をするには論点が分散されてしまったような気がするので建て直し。コメント欄は一部放置しますので、ご不満な向きはこちらに「このエントリを踏まえて」コメントしてください。 論点というか疑問点整理 車社会との比較は稚拙なのでやめよう 匿名性を維持するために現実社会はネットに屈服する必要があるかどうか 屈服の具体的な内容は? 現実社会が当に正しいの? 日記

    政治的な意図で根拠なく他人を非難するのが中傷 - novtan別館
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    lastline 2008/05/15
    まとめようかなーと思ってたらまとまってたので。とりあえず、車社会に限らず喩えは止めようよ。
  • 一貫性のあるスタイルって必要なのかな - Nobody tells the story

    僕のblogは、です・ます調もあれば、だ・である調もある。書いている事によって滅茶苦茶に文体が変わるのだ。だ・である調の時は、自分に向けて書く割合が大きく*1、です・ます調の時は人に向ける割合が大きい。同一記事内で色々な文体が混じるのは、きっとそのせいなのだろう。 だが人の文章を読んでいて、文体が急に変わったりすれば混乱する。そうすると、人が読むことを踏まえて文体を統一したほうがよいのかもしれない。ただそうすると、気分が乗らなくなって記事の内容が制限されてしまうかもしれない。自分を制限せずに、人も読みやすい、そんなスタイルをしっかりと見つけることが文体を身に着けることなのかもしれない。そんなん見つかるかなぁという話であるが、書いている内に道筋が見つかるかも。ひらめく瞬間が来ればよい。 *1:後は少し畏まった記事を書くときくらい

    一貫性のあるスタイルって必要なのかな - Nobody tells the story
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    lastline 2008/04/04
    記事によりけり。内容にあったスタイルで。まぁぼくは同記事内で一人称が私、俺、僕と変化するが
  • ゲームミュージックなブログ ゲーム攻略サイトはゲームの面白さを損なうのか

    とあるゲームメーカーに掲載された文章が、ちょっと話題になっています。  ■【DSレイトン教授】「攻略サイトは即刻削除をお願いいたします」   http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1061265.html  ■「攻略サイトは即刻削除を」ゲームメーカー要請で波紋   http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/071129/gam0711291829000-n1.htm   ちなみに現在は文面を改めているようです。  一応ユーザーサポート経験もあるものの視点から見たところでは「言いたいことは分かるけど、文章ミスったなあ」ってなこと。リンク先にあるように、削除要請そのものよりも「掲載を認めておりません」「即刻削除」という言葉に(たとえサイト管理人ではなくても)カチンと来た人が多かったのではないでしょうか。

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    lastline 2007/11/30
    一回目は攻略サイトは一切見ない派。2回目は攻略サイトを見てじっくりやりこむ派。ゲームセンターCXはゲーム内に攻略法もあるからその点面白いゲームだと思う
  • 「初音ミク」をめぐるプロとアマの「差」 | 【MediaSabor メディアサボール 】

    少し前のことになるが、歌う音声合成ソフト「初音ミクhttp://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp」が、和田アキ子さんが出演するTBS系のテレビ番組「アッコにおまかせ! http://www.tbs.co.jp/akko/index_web.html」(2007年10月14日放送)の中で紹介されたものの、その扱い方がひどいとしてネットユーザーから強い反発を受けた(参考 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071015_tbs_vocaloid2/)。 この件はネットの中ではそれなりに有名な話なのでご存知の方も多いと思う。これには、その後「初音ミク」画像が検索エンジンにヒットしなくなり、それをメディア企業の圧力があったのではないかと疑う動きが出るといったおまけもついたりし

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    lastline 2007/11/29
    持続的に求められたものが生産できるのがプロ。一時の爆発力だけならアマが勝つことだってある。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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    lastline 2007/11/17
    「性的妄想の詳細を喋っていいのは同じ嗜好をもっている人間との間だけに限られている」は妄想に限らないけど。男の下ネタと女の下ネタでは後者の方が引かれる。多分、数と性差の問題。
  • ソニーは負けてるぐらいがちょうどいい 島国大和のド畜生

    電脳御殿さんにて、トロステーションに**が登場。(ネタバレあり) かつてSCE(ソニーコンピュータエンタテインメント)が、プレイステーションを発売した時は、マジで挑戦者のポジションだった。 セガが、セガールとアンソニーの比較CMとかやってたとき、SCEの(開発サポート)担当者の人が「ゲーム家の人にかまってもらってちょっと嬉しかったスよ」みたいな事言ってて「あら、そういうポジションなんだ」と思った記憶がある。 PSはマジで凄かった。 ソフトウェアの価格設定は従来のスーパーファミコンの半値程度だったし、新しい流通システムの提案だった。 ハードウェアはバッサリ2Dを斬り捨てた上、単価を下げる為パッドのコードの長さまで切り詰めてある。それでいてハードウェアのバランスとしては驚異的に良い。 開発もすこぶる簡単。その上で開発サポートもしっかりしてた。 やっぱ「挑戦者ポジション」である事は成功するに

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    lastline 2007/11/16
    すげー分かる。チャレンジ精神よね。昔のスクウェアとかもそんな感じだったのにね。現状維持が一番難しい。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    lastline 2007/11/15
    「、それくらいしかインターネットの楽しみってない」→なんで、ブログやってるの?
  • 不倒城: 文系不倒城: 文系SFと理系不倒城: 文系SFの違いについて。

    SF関係の割とどうでもいい話。 理系女子と文系女子の話が、一時期一部で盛り上がっていたらしい件に遥か乗り遅れた気配があるので、正統派SFファンの流儀にのっとって、「女子」の部分を「SF」に置き換えて話題をスゴイ勢いで転換したら色々とすっきりして楽しいんじゃないだろうか。主に俺が。 なに、心配することはない。ごく一般的な置換だ。疑うなら、はてな匿名ダイアリー辺りで「女性」「女子」「彼女」「嫁」という単語を全て「SF」に置き換えてみるといい。文脈には大して影響しないから。 というか、理系SFとか文系SFっててっきり一般名詞だとばかり思っていたのだが、ぐぐってみたら全然一般的じゃなくて俺涙目。別にいいけどさ。 取り敢えず私的な定義。 ・文系SFSFという舞台・SFという枠組みではあるが、語られている主題自体はSF的なものではなく、SF要素は小道具的な使われ方をしているSF。 ・理系SFSF

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    lastline 2007/11/14
    分かる分かるw。でも僕のエントリ無理か?
  • ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 - Aerodynamik - 航空力学

    パンクが世間に現れたとき、大人は「あんな稚拙なものは音楽ですらない」と言った。 テクノポップが世間に現れたとき、大人は「あんな血の通っていないものは音楽ですらない」と言った。 クラブミュージックとしてのテクノが世間に現れたとき、大人は「繰り返しだけでメロディーもない、これは音楽ですらない」と言った。 小学生が書いたかのように稚拙な文章。 ただ泣かせる為だけに考えうるだけの不幸を並べ立てた不感症のような展開。 どのもセックスとレイプと病死が判で押したように繰り返される構造。 そうなのだ。これは紛れもなく文学のニューウェーヴなのだ。 30を過ぎた俺がそれを認めたくないだけなのだ。 ああ、なんてこったい。 「ケータイ小説(笑)」などと言っている時点で、自分が既に現代の新たな文化を理解できないという紛れもない事実を惨めに世間に晒すことになろうとは。 進化を拒んだ俺の脳は硬直し、穏やかにただ死を待

    ケータイ小説を理解できない人間は既に老害化しているという衝撃の事実 - Aerodynamik - 航空力学
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    lastline 2007/11/08
    その理解できる人が影響を受けて何か新しい物を生み出すまで判断に迷う考察。
  • まなめはわるいひと - 304 Not Modified

    先日、うみねこがなく頃にというゲームをプレイしたのですが、その中に「チェス盤をひっくり返す」という表現が頻繁に出てきます。簡単に言ってしまえば、相手の視点に立って考えるということ。将棋なんかでも、攻められているときにどうやって守るかを考えるだけでなく、相手の立場になって-将棋盤を180度ひっくり返して-自分ならどう攻めるかを考えると全然違ってくるものです。 こういう話だとどうしても人狼BBSの話になってしまうのですが、人狼BBSの場合は一日たった20発言の中で、自分が人間であることのアピールをしつつ、村の中から人狼を探さなくてはなりません。なので、「この発言は人間っぽい」と思っても、“チェス盤をひっくり返して”考えると、人間だから人間っぽい発言をしたのではなく、人狼だからこそ人間っぽい発言をしているのだともとれるのです。 そんな心理戦を愉しみすぎたせいか、今でもブログを読んでいて「この人は

    まなめはわるいひと - 304 Not Modified
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    lastline 2007/11/05
    チェス盤の引っくり返し方間違ってた
  • 向こうに人が見えるまで - 過去のブクマを手繰りながら - 余暇の記録

    「今日は更新されていないかな?」 最近ちょっと気になるあのブログを、僕はいつから読み始めたのだろう。 自分のはてなブックマークを手繰っていてふと気づいたことを、忘れないうちに書き留めておきたいと思います。 気になるブログからブックマークした記事を一覧しよう あのブログから、自分はこれまでどんな記事をブックマークしてきたのだろう。 ブックマークの左下にあるブログのIDををクリックして、記事を絞り込んでみよう。*1 記事の数と見出しがまとめて表示される。 一覧したあとで見るもの、見えてくるもの 1. ブックマークの数 - 親近感 そのブログからブックマークしている記事の数を確かめよう。 ブックマークしている数は多いだろうか、少ないだろうか。 少ないのにはっきりと記憶に残っているならば、自分に深い影響を与えたブログなのかもしれない。 多いならば、自分にとってのウェブのイメージを知らずのうちに形

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    lastline 2007/11/02
    興味深い。ブクマの過去もこんな振り返り方があったか
  • 現代ミステリに十戒も二十則もいらないのでは - 萌え理論ブログ

    ある編集者の気になるノート : 推理小説を書くのに、こんなに「ルール」があるって知ってた? 「ノックスの十戒」「ヴァン・ダインの二十則」はミステリ界では常識的なことなので、わざわざ書くほどのことかと思う。しかも、流水大説や竜騎士大説などを見るに、現代の推理小説(大説)では、十戒や二十則は完全に無視して書いても、(激しい批判を受けながらも)ヒット作になりうることが分かる。だから、現代ミステリにおいては、10も20も合わせて30も覚えなくても、たった1つの簡略版で十分なのではないか。 読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。 事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。 この一戒・一則どちらか一方で十分なのではないか。「秘密の通路や秘密室を用いてはいけない」「科学上未確定の毒物〜を使ってはいけない。」といったことは内包されているし、一方「探偵自身が犯人であっては

    現代ミステリに十戒も二十則もいらないのでは - 萌え理論ブログ
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    lastline 2007/10/25
    古典は十戒も二十則を満たすべき? 「読者の知らない手がかりによって解決してはいけない。」すらも無い気もする。ジャンル分けって難しいね
  • ウェブそもそも論(の謎×14) - 妄想日記

    前回、見解の相違の原因は責任感の欠如にあるのではないかと思いましたが、今回のくっぱさんのエントリーでますますその意を強くしました。なんというか「自己責任の軽視」ですね。 「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」なんてことはありません。 ならば、そのような立場でウェブを使っても不当とは言えないのではないでしょうか。だとしたら、 仮に、「情報を互いに公開するけどリンクは許可制」という場所(そういう目的で作られている場所)なんだけどシステムに不備があり許可のないリンクが出来てしまう場所があったとする。そのような場所は「自由なリンクを制限する機能を備えていない」けど、でも許可を得ないリンクは不当です。 の喩えを導入した意図が謎めいてしまうような気がします。 くっぱのブログ − ウェブそもそも論(の謎×13) 単に「物理的に可能だからと

    ウェブそもそも論(の謎×14) - 妄想日記
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    lastline 2007/10/20
    おー。こうやってもっていくべきだったのかしらん
  • ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記

    少しずつではあるけれど無限ループに陥ることなく着実に前進しているウェブそもそも論の謎についての議論ですが くっぱのブログ − ウェブそもそも論(の謎×11) ループしていた理由は、私がくっぱさんの最初のエントリーについて、「WWWの『情報の共有、結合』という理念は過去のものであり、現在では直ちに適用できない」という主張を含むと解釈してしまったからです。これは私の誤読です。ループをといていただいて感謝。 で、くっぱさんが私の主張を変だと思う理由がわかったような気がします。一言で言えば、「責任感の欠如」です。 もしも「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」と言い得るのならば、そのような立場で使用するのは不当なのでしょうけれど、それが言い得ることを示すことができる論法はこの世に存在しているのでしょうか。 くっぱのブログ − ウェブそ

    ウェブそもそも論(の謎×12) - 妄想日記
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    lastline 2007/10/19
    なんか進んでる。僕はもう諦めた 。というか、ほぼ同じことを反論したつもりだったんだけど、通じてなかったらしい
  • らばQ : 著作権はいったい誰を幸せにするのか?

    著作権はいったい誰を幸せにするのか? ネットの話題に、著作権問題が無い日がありません。著作権は今では誰もが関わりを持つもの。こうしてブログを読み書きしてるだけでも、それは著作物のやり取りになります。関心を持たないわけにはいかなくなってるんですね。 しかし、その著作権。いったい誰を幸せにしてるのでしょうか? もちろん著作物の保護は重要です。お金がまわらなければ、作品を作り続ける事ができなくなります。 ですが、「著作者にお金をまわす」方法は著作権だけなのでしょうか? そして当にお金がまわっているのでしょうか? 今回はいくつかの事例をあげながら、「著作権は誰を幸せにするか」を考えようと思います。 著作者と出版社 そもそも著作権とはどうやって生まれたのでしょうか? 著作権の歴史 上のサイトによれば、グーテンベルグの活版印刷による大量印刷の実用化後、1710年になって海賊版規制のために考え出された

    らばQ : 著作権はいったい誰を幸せにするのか?
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    lastline 2007/10/18
    最後の方がちょっとアレかな?ただ、著作権をいいように振りかざしてる奴がいるってのは何だかなー
  • 「「「「「ウェブそもそも論の謎」の謎」の謎」の謎」の謎」の謎 - 妄想日記

    今回はトラックバックがない…それはともかく、くっぱさんは大の「WWWの理念」というエントリーがどういう状況で書かれたか認識してますか? 私がちゃんちゃんさんのブログのエントリーをリンクした際、「勝手にリンクを張るとはどういうこと/マナー違反/リンクを外して/良識があるならわかるはず」というクレームを付けられまして、その時ちゃんちゃんさんのクレームに対応しなかった所、ちゃんちゃんさんが「意外としつこい(苦笑)」というエントリーを立てられましたので、それに対するコメントを綴ったものです。 で、そのちゃんちゃんさんの別のエントリーのユージさんという方のコメント中に しかし、現在の利用状況を考えれば、当初の理念がどうだったかということを建前にすることは無意味と思います。 という一文があり、それはちゃんちゃんさんも同感であるそうです(*1)。で、くっぱさんも 歴史歴史であって、もはやその当初の目

    「「「「「ウェブそもそも論の謎」の謎」の謎」の謎」の謎」の謎 - 妄想日記
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    lastline 2007/10/16
    多分永遠に平行線。なんか共に微妙に争点が違う気がする / マシュマロに関しては同意見ですわw
  • 「個人的な問題でも一般化したい病」について: 不倒城

    症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞

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    lastline 2007/10/15
    僕も患者ですw
  • 「ウェブそもそも論の謎」の謎 - 妄想日記

    Webとは何かを理解しようとするなら、すなわち私や私の仲間たちが共有しているヴィジョンに参加しようとするなら、Webがどのようにしてこの世に現れたのかを知る必要がある。 Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(P11) (Tim Berners-Lee著/高橋徹監訳/毎日コミュニケーションズ) 10月2日のエントリー「WWWの理念」に、くっぱさんからのトラックバックがあった。 くっぱのブログ − ウェブそもそも論の謎 なんと、まともにエントリーの内容を取り上げてもらったトラックバックはこれが始めてである。くっぱさんありがとう! …書いてて空しくないか?自分。 それはさておき、くっぱさんにわざわざ取り上げて頂いたのだから、その見解に対してきちんと自分の意見を書いておこうと思う。 ネットワーク化することが嫌なら、WWWに公開するべきではない。WWWに公開す

    「ウェブそもそも論の謎」の謎 - 妄想日記
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    lastline 2007/10/13
    僕とは大違いだ;;
  • 仮説:無断リンクを禁止しても良い

    以前、「リンクの自由は憲法で保証されている」と主張する文章を書いた。それを書いた当時は、リンクは必ずしも自由ではないという主張もまだ根強くあり、それに対抗する意見を提示することは、ネット上の議論としてある程度の有効性を持つと思われた。しかし、この数年で状況は少し変わったようである。もちろん現在でも、リンクする際は事前に許可をとるように、と主張するサイトはあるが、それらはもはや少数派で、今や、リンクは自由というのはネット社会の常識となっており、「リンクフリーといちいち書かなければならないご時世のほうが問題だ」というような主張も多く見かけるようになった。 ところが、である。この時代の流れに乗じて、次のような恐ろしい主張が存在しているのを発見した。 「無断リンク禁止」という行為こそが、禁止されるべきである。 リンクは自由なものであり、「無断リンクを禁止します」という主張は誤っているので、そういう

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    lastline 2007/10/12
    主張する自由はあると思う。ただし、それを主張したことによる弊害はどうなんだろ?たとえば、無断リンク禁止と宣言すれば無断リンクを避けられる!と勘違いする奴を生み出すとか
  • 2007-10-10 - 空中キャンプ

    いい文章を書きたいのであれば、書き終えてから、あるていど時間を置いて読み直すといいとよく言われる。これは誰にとっても納得のいく方法だとおもう。時間を置くことで、客観的に文章を眺めることができるし、意味の伝わりにくいところは推敲できる。なにより文章ぜんたいをクールダウンできるから、時間を置き、推敲を通したテキストはより論理的で端正になる。 しかし、わたしはこの方法がどうも苦手だ。時間を置くと、いったいどうしてこんな文章を書いたのか、自分でもよくわからなくなってくるし、なにをおもしろいとおもって書いたのか、いまひとつおもいだせなくなってしまう。もちろん、文章を書き直すことで、感情の入りすぎていた部分は削られて、気持ちだけが空回りしていた言葉は、もっと別のフレーズに置き換えられる。だからこれはきっといい文章なのだ──すくなくとも、推敲前よりはずっと。でも、このテキストっておもしろいのかな、とわた

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    lastline 2007/10/11
    いい文章と分かり易い文章が違うからではないのか。両立も可能なんだろうけど